貸してもらった部屋に荷物を片づけ、バルはスウと一緒に村へと出た。メミカも村の案内についてきている。村を歩くのに、物騒な剣は必要ない。鞄と、後は何かあったときのためにナイフがあればいい。村はあちこちでお祭りの準備をしていた。多くの店は、祭りで活発に商売をする様子で、多くの商品が置いてある。例えばあるパン屋などでは、祭り特製の菓子パンを作り、限定品と称して販売していた。どの店でも、ラミアの文字と、通常に広まっている文字の2種類で値札がかけてある。
「ここで買っていかないと損するぜ!メイゥギウで職人が丹誠込めた鍛造品がこの値段!」
「安いよ安いよ!早く買わないとなくなるよ!後で後悔しても遅いよ!」
「いらっしゃい!お姉さん、何にする?どれもこれも一級品だ!」
 あちこちで、商人が客引きをしている。観光客らしき人の数も、徐々に増え始めた。宿屋とおぼしき建物には、多くの客が列を成し、宿泊台帳に署名をしている。
「すごいねえ、面白いねえ。これがお祭り?」
「ううん。これはまだ前祭りよ。これから少ししてから、本当のお祭りが始まるの」
「ほんとに?わあ、すごいなぁ」
 スウは軽く興奮している様子だ。あっちにふらふら、こっちにふらふら、見ていて危なっかしいことこの上ない。
「スウちゃん、とても楽しそう。王国の方ではこんなお祭りがないの?」
 向かいから来たラミア女性を避け、メミカが聞いた。
「どうだろう。俺、来てから1ヶ月も経ってないんだ」
「そうなんだ。バル君、王国に来て浅いんだ?」
「う…ば、バル君?」
 呼ばれ慣れない呼称に、バルが一瞬たじろいだ。
「うん。私より年下だから、バル君。変?」
 悪びれる様子もなく、メミカがからから笑った。バルとしては、不快ではないが、なんだか違和感を感じてしまう。バルは現在14歳。バルの故郷では、16歳で成人となるため、これだけの年齢ならば立派な青年だ。だから、子供扱いされているようで、少しだけ納得できない。
『ま…そのうち慣れるかな』
 特に反論もせず、バルはまた歩き出した。
「もうすぐ、神官の人が神様への言葉を言う儀式があるの。それが終わったら、一気に祭りの始まりよ、さらに人が増えるわ。神への供物は、祭りが終わったらみんなに配られて、1年の平和を祈りながら食べるのよ」
 メミカの視線の先には、高めになっている櫓がある。あそこに神官が昇るのだろう。櫓の上では、捧げ物を乗せる台が置かれ、そこには色とりどりの食べ物が置かれている。
「そして、ここが村の一番大きな通り。あの大きな屋敷は、村長の家よ。村長は2年に1度の投票で決まって、あの屋敷に住むの」
 メインストリートの一番突き当たりにある屋敷を、メミカが尻尾で指さした。その屋敷は、貴族にも負けず劣らずの立派なものだった。この広い洞窟村の長が住むにふさわしい屋敷だ。
「今の村長はもう7年も勤めてる。ひげの男の人で、とても公平で優秀だから人望が厚いの。7年前の村長は、この村を王国の傘下に置くことはしたけど、具体的な自治権なんかの話はしてなかったんだよね。それを今の村長が、ちゃんとみんなが納得行く形で収めて、今は王国の庇護の元にみんなが平和な日々を過ごせるようになったってわけ。そういえば…」
 はあとメミカが息をつく。
「村長の娘さんが、最近出てこないのよ。もう2週間になるわ」
「病気とかかな?何か話は聞いてないの?」
「聞かないわね。あの子、前は行動的で、よくうちにも来てたのに、最近になっていきなり顔を見せなくなっちゃってね。少し心配で」
 メミカがえへへと笑う。
「…ところで、スウちゃんは?」
「え?」
 指摘され、バルは初めてスウがいなくなったことに気づいた。さっきまで、飴細工の屋台の前にいたはずだが、今はもうどこにもいない。
「あ、あれ!?スウちゃん!スウちゃーん!」
 バルはすっかり取り乱し、スウを探し始めた。今この場で、スウの保護者代わりなのはバルだ。彼に全責任が覆い被さっているのだから、見失って迷子にするなど言語道断である。一瞬でも目を離したことを後悔し、バルはメインストリートを走った。
 さて、場所を変え、スウにフォーカスを当ててみよう。彼女はバルが村長屋敷を見つめている間に、来た道を少し戻り、脇道へと入って行ったのだ。メインストリートに直角にクロスする脇道にも、多くの屋台や商店が並び、祭りの気配をいっぱいに醸し出している。
「わあ…」
 大きな白い玉が湯気を上げる屋台の前で、スウは立ち止まった。どうやら、刻んだリンゴを練り込んだ小麦の生地を、湯気でじっくり蒸し上げた饅頭のようだ。生地には砂糖がたっぷりと入っているようで、屋台の裏には砂糖とおぼしき大きな布袋が詰んである。生地を練る様子が面白くて、スウはその屋台の前にじっくり張り付いた。
「欲しいのかい?」
 屋台の店主であるラミアの男性が、スウに向かってにっこり笑いかけた。
「うん。これ、使える?」
 ポシェットから布袋の財布を出し、スウが硬貨を見せた。王国で使われている貨幣で、単位はクレジットと言う。Cで表記されるその硬貨は、王国領ならばどこでも使えるはずのものだ。
