かちゃり
「開いた…」
 先ほど手に入れた鍵を、バルはホール正面にあった扉に突っ込んだ。鍵は、いとも簡単に開いた。どうやら、この鍵がホール正面扉の鍵だったようだ。扉を開き、バルとメミカが中に入る。今バルは、松明を捨て、カンテラへまた火をつけなおしていた。腰に固定出来るカンテラの方が、松明を持っているより信用出来る。魔物が出てきてからでは遅いのだ。
 扉の向こう側には、小さな踊り場があり、地下へと続く階段があった。階段は10段程度、奥の踊り場で折り返している。どうやら、この下にもまだ遺跡があるようだ。
「ん…この鍵、こっちからかけ直せるみたいだね」
 メミカに言われ、振り向くバル。扉の鍵は、どうやら内側からかけられる様子だ。最初からかかっていたのか、それとも後でかけたのか。ニウベルグがこの先にいると考えたら、後から鍵をかけたという可能性の方が高い。
「じゃあ、行こうか」
 バルが階段を下りる。その後ろから、メミカもついてくる。地下へ1層潜るだけで、空気の感じ方が変わった気がする。心なしか、湿気も増えてきたようだ。バルの敏感な鼻は、中途半端に泥臭い臭いと、カビのような臭いを感じ取っていた。
 階段を下りきったところには、上と同じような踊り場があった。そして、同じように扉がある。この先にも、まだ遺跡が続いているのだろう。
 がちゃ
 躊躇無く扉を開くバル。そこは、特に何も置かれていない、狭い部屋だった。入ってきた扉と反対方向にまた扉がある。
「なんだろう、この部屋は」
 バルは部屋の中を見回した。人が5人も入れば、この部屋はいっぱいになってしまう。天井からは、丸いパイプのようなものの先端がいくつも出ていた。
「あのパイプは、通気口かな?」
「そんな感じだね」
 メミカが言った言葉に頷くバル。ここは地下の遺跡だ。外から空気を取り入れる仕組みがあってもおかしくない。汚い空気が満ちすぎると、人は息が出来なくて死んでしまうということを、バルは聞いたことがある。だが、具体的には空気のどんな成分がどう影響を及ぼすかは、一般に知られていない。太古には、人間の仕組みも今よりずっと解明されていたと聞く。今の人間の知識は、過去の人間には到底及ばないのだ。
「先に進もう」
 がちゃり
 先に進んだバルは、息を飲んだ。かなり長く、幅の広い部屋だ。部屋と言うよりは、広間と言った方がいいかも知れない。壁全体が、薄ぼんやりと光を発しているようで、満月の夜のように明るい。古代の遺跡の美しさを見たような気がする。
 部屋の中には、石造りの本棚のようなものが規則的に据え付けられている。そして、部屋のちょうど中央には、深い溝があった。幅は人間の身長程度、深さはバル2人分と言ったところか。上には、石で橋がかけられている。
「明るいね。カンテラを消しておこう」
 カンテラの火を消すバル。部屋の中を探索するには十分な明るさだ。本や地図を見るには、少し暗いかも知れないが、これでも今は問題ない。
「まるで図書館ね。本はないみたいだけど…」
 棚を覗き込み、メミカが笑った。上にあった木の棚と違い、石で作られた棚はとても丈夫だ。バルの剣ぐらいでは壊せないだろう。壊す目的もないので、そんなことを考えるのは無意味だ。
「ここは水槽みたいになってる」
 バルが溝を覗き込む。梯子が4隅についており、上り下りが出来るようになっている。底には、何に使ったのかはわからないが、多くの砂が溜まっている。試しにバルは下に降りてみた。砂はとても細かく、砂浜の砂に近い。
「私も降りる?」
 上からメミカが覗き込んだ。
「来てもいいけど、砂だらけだから、メミカさんのお腹についちゃうんじゃないかな」
