「わあ…」
スウが感嘆の声をあげる。バルは洞窟と聞いていたから、てっきり真っ暗でランプを使わないと光もないような村なのだと思っていた。しかし、洞窟の中は光で溢れている。それもそのはず、高い天井部には無数の穴が開いており、そこには透明なガラスがはめられているのだ。
天井までは人が10人ほど縦に並んだ高さで、天井付近には何本も梁が渡されている。この梁に乗って、採光窓を作る作業をしたのだろう。今は祭り期間だからか、梁からは多くの紙人形が吊されていた。
洞窟内はかなり広い。村というよりは、街と言っていいかも知れない。ラミア族が全体的に多いが、他の種族もそれなりにいるようだ。大きな羽を持った鳥羽人や、黒い肌をしたヒューマンなどがうろついている。これだけの数のラミアを見るのは、バルは初めてだ。
「ようこそ、メイゥギウへ!」
酔っぱらっているらしいラミア女性が、赤子の体ほどありそうな樽ジョッキを片手に、バルとスウに向かって挨拶をした。バルが軽く頭を下げる。
「ついてきてちょうだい」
そう言われて、バルとスウはメミカの後に続いた。村の中は、石で出来た建物が多い。まるで煉瓦のように、同じ大きさに切られた石を積み上げ、硬くなる粘土で隙間を埋めて壁を作っている。時折、木で出来た建物があるが、それらはどれも大きく豪華な装飾をされていた。
「木の家の方が大きいね」
バルが町並みを見回して言った。
「うん。みんな、お金持ちの屋敷よ。みんな、石より木で家を造りたがるの。石の家は長持ちするけど、冷たくて硬い。木の家は良い匂いがするし、気持ちいいのよ」
「うーん、なるほど。この辺りには木も生えてないし、木の家の方が高いのか」
「そうそう。それに、家を修理したり整備したりするのにお金をかけられるっていうのは、その家が豊かに見られるのよ」
「なるほどねえ。見栄みたいなものか」
メミカの言葉に、バルが納得した。一般的には、石より木の方が加工も楽だし、安価なイメージがある。どの国でも、金持ちや貴族は高い石造りの城や屋敷に住んでいた。火事でも燃えない、攻められてもなかなか壊せない石の屋敷は、ある種のステータスだ。だがここでは、逆のようである。
「ただいま戻りました」
ある家の門に入り、メミカが声をあげた。2階建て建築の石の家で、かなりの広さのある家だ。大きな看板が入り口の上につけてあるが、読めない文字だ。
「うむ、ご苦労だった」
門の内側で、木の実を採っている女性ラミアが、メミカの方を向かないまま返事をする。年はヒューマンに換算して30を超えているようだが、その髪は美しい。メミカの髪や尻尾が赤色なのに対して、このラミアの髪は紫色で短く、尻尾も鮮やかな紫色をしていた。
「師匠、お客様です。帰って来る途中、少々世話になりました」
「そうか。うちの弟子が世話になった、ありがとう」
師匠といわれた女性が振り返った。彼女の両目の周りは、白い肌ではなくピンク色だ。アイマスクのようにも見えるそれを見て、バルは言葉を失った。それは傷だった。彼女の両目には、横一直線に何かに切り裂かれた跡があった。その部分の皮膚が剥げているのだろう。ずいぶん古い傷のようで、治ってはいるようだが、皮膚は再生出来なかったようだ。
「私はライア。名字無し、ただのライア。よろしく」
「ああ、よろしく…俺はバルハルト。こっちはスウ。俺のことは、バルって呼んでください」
差し出された手を取り、バルが握手する。さすがはラミアと言ったところか、握力は強く、本気で握られたら痛いどころでは済まないだろう。ライアがちらとスウの方を見た。
「う…」
スウが凍り付いて動かなくなった。ライアから目を逸らし、小さな手をぎゅっと握っている。
「怯えさせたかい。悪いな」
苦笑したライアが頭を掻く。そして、ライアは大きく伸びをした。
「う、うん…」
スウはようやく彼女に慣れたようで、とことこと寄ってきた。
「この人達は、お茶を買いに来たんだそうです。これ、うちでも作ってましたよね?」