「ああ、もちろんさ。1つでいいのかい?」
「うん!」
 男ラミアはにこにこと笑い、2つ折りにした紙に蒸し饅頭を挟み、釣り銭と一緒にスウに渡した。スウは饅頭を口にくわえ、財布にお金を入れた。
「お嬢ちゃんもかい?」
 スウの隣に声をかける男ラミア。スウが振り向くと、そこには尻尾の長い、エメラルドグリーンの尻尾と髪をしたラミア少女がいた。ツインテールの髪は肩まで伸び、手を腹の前で組み、所在なさげに屋台の方を見ている。
「あ…わ、私は、いい…です…」
 さささと、その場から逃げるように去る少女。どうにも気になって仕方ないスウは、その後を追うことにした。
「あ…」
 周りを見回し、バルがいないことに気づくスウ。いつの間にか迷子になってしまっていたらしい。だが、今バルを探していたら、少女がいなくなってしまう。スウは、少女の後を追うことを先決とした。
 少女は人の間をするすると逃げていく。そして、村外れの人気ない空き地に入り込んだ。そこには木が数本生え、ベンチが設置されている。少女はベンチに腰掛け、下を向いてはぁと息をついた。
「んー…」
 スウが空き地にこっそりと入り込んだ。少女はスウを見て、はっとした顔をした。
「半分食べる?」
 饅頭を半分に割り、差し出すスウ。湯気がふわりと漂う。ころりと角切りリンゴが落ち、スウはそれを拾って口に入れた。常日頃から、イルコに拾い食いはするなと言われているが、今のは落ちたのを拾ったのだから問題ないはずだ。
「…あり、がと」
 蚊の鳴くような声で礼を言い、少女が饅頭を受け取る。
「お名前は?」
 スウが少女の隣に座り、名前を聞いた。
「…キュリク。あなたは?」
「スウ!スウね、かんこーで来てるんだよ!」
 元気なく返事をする少女と対照的に、スウは大きく声を出した。キュリクと名乗るラミア少女は、その声の大きさに、びくりとした。
「あ…ごめん。驚かせたね」
 スウが声の音量を下げ、キュリクを気遣う。キュリクは何も言わず、饅頭を食べる。
「お祭り、すごいねえ。いっぱい人がいるし、楽しいよね。キュリクもお祭りを見に来たの?」
「…うん…すぐ帰るけど…」
 キュリクは俯き気味に、スウの言葉に小さな声で返事をした。
「どうして?楽しいよ?」
 スウの頭の上に疑問符が浮かんだ。こんなに楽しい祭りだ。まだ本当の祭りすら始まってないのに、帰ってしまうのはもったいない。
「パパがね、家にお客さんが来るから、外に出てなさいって言ったの…私は家にいたいのに…あんなのお客さんじゃない…」
 キュリクが泣きそうな顔をする。
「どうしたの?そんなに嫌なの?」
 スウがおろおろしながら聞いた。他人が泣きそうな顔をしていると、なぜだか自分まで泣きたくなってしまうのだ。
「うん。嫌…ちょっと前に村に来た人で、悪魔人なんだけど、召還士なんだって。毎回パパと話してるんだけど、すごく怖い人なの…」
「怒鳴るの?怒るの?」
「ううん…パパが言うには、不当なことをして利益を要求してるんだって。私、怖い…パパは日に日に困った顔をするし、ママが泣いてることもあった…」
 キュリクの目から、じわ、と涙がこぼれる。スウも悲しい気分になり、俯いた。もし彼女の祖母イルコの元に、同じように怖い人がやってきたら、同じ気持ちになるのだろう。
「パパとママが話してた。恐喝なんだって。目を付けられたのが運の尽きなんだって…」
「きょうかつ…」
 聞いたことのない語句を、スウが復唱した。よくわからないけど、怖い物なのだろう。そのきょうかつが悪者で、やっつけないといけないのだろうか。イルコはよくスウに「世の中を善と悪だけで見てはいけないよ」と言った。きょうかつはどちらかに属する物なのか、それとも善でも悪でもないものなのだろうか。
「村の人に言っちゃいけないんだって、パパが言ってた。魔法使いのライアさんに関係があるから、迷惑をかけちゃいけないんだって…」
「ライア…スウ、知ってる。スウと一緒に来てるバル兄ちゃんが、一緒にライアさんのところに泊まるんだよ」
「そうなんだ…私はよくわかんないけど、ライアさんに迷惑をかけちゃいけないから、私黙ってるの。誰にも言えなくて、辛くて、怖くて…う、うう…」
 ぽたぽたと涙が落ちる。キュリクの流す涙が、ベンチに、土に落ちていく。スウはどうすることも出来ず、キュリクの頭を撫でた。
「…ごめんなさい。見ず知らずのあなたに、迷惑をかけて」
 ひとしきり泣いた後、キュリクが呟いた。
「ううん、知らない仲じゃないよ。名前を知ってるもの」
 安心させたくて、スウはにっこりと笑った。口止めされているという話らしいが、これは何か大事な話のはずだ。バルやメミカ、ライアに話す必要がある。
「お饅頭、ありがとう…じゃあ、また…」
 ずるずると尻尾を引きずり、キュリクが空き地を出ていった。スウも一息ついた後、バルを探すべく、駆けだした。


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