バルは1度、月夜亭の方へ寄ってから、ライアの店へとやってきた。月夜亭に帰ると、エミーとロザリアがバルのことを歓迎してくれた。ちょうど昼食時ということもあり、ロザリアはバルに昼食を作ってくれた。彼女の作る料理は、どれもこれも美味いものばかりだ。昼食を摂りながら、バルは2人にライアの店のことを話した。知り合いのラミア親子が、元雑貨屋の店を買い取り、魔法屋を開くと。月夜亭を出るとき、「引っ越し中で料理をしている暇などないでしょう」と、ロザリアが食パンでサンドイッチを作って持たせてくれた。
 店には、雑貨を乗せていたであろう棚が2つ、入り口から真っ直ぐになるように立っている。右の壁と左の壁には、数多くのフックがかけてある。雑貨屋だったころはここに、色々な品物がぶら下がっていたが、今はもうない。
 正面奥にはカウンター、そしてカウンターの向こう側にはドアがある。恐らく、店部から生活部に通じているのだろう。店内には、多くの荷物が置かれたままだ。
「…く…もう…」
 奥の方からメミカの声がした。同時に、がちゃがちゃと音がする。恐らく、生活部の方で、メミカが荷ほどきをしているのだろう。バルはカウンターをくぐり、戸を開けて中を覗き込んだ。
「師匠、私を置いてどこかへ行っちゃうんだから…」
 キッチンでぶつぶつ言いながら、メミカが食器棚を雑巾で拭いていた。横には、食器が大量に積み上がったままだ。これから中に入れていくのだろう。まだまだ荷物は多い。彼女一人では、日が暮れてまた昇ったとしても部屋の掃除は終わらない。
 ばたん
「ひゃっ!?」
 バルがドアを閉めた。その音に、メミカは驚いて振り返った。
「バル君…せめて声くらいかけてよ、びっくりしちゃった」
 相手がバルだとわかって、メミカがほっとした顔を見せた。
「ごめんごめん」
 バルがひょいひょいと荷物を避けてメミカに近づく。
「これ、おみやげ。俺が泊まってる宿屋の人が作ってくれたんだ」
 サンドイッチの包みを、バルはメミカに渡した。
「ありがとう。ずいぶん長い間働いてたから、お腹が空いていたの」
 メミカがにっこり笑い、サンドイッチを食べ始める。
「あれ、これ美味しい!これを作った人って、宿の料理人なの?」
「ううん、普通の女性主人かな。ロザリアさんっていって、鳥羽人なんだ。悪魔人のエミーさんと2人で、宿の経営をしてる」
「へぇ。いいなあ。こんなご飯を毎日食べられるなんて」
 にこにこ顔でサンドイッチを食べるメミカ。よほど空腹だったらしく、サンドイッチは瞬く間にメミカの口へと消えていった。蛇が卵を飲み込むようだ、とはそのまんま過ぎて形容にもならない。
「さて、続きをやろうかな」
 サンドイッチを包んであった布を畳み、メミカがまたキッチンの方を向く。
「手伝うよ」
 服の袖を捲り上げ、バルが言った。
「じゃあ、この辺を拭いてくれる?きれいにしたところに荷物を置くわ」
「わかった」
 雑巾片手に、バルが棚や壁を拭く。その後から、メミカが荷ほどきした様々なものを並べていく。2人はしばらく、雑談をしながら仕事を続けた。
「ふう。キッチンはだいぶ片づいたわね。次は寝室かな。私と師匠、それぞれ個室が出来るの。楽しみだわ」
 梱包していた布を畳んで、メミカが額の汗を拭った。春は過ぎ、だいぶ暖かくなりつつある時期だ。これだけハードに体を動かすと、暑くなるのだろう。
「そうだ。今荷物を片付けてたら出てきたの。これ、あげる」
 ちゃら
 メミカが取り出したのは、鎖の着いた木片だった。木片は八角形に削られており、中央にはくぼみがつけられて赤色の不透明な石がはめられている。
「これは?」
 受け取ったバルは、木片を裏返したり、鎖をいじったりしながら、メミカに聞いた。
「雨桂樹の欠片と魔法石で私が作った首飾り。アクセサリを作るのが好きなの。こう見えても、手先は器用なのよ」
 うふふと笑うメミカ。バルが知る「アクセサリ作りが趣味」という人々は、皆独自の美意識を持っており、恐ろしい造形の物を作る天才だった。だが、メミカの作ったこのアクセサリは、それほど大きくもなく自己主張もない。素朴で、きれいなものだ。
「ありがとう。さっそく、付けさせてもらうよ」
 バルはその首飾りを、首からぶら下げた。これぐらいなら、悪趣味にも見られない。
「さて、寝室は2階だったね。やっちゃおうか」
 雑巾をバケツの水で洗い、バルが階段に足をかけた。
「っと、ぁぁあ!バル君は下のお店をお願い。私は上を1人でするから」
「え、そうかい?2人で1個所をやった方が早いと思うよ?」
 わたわたと手を振るメミカに、バルが疑問符を投げた。
「そりゃあそうだけど…見られたくないものとかもあるのよ?」
 顔を赤らめるメミカ。ああ、そうかとバルは気がついた。相手が女性であり、自分が男であることをすっかり忘れていた。どうも、デリカシーが足りなかったようだ。
「じゃあ、俺は店の方を掃除しよう。どうすればいいかな」
「きれいに拭き掃除をした後に、置いてあるものを系統別に分けておいてくれる?」
「うん、わかった」
 バルは店側に、メミカが2階へと散った。店の中は少しだけ埃っぽい。置いてあったはたきで、バルはまず高所の埃を落とすことにした。
 がちゃ
