そして、現在に至る。バルは、ついてくると言ったことを、軽く後悔していた。黄色く砂だらけの砂漠を、丸2日も馬車で来たからというわけではない。バルがここにいるということは、メミカがニウベルグ相手に戦いを挑むのを、間接的に認めたことになってしまうと思ったのだ。彼女の考えていることはよくわからないが、反対した本人がついてきているようでは、示しが着かない。
「本当にこの街にニウベルグがいるのかな。いなかったらどうしよう…」
 テーブルの上のジョッキを口につけ、メミカが気弱に言った。
「なに、まだ来たばっかりじゃないか。そんなに思い詰めることはないよ。もしダメなら、観光だけして帰ればいいさ」
 バルがメミカを励ました。本音としては、何もなく終わって欲しい。そして、バルの心の中には、また別の問題が渦巻いていた。メミカがバルの知らない間にニウベルグと会い、ひどい目に遭わされたらどうすればいいのだろうか。リキルは、危ないことをしそうなときに止めればいいと言ったが、四六時中彼女についていくわけにもいかない。どうすればいいのかわからない。
「…まあ、考えてても仕方ないか。そのときになってから考えるわ」
 ピザのチーズを口に入れ、メミカが微笑む。やはり、彼女は笑っている方がいい。泣いたり不安げな顔をしている彼女より、笑っている彼女の方がいい。
「本当に美味しいピザだ。僕は料理は壊滅的にダメだから、こういう美味い料理を作るシェフは尊敬するよ」
 バルの苦悩も知らず、リキルがのんきにピザを食べている。彼の同僚の兵士2名もジャンバルに来ているが、今日は休みだということで街中をうろついているはずだ。リキルを含む兵士3人は、一時的な補給のためにこの街へとやってきている。この街にいた兵士が3名、定例報告で王都に来ているので、その間の交換要員にされているのだ。明日からきっかり1週間で、元々この街にいた兵士が戻ってくるので、入れ違いに王都に戻ることになっている。バルとメミカも、そのときに帰るとすると、タイムリミットが1週間になる。
「そういえば、この街に滞在しているときの宿はどうすればいいんだろう?」
 メミカがぼんやりと疑問を口にした。
「そうだね。僕は他の兵士2人と一緒に、兵士宿舎に泊まるつもりだけど、君たち2人の宿泊先のことは考えてなかったな…弱った。2人分、宿を見つけないといけないな」
 リキルが、無意識に髪を触り、悩んだ。
「まあ、それはここに来る時点で、俺とメミカさんがなんとかしないといけなかった問題だよ。前にここに来たとき泊まった宿を当たってみるかなあ」
 以前ここに来たとき泊まったのは、中心部の見晴らし塔近くにある宿屋だったはずだ。大きな通りに面していて、宿を探している旅人が真っ先に入る位置にあるため、とても繁盛していた。常に多くの客が出入りしている宿だったため、もしかすると部屋がないかも知れない。
「お客さん」
 話しかけられ、バルが顔を上げた。ウサギ獣人のウェイトレスが、にこにこしながらこっちを見ている。
「お話を聞いていたんですけど、宿をお探しですか?」
「え?ああ、そうだけど…」
「運がいいですね!この酒場は、宿もやっているんです。3階のツイン部屋が空いていますから、ここにしたらどうですか?3部屋ほど空いているので、通り側でも見晴らし塔側でも選んでいただけますよ」
 やや困り顔のバルに、ウェイトレスがずずいと勧める。
「渡りに船じゃない」
 メミカがにこにこしている。バルは、少し考え込んだ。この宿は、他の宿に比べて、良い宿なのだろうか。部屋の下に酒場があるということは、寝ているときにうるさくされる恐れもあるということだ。ヒューマンや鳥羽人と比べて、獣人は耳の感覚が鋭いので、音に関しては敏感だ。他の種族の人間にはそうでもない状況でも、バルにはうるさいと感じる場合がある。どうするべきか…。
「サービス内容や料金はどんな感じかしら?」
「朝夕食事付きです。洗濯や買い物代行もします。料金はこんな感じで…」
 メミカがウェイトレスと交渉を始めた。バルが横からその条件を覗き見るが、悪いところは見あたらない。前にバルがこの街に来たときには、別の宿を利用したが、そことあまり変わらない料金体系だ。
「お悩みですか?」
 ウェイトレスがバルの顔色を伺うように、悩むバルの顔を見る。
「うん、少し…」
 深く考え込むバル。今の彼の所持金は、あまり多くはない。少しでも消費を減らしたいところではある。安く泊まれる宿があればそこにしたいが、メミカと宿を同じにしておかないと連絡などが不便だ。バルのわがままで、ボロボロの安宿にメミカを泊めるわけにもいかないだろう。
「ゆっくり考えてくださって結構ですよ。あたしは向こうにいますので、また声をおかけください」
 ウェイトレスがカウンターの方へと歩いていく。
「バル君はどうしたい?」
 コップからジュースを飲み、メミカがバルに聞いた。
「悪くはないと思うけど、少し決め手に欠けるね」
 率直な感想を、バルは口にした。悪くはないが、良くもない。
「私に任せてくれないかな。悪いようにはしないわ」
 とろんとした目つきのメミカ。何かをたくらんでいる顔だ。何も言えなくなり、バルは小さく頷いた。
「すいませーん」
「はーい」
 メミカの呼び声に、ウェイトレスがウサギの長い耳をぴこぴこさせながら駆けてきた。
「ここより安くて、サービスが良い宿はある?あなたの知ってる範囲でいいわ」
 にやりと笑い、メミカがウェイトレスに聞いた。
「と、とんでもない!私のところが最高です!お客様にも、そう言っていただく自信があります!」
 顔を真っ赤にしてウェイトレスが言い放った。
「ふぅーん。もし他の宿の方が勝ってたらどうする?」
「意地の悪いことを言わないでください、お客様!うちは何事においてもトップを走る宿です!」
「そっかぁ…そうよね。良さそうね」
 ぷんすか起こるウェイトレスに、メミカが流し目を送った。
「ねぇ、じゃあさ、少しだけおまけしてくれないかな?ほんの少しでいいの。ね、お願い」
 うっ、とウェイトレスが黙り込む。ここでようやく、バルはメミカの意図に気が付いた。この意地悪な言葉は、有利な状況を創り出すための前置きなのだ。揺さぶり方としては上手くはないが、ウェイトレスはそれで悩んでしまった。効果は大きかったらしい。
「ちょ、ちょっと、オーナーと話をしてきます…」
 ウェイトレスがカウンターの方へと帰っていった。
「大胆な交渉のしかたをするね」
 リキルが苦笑する。
「そうでもないわよ?」
 悪ぶれる様子もなく、メミカが笑う。彼女は、ライアにどんな教育を受けてきたのだろうか。
「えーと…」
 ウェイトレスがぱたぱたと足音を立てて戻ってきた。
「オーナーが言うには、その、料金がですね…」
 ウェイトレスが、俯き気味に言い、手元の紙を見せた。さっきよりもかなり安い額が表示されている。
「…うん!ありがとう!ここに決めるわ!」
 しばらく難しい顔で紙を眺めていたメミカだったが、すぐに笑顔を見せた。


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