ローブのポケットからラベルを出し、メミカがライアに見せた。
「うむ。先月収穫したな。今月は祭りで茶の買い取り業者も来ないし、ご所望とあれば分けてあげてもいい。ついてきて」
ライアが家の扉を開けて中に入る。バルとスウ、そしてメミカは、その後ろに続いた。
「じゃあ、これを…」
鞄の中から、バルが荷物を出し、適当なテーブルの上に置いた。スウも同じく、ポシェットから瓶詰め野菜を出す。
「ありがとう。助かったわ」
手際よく棚に瓶や缶を詰め込んでいくメミカ。それをライアが手伝う。あれだけあった食料は、バルとスウの目の前で、あっという間に片づけられてしまった。
「さて、茶を取ってこようか。君たちはそこら辺でくつろいでいてくれ。メミカも今は休んでいていい」
そういって、ライアが尻尾で指したのは2つのソファーだった。バルはスウと同じソファーに、メミカがその向かい側に座る。ライアは部屋のドアを開け、どこかへ出ていった。
「怖かった?」
メミカがこっそりとスウに聞いた。
「うん…まるでお化けみたい…」
「お化けねえ。言い得て妙だわ。あの傷のことは、師匠は話してくれないのよね」
ぽつりぽつりと言うスウに、メミカが笑う。
「傷があるの?」
スウが不思議そうに聞く。
「うん。あなたも見たでしょう?あの顔の傷」
「ううん、よく見えなかった…」
聞き返すメミカの言葉に、スウは首を横に振った。
「この子はあまり目が良くなくてね。少し離れると全然見えなくなるらしいんだ」
横からバルが口を出した。洞窟内はそれほど暗くはないのだが、外に比べれば多少は暗い。スウとライアの間には少し距離があったし、傷が見えなくても不思議ではない。
「なんだかね、威圧的だったの。すっごい大きい動物みたいな…」
その様を思い出したらしく、スウが身震いをした。
「うーん…私を叱りつけるときには、威圧的なこともあるけど、さっきはそれほどでもなかったしなぁ…だいたい、師匠は怖いんだよ。何考えてるかわからないし…」
「ほう。そう思っていたのか」
「え?」
声がして、メミカがばっと振り向く。瓶詰めの茶葉を持ったライアが、部屋に入ってくるところだった。ばたんと音がしてドアが閉まる。
「いえいえ、あの、違うんですよ。何考えてるかわからなくて、ミステリアスだし、素敵だなって…ほ、ほら。村の男の人にも人気じゃないですか」
必死になって言い訳をするメミカだが、残念なことに彼女の言い訳はプラス方向の効力を持たないらしい。ライアの顔が険しくなる。
「う…」
睨み付けられたメミカは、しょんぼりして静かになった。尻尾の先がひらひらと揺れて落ち着かない。
「…まあ、いい。バルさん、こちらが茶葉になる。もう1ヶ月は乾燥発酵させたし、いい具合になっているはずだ」
ことん
瓶を置き、ライアが言った。
「発酵させてるんですか?」
「ああ。茶葉にも色々あって、この種類は発酵させた方が美味しいんだ。この村では、同じやり方で同じ品種の茶を作っている農家が、私達の他にもあってな。この茶の錬成法は、伝統的製法なんだ」
「へぇ…」
瓶の中を覗き込むバル。この灰色は、発酵して出来た色なのだろうか。バルはよく茶を飲む人間ではあるが、それがどんな作られた方をしているかということについて、詳しい知識は持たなかった。ここで初めてその仕組みを知ったというわけだ。
「これ、お代は…」
「いいんだ。これぐらいなら大して損にもならない。もし足りないようなら、もう少し出して来ようか?」
「いえ、いいんです。ありがとう」
バルは拍子抜けしてしまった。ロザリアが言っていた値段はそれなりに高かった。バルはこの茶を手に入れるために、ロザリアからかなりの金銭を預かってきていたのだ。月夜亭に戻ったら、このお金は全て返さないといけない。
「そうだ。メミカ、前庭にある雨桂樹の実を少し採っておいてくれ。今夜からの祭りで入り用になる」
「はい、わかりました」
ライアに言われたメミカが、尻尾を引きずって表へと出ていった。