 はたきを手に取った途端、店のドアが開いた。ドアから光が入るせいで、入ってきた人物がよく見えない。
「すみません、まだ営業していないんです」
 とっさにそっちを向き、バルが言った。
「お兄さん、いる?」
 入ってきたのは、黒いミドルパーマヘアの悪魔人女性、エミーだった。さっき宿で会ってから、それほど時間は経っていない。ここまで来るとは、何か用があるのだろうか。
「エミーさん。どうしたの?」
「うん。お兄さんにお客が来ててね、案内してきたんだ」
 エミーの後ろから、1人の男性がぬっと姿を見せた。やはり逆光で姿が見えない。
「ここは雑貨屋じゃなかったか?」
 高めの男声で、人影が話す。
「雑貨屋さんは移転しました。今度ここで、魔法屋を開くことになったんです」
「魔法屋か。面白そうだな」
 ばたん
 戸が閉まり、日の光が切れた。ここでようやく、バルは相手の姿をまともに見ることが出来た。
「あれ?あなたは」
 バルがよく目を凝らす。貧民街の方で、バルにぶつかった爬虫人の青年が、そこに立っていた。
「誰かと思えば、さっきぶつかった少年じゃないか。君は魔法使いだったのか」
 青年がにかっと笑う。人好きのする、いい笑い顔だ。
「俺はただの手伝いです。店主は出かけてるんです」
「そうか。それで、バルハルト・スラックというのはどこに?」
 店の中を見回す青年。エミーがくすくす笑う。
「その人がお探しのバルハルト・スラックよ」
「本当か?ずいぶん若いな。想像していたより10歳は若い」
 エミーに言われ、青年がずずいとバルに近寄る。その威圧感に、バルはたじろいだ。こうして近くで見ると、それなりに筋肉の付いた、スリムマッチョ体型をしている。背も高く、威圧感がかなりある。
「バルくーん、お店の荷物に、私の荷物が混ざって…」
 ぱたぱたと音がして、2階からメミカが降りてきた。メミカは、来客に気づいて、ぴくんと尻尾を動かした。
「申し訳ありません、このお店はまだ開店してないんですよ」
 客だと思ったらしい、メミカが愛想笑いをした。
「いいんだ。俺はこいつに用があってここまで来ただけだからな」
 青年がバルの頭に手を置いた。誰かとふれ合うのが好きなバルだが、見知らぬ相手にいきなり頭を撫でられ、嬉しく思うはずもない。バルはしかめ面で頭から手をどかした。
「えーと、どちら様、でしょうか…」
 メミカが戸惑い気味に聞く。
「あたしはエミー・マイセン。この先にある宿屋、月夜亭の従業員よ」
「ああ、あなたがエミーさんなんですか!バル君によく話を聞いてます。私はメミカ、魔法屋を開くライア師匠の弟子です!」
「ふふ、そっか。ご近所さんになるわ、よろしくね」
 エミーとメミカが固く握手をした。
「俺はギカーム。発掘品や中古品を扱う古物商をしている。そっちのバルハルトに用事があって来た」
 ギカームと名乗る青年がにかっと笑う。バルは、小さく身構えた。この街には知り合いもそれほどいない。バルの名を知っている人物などは、本当に一握りだ。どこで自分の名を知ったかはわからないが、油断ならない。
「それじゃあ、あたしはこれで失礼するね」
「おう、案内ご苦労さん」
 エミーが店を出ていき、後には3人だけが残された。ギカームはエミーに手を振っていたが、彼女が出て行った後にバルに向き直った。
「えーと、ギカームさんですか…バル君に何か用ですか?」
 恐る恐るメミカが聞く。
「バルハルトに会いたいって人物がいる。その人の代理で、バルハルトを探しに来たんだ。いやー、大変だったぜ。占い師のイルコ婆さんがバルハルトの知り合いだって情報を得て、そこを切り口に探したんだ」
 はっはっは、と快活に笑うギカーム。この青年に、バルは少なからず好感を持った。
「どっかの怪しい妖精とは大違いだよなぁ…」
 ぽつりとバルがつぶやく。
「どうしたの?」
「なんでもない」
 バルの顔を覗き込むメミカに、バルが手を振った。
「ところで、俺に会いたい人っていうのは、どんな人で?」
「グローリア婆さんだ。知ってるだろう?」
「ああ、シケラネ教団の…」
 グローリアという名を聞き、バルが記憶を探る。たしか、だいぶ年を取ったヒューマン女性で、シケラネ教団という宗教団体の団員だったはずだ。このランドスケープ王国で、孤児院を経営している。1度だけ、バルはグローリアに会ったことがあった。
「シケラネ教団って、確か大地神と機械を崇める団体だっけ?」
「うん、そうだって聞いてる」
 メミカの言葉にバルが頷いた。
「どうやら、お前さんと話がしたいらしい。悪いが、来てもらっていいか?」
 決断を迫るように、ギカームが言った。バルは振り返ってメミカを見る。彼女の手伝いをしている途中なのだ、放置して行ってしまっていいものだろうか。
「お店のことなら気にしないで。師匠もそのうち帰ってくるし、バル君にばっかりも頼れないしね」
 メミカがひらひらと手を振る。
「うん。じゃあ俺、行って来るよ」
 メミカの言葉に甘えて、バルは行くこととした。グローリアとはそれほど親しいわけでもないが、自分を呼ぶということは何かあるのだろう。
「よし来た。案内するぜ」
 ギカームが外に出たのを見て、バルは後をついていった。


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