ライアの家へ戻ったバルは、ソファーに座ってぼうっとしていた。今自分が出来ることはあまりない。せいぜい、村を歩き回り、ライアのことを聞いて回るくらいか。この村は規模の大きな村だし、それもかなり重労働だ。その上、今は祭り期間中のため、人は普段より多い。どのような場所に行けば、ライアと親交のある人間に出会えるかもわからない。
『それに…』
 バルはちらりとメミカを見た。メミカはすっかり落ち込み、イスにぐるぐると巻き付いてぐったりしている。彼女に聞けば、ライアのことでヒントくらいは得られるかも知れないが、今こうして憂鬱いっぱいのメミカに聞く気は起きない。泣かせたりしても困る。
「…お茶でも淹れようか?」
 恐る恐る、バルが聞く。メミカは小さく頷いた。バルは、昨日のライアの手順の見よう見まねで火を起こし、鍋に水を入れた。
「…」
 黙り込んだまま、バルはソファーに座り直した。居心地の悪い、重い空気だ。これだけ落ち込んだ他人と一緒にいるのは、久しぶりかも知れない。
「ちょっと俺、スウちゃんの様子を見てくる」
 バルは立ち上がり、貸してもらっている部屋の方へと向かった。部屋に入り、ベッドを見るバル。スウは、身じろぎ一つせず、深い眠りに落ちているようだ。泥のように眠る、というのはこういう状態を言うのだろう。
「ん…」
 自分のベッドの枕元に立てかけてある剣を、バルは手に取った。柄には、よくわからない合成獣の絵が彫り込まれている。少し煤がついていたのを見つけ、バルはそれを軽く払った。
「ふ、ふぅ…」
 何か、スウが寝言を言った。特に意味のない言葉のようだ。思えば、昨日1番の功労者は彼女だ。この小さな体で、あの大きな屋敷の火を全て消してみせた。魔法力というものは、使用者の修行や練習次第で、際限なく強まるものだとバルは聞いている。スウも、将来は強い魔法使いになるのだろうか。否、この子は将来、服の職人になりたいと言っており、裁縫の練習もしていた。その夢が叶うことを願いつつ、バルは部屋を出た。
「…本当ですか!?」
 居間の方からメミカの声が聞こえる。その声には、若干興奮した様子が見て取れた。
「ああ、本当だ。ワシもライアさんには世話になった、力になりたくてな」
 老人らしき声が続いて聞こえた。バルが居間を覗くと、ラミアの老人が、メミカと何か話していた。
「その情報だけで十分です!ありがとう!」
「役に立てて何よりだ。くれぐれも無茶をしないでな」
 ばたん
 扉が閉まり、メミカがふうと息をついた。
「どうしたの?」
 居間に入り、バルが問う。ちょうど湯が沸いていたため、バルはポットに茶葉を入れ、湯を注いだ。
「あの悪魔人の召還士、目撃者がいたのよ。今朝早くに、村の奥の、聖域の方に入っていくのを、見かけた人がいるんだって」
「聖域?」
 尻尾を振り、興奮した様子のメミカに、バルが問う。
「うん。村の奥には、長い横穴が空いていてね。その奥に、メースニャカの門っていう門があるの。門の向こうには、メースニャカの地下神殿があるって噂なんだけど、誰も見た人がいないのよ」
 説明をするメミカ。メースニャカというのは、この辺りの星神の名前だったはずだ。カルバが水の神、メースニャカが火の神、ベルガホルカが風の女神だったと、バルは記憶している。そのメースニャカの神殿が、この地にあることを、バルは前に妖精の少年に聞いていた。そこに、件の召還士であるニウベルグは入っていったということらしい。
「門は絶対に開かないし、今まで中まで入れた人はいない。きっと門で引き返しているはずよ。何かそこで手がかりを掴めれば、私は彼を追いつめられるかも知れない…私、行って来る!」
 ばん!