「ほんとだ、すごい砂の量ねー。私は遠慮するわ」
 バルが砂を掬って見せると、メミカは降りる気を無くしたようで、顔を引っ込めた。試しに砂を手で掘るバル。少し掘っただけで指先は石の床に突き当たった。本当に、何の意味があるかわからない場所だ。
「…?」
 バルは視線を感じて、周りを見回した。誰もいないし、人の顔のようなものも見あたらない。
「メミカさーん、そっちに人形とか石像みたいなものはあった?」
 上に向かってバルが声をかける。
「ないよー」
 メミカが応える。一体なんだと言うのか。今はもう、視線は感じない。梯子を登り、バルは手の砂をぱんぱんと払った。合流した2人は、奥にある扉へ向かった。
 がちゃがちゃ
「あれ?」
 扉は鍵が閉まっている。ここに来るまでに鍵のようなものはなかったし、先に進めなくなってしまった。何より、扉には鍵穴がないのだから、鍵があっても仕方がない。
「今までの経験だと、スイッチ式かな。この部屋のどこかにスイッチが…」
 メミカが本棚1つ1つをチェックし始めた。本棚は30ほどあり、それの両面に本を置くスペースがある。かなりの重労働だ。バルもスイッチを探すべく、本棚に近づいた。
「ん?」
 バルのポケットが光っている。確か、ポケットには星神カルバゆかりの青い指輪を入れていたはずだ。指輪を取り出すと、指輪の表面から光が線上に出ていた。光は、先ほど降りた水槽の方を指している。
「なんだろう」
 水槽に近づくバル。と…。
 ばしゃああああ
「わ!」
 指輪から大量の水が湧きだし、水槽の中に吸い込まれていった。水槽の底の砂は、水を吸い込んだが、そのうち水面が上がって砂が水没し始めた。
 かちり
 何かの音が響いた。試しに、バルは扉に戻り、ノブを引っ張った。鍵がかかっていたのが嘘であるかのように、扉は容易に開いた。
「すごい仕組みね。古代人は、みんな水をここに流し込んで鍵を開けてたのかな」
 水槽を覗き込み、メミカが言った。
「さあ、どうだろう。手間がかかって仕方ないよ」
「古代人の考えることは私たちにはわからないわね。まあ、いいわ。先に進みましょう」
「そうしよう。そうこうしている間にも、水が抜けて鍵が閉まるかも知れない」
 扉を開けて、向こう側を覗き込むバル。そちらも、同程度の明るさで、カンテラは必要ない。壁の石自体が発光しているかのようだ。扉の向こう側は、それなりの広さがある部屋で、元は木の家具であっただろうものが破壊されてあちこちに散らばっている。
「こっちも明るい。よかった、今…」
「バル君!」
 後ろの方を向いたバルに向かって、メミカが叫んだ。とっさにバルが振り返る。
「エキーッ!」
 ざっくぅ!
「ぎゃあ!」
 バルの肩に、ギザギザの鎌が食い込んだ。暗がりの中に、緑色の影が多数…。
「なんて数なのよ!こんなにいるなんて…」
 メミカが槍を構える。腐った木の山から、カマキリ達がこちらの様子を伺っている。この数を相手にするとなると、かなりの苦戦を強いられることになるだろう。手元には爆薬などの広範囲武器はないし、メミカの魔力もそのうち底をつく。この先、どんな危機が待ちかまえているかもわからないのに、大技を連発するのは怖い。
「やられた…くそっ」
 剣を抜き放ち、バルは次撃に備えた。部屋の奥にいるカマキリは、こちらの様子を伺うだけで襲ってこようとはしない。手前にいる4匹程度が、バルとメミカに向かって敵意をむき出しにしている。まずは、こいつらが相手だ。
「だぁぁ!」
 ぶぅん
 剣が空気を斬った。バルは、上から思い切り剣を振り下ろした。重力に伴い、剣が真っ直ぐに落ちる。
「エキッ!」
 ずがっ!