「雨桂樹…」
聞いたことのない名にバルが首を傾げる。
「魔力を秘めた低木だ。実をすりつぶした汁を瞼に塗ると、一時的に視力が良くなる。雨が降る日に、1枚だけ青く変わる葉があり、それはかなり高価な魔法材料になるんだ。食べても美味い実で、供物として奉納するために必要なんだ。この辺りでは一般的な植物だよ」
窓の外を指さすライア。外では、先ほどライアが実を摘んでいた木で、メミカが実を摘んでいる。
「う…」
そのメミカから隠れるように、スウがバルの後ろに回り込んだ。バルにはそれがなぜだかわからなかったが、ライアには理解出来たようで、軽く笑った。
「あの雨桂樹は、実を採るとその切り口から魔力がだだ漏れになる。通常の人はそうでもないんだが、生まれついて魔法に大して鋭敏な人は、強いプレッシャーを受けるんだよ。この子が怯えたのは、私ではなく木に対してだったんだな」
「ああ…」
バルもようやく理解した。スウのセンシティブな感覚が、あの木の流す魔法力を感じ取り、理由のわからぬいきなりのプレッシャーに怯えていたのだろう。
「じゃあ、お姉ちゃんが怖いわけじゃないの?」
理解出来ないまでも、だいたいはわかったようで、スウが聞く。
「ああ。大丈夫。怖がる必要などないさ」
安心させるように微笑みかけるライア。最初はとてもインパクトの強い目の傷だったが、少し経って見慣れてみればどうということもない。呪いにより、腕が木や石になってしまった人々などに比べれば、まだ個性の範囲で済む。
「そうだ。せっかく茶葉を出したのだから、召し上がっていただこう。今用意をするよ」
炭を持ったライアが、居間から通じている台所へと行った。そこにある簡易な竈に炭を入れ、火起こし石で火をつける。上に鍋を置いたライアは、近くのカメから柄杓で水を掬い、鍋に入れた。
「バルさんとスウちゃんはどこに泊まるか決まっているのか?」
ティーカップとティーソーサーのセットを出し、ライアが聞いた。
「いえ。茶を手に入れた後のことは全く考えてなくて…適当に観光した後は、今日中に帰ってしまおうかと思っていました」
バルは、ローチェストの上に置いてある機械式時計をちらと見た。時間は4時を少し回っている。この機械式時計は、某技術大国で発明された品だ。と言っても、そこの遺跡で発見された機械式時計を改造生産したものなので、正確には発明というよりは発掘品かも知れない。今では原理も知れ渡り、精密な仕事を生業とする機械技師などが、かなりの時間をかけて生産している。全般的に、かなり高級な代物である。
「それはもったいない。今日から2日ほど、お祭りがあるんだ。今時期に来て、見ていかないのは損だよ。今から王国に帰ったら、早くても夜中だ。どうかな、うちに泊まって行っては」
湯の鍋の様子を伺いながら、ライアが問う。どうしようか悩み、バルが頭を掻いた。
「初対面の相手に、どうしてそこまで親切にしてくださるんですか?」
「なに。へんぴな村の魔法使いを訪ねてくる客も無く、人恋しかっただけさ。メミカも世話になったし、礼をしたい」
微笑むライア。ちらりとスウを見て、バルは悩んだ。彼女には保護者もいるし、あまり長い間外を連れ回すのは得策ではないだろうが…。
「スウなら大丈夫だよ。1日くらいならば、おばあちゃんもわかってくれるよ」
そんなバルの心を見透かしたかのように、スウが言った。彼女がそういってくれるならば話が早い。
「泊まっていきます。ありがとう」
バルはライアの家に泊まっていくことに決めた。正直なところ、バルもお祭りを見て行きたかったのだ。宿の心配さえ解決するならば、1日ここでお祭りを楽しんでいってもいいだろう。
「うむ、それがいい。後で部屋に案内しよう。今は、お茶をどうぞ」
鍋を取り、ライアがポットに湯を注いだ。ポットからいい匂いが立ちこめ、部屋の中いっぱいに広がった。
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