 ドアを乱暴に開け、メミカが家を飛び出した。
「ちょっと、メミカさん!」
 後を追い、バルが走る。メミカの足は思ったより速く、追いかけるので精一杯だ。大きな通りに出て、角を曲がり、真っ直ぐ、右、真っ直ぐ…もう道を覚えておくことすら出来ない。バルは、メミカの尻尾の先と、ずるずるという音だけを頼りに、メミカの後を追った。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
 メミカは小さな横穴の前で立ち止まった。人1人くらいの高さ、そして横幅くらいしかない、小さな横穴だ。バルはようやく後ろに追いつき、メミカの肩に手を置いた。
「ひゃ!?」
 メミカが驚いて飛び上がる。
「メミカ、さん、足、速すぎ…はぁ、はぁ」
「バル君…びっくりしたぁ」
 荒い息を整えながら、バルが声を絞り出した。メミカは、相手が知った顔で、ほっとしたようだ。
「ここよ。この奥に、門があるの」
 先を急ぐメミカ。バルも後ろに続いた。横穴は、外に比べてとても暗い。洞窟の中にさらに洞窟があるのだから、当然と言えば当然か。少し進むと、広い空間が現れ、燭台に火が灯っていた。
「ああ!」
 メミカが素っ頓狂な声をあげる。そこには、大きな門があった。カルバのピラミッドにあった門と、同じような装飾をされた、立派な門だ。門の右側に、カードを入れるらしいスリットがあるところまで同じだ。その門は、誰かが開いたらしく、半開きになっていた。
「門が、開いてる…」
 呆然と呟くメミカ。さっきの話では、門を開くことは不可能で、中に入った人間はいないということだが、この様子では既に誰かが中に入っている。
「ん…?」
 門の奥、暗がりの中に、バルは何かが佇んでいるのを感じた。とっさにナイフを抜こうとしたバルだが、ナイフも剣も、鞄さえも、さっきライアの家に置いてきてしまったことを思い出した。恐る恐る、目を凝らして暗闇を見つめるバル。そこにあったのは、石像だった。人型に、角が生え、鱗がある。その姿は、悪魔人のような、爬虫人のような、不気味なものだった。
『あれ?』
 バルは、以前同じ物を見たことがある。カルバのピラミッドにも、似たような姿の石像が飾られていた。そのときには、何かのオブジェだろうくらいにしか考えていなかったが、ここにも同じ物があるとなると、何か作為的なものを感じる。
「どう、しよう…きっと、ニウベルグは中にいるんだわ。中に入らないと」
 中を覗き込み、メミカが呟いた。暗闇というのは、恐怖を内包しているものだ。そこに何がいるかわからない状況は、とても恐ろしい。
「ともかく…まず家へ戻って、装備を調えた方がいい、と思う。お茶も淹れっぱなしだから、せめて一息ついてこよう」
 そっとバルが提案する。
「で、でも!こうしている間にも、逃げちゃうかも!」
「待って待って、落ち着いて」
 食ってかかるメミカを、バルがたしなめた。
「今のメミカさんは、落ち込んだり慌てたり、平常な精神とは思えない。そんな状態で、どんな危険が待ちかまえているかもわからない遺跡に入ったら、絶対に痛い目に遭う。それとも、そんな状態でも探索出来るほど、遺跡の探索経験や、戦闘経験があるのかい?」
 少しきつめの口調でバルが言う。
「どっちも、ない…そんな危険なこと、したことないけど…でも…」
 メミカが口ごもる。辛く当たっているかも知れないが、これも彼女のためだ。
「でもじゃない。ほら、一旦帰ろう。俺も、手伝うつもりだけど、剣もナイフも薬さえもない。せめて、武器くらいはないと。ね?」
 バルがメミカの頭をぽんぽんと撫でた。年上の女性相手に、こうするのは、どうも違和感を感じる。でも、相手を落ち着かせるとき、軽く相手のことを触るのは効果的だと、バルは今までの人生で学んでいた。父も、母が取り乱したとき、こうやっていたものだ。
「…わかった。そうよね、慌ててたかも。お茶を飲みに帰りましょう」
 メミカもバルの言うことに同意した様子で、1つ頷いた。


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