 カマキリが、横に走って剣を避けた。しまった、と思ったときには遅かった。後ろから別のカマキリの鎌が襲い来て、バルの耳の辺りに食い込んだ。
「うあ!くそっ!」
 バルは剣を離し、右手を後ろに振り回し、カマキリをはじき飛ばした。かぁんと言う、まるで瀬戸物でも殴ったかのような、硬い音が鳴り響く。
「このー!」
 腰のナイフを抜き、バルが目の前のカマキリに向かって振った。ナイフはカマキリの表面を切り裂いたが、刃が体の奥まで届くことはない。右手には剣を、左手にはナイフを持ち、バルがじりじりと下がる。右手一本では、剣を振り上げることすらままならない。
「いたたた!」
 腕で顔をガードして、メミカが叫んだ。彼女の肌には、小さな傷がいくつもついている。槍で敵を突いてはいるが、全ての攻撃をさばききれなかったようだ。ナイフを投げ出し、メミカの前に立つカマキリに向かって、バルが剣を振り下ろした。
 ベキィ!
「エキーッ!」
 カマキリが1匹、剣撃を受けてつぶれた。横から飛びかかってきた別のカマキリを、バルが裏拳で殴り飛ばした。
「エキー!」
 吹っ飛ぶカマキリ。カマキリはごろごろと転がった後、やにわ駆け出すと、羽を広げて飛び上がった。さっき、小さな部屋の天井に出ていたような排気口が、この部屋では壁についている。その穴に向かって、カマキリは飛び上がり、体を折り畳むように中に入って逃げていった。
「この調子で、全部追い払えるかな」
 メミカが槍を握ってバルに聞いた。1匹を倒すまでに、時間がかかりすぎる。他のカマキリは、まだ恐怖を感じてはいないらしく、バルとメミカを殺せると思って敵意を見せている。全ての敵を倒すことは、恐らく無理だ。
「メミカさん、逃げよう!この数相手は不利だ!」
「え?わ、わかった!」
 バルは剣をしまって、ナイフに持ち替えた。向こう側の出口に向かって走りながら、飛びかかってくるカマキリにナイフの一撃を食らわせる。カマキリはそれなりに重さもあるようで、そう遠くまで弾くことは出来なかったが、攻撃をかわせれば十分だ。
 べきっ!べきっ!
 腐った板を、バルが何度も踏み抜いた。そのたびに、隙が出来る。冷や汗をかきながら、バルは襲い来るカマキリを警戒したが、あまりバルに向かってくる相手はいない。
「えーい!」
 ばん!
 ノブを回したメミカが、次の部屋へ転がり込んだ。バルも、追ってくる最後のカマキリを蹴飛ばし、扉の向こう側に逃げ込む。次の瞬間には、メミカが扉を閉め、それを背中で押さえていた。
「はぁ、はぁ」
 バルが荒く息をついた。帰りにまたここを通らなければいけないかと思うと頭が痛いが、とりあえず当座の安全は確保出来た。1度投げ出したナイフだが、特に破損してもいない。傷はすぐには治らないが、それほど深いものでもなかったし、スタミナさえ回復すれば新手が来てもやり合える。
「バル君、大丈夫?」
 心配そうな顔をして、メミカがバルの顔を覗き込んだ。
「俺は大丈夫。メミカさんこそ、大丈夫?」
「うん、平気。大した怪我じゃないわ」
 バルの問いに、くるりと回って見せるメミカ。血が出るような大きな怪我はないようだ。
「壁のパイプから奴らは出入りしてるらしい。どこで出てくるかわからないね。警戒しよう」
 周りを見回すバル。ここは左右に伸びる廊下になっている。右奥と左奥が、バル達の進行方向に折れ曲がっていた。
「あのさ、ちょっと、見間違いかも知れないんだけど…」
「ん?」
 深刻そうな顔で、メミカが切り出した。
「さっき最後の方、ドアの辺りにいたとき、数匹のカマキリが私たちが入ってきた入り口の方を見てたの」
「そうなの?気づかなかった。何かあった?」
「特に何も…ううん。もしかしたら勘違いかも知れないし、気にしないでよ」
 詳しく聞き直そうとしたバルに、メミカが首を横に振った。もしかすると、何か落とし物でもしたかも知れない。バルは鞄を漁るが、今見る分には特になくなっている物もない。食料も燃料も薬もある。現時点で思いつかないということは、大したものではないのだろう。
「それよりほら、先に行こう?」
 先を急ぐメミカ。何か、釈然としないものを感じながらも、バルは歩き出した。


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