「着いたぜ。俺達が来られるのはここまでだ」
 山の中腹辺りで、平らになった空き地に、馬車が停車した。空き地の向こう側、山肌に大きな洞窟が見える。あれがトリャン山の銀鉱山だ。穴の前には、ロッジハウスが数戸並んでおり、坑夫達のバルは馬車から降り、うーんと伸びをした。街の中とは空気の匂いが違う。横に座っていたスウも、自分のポシェットを首から下げて、バルと一緒に降り伸びをした。
 バルとスウが宿に戻ったとき、ちょうど宿にはイルコが来ていた。バルが荷物を取りに部屋へ戻っている間に、スウはイルコに、バルと共にトリャン山へ行くと言い始めた。どうやら彼女は、ラミアの集落のお祭りというのを見たかったらしい。イルコは強く反対をしたが、ロザリアが「バルハルトさんと一緒ならば大丈夫でしょう」と言い、バルが戻ってきたころにはスウも共に山へ行くことになっていた。バルとしては、スウはまだ小さな子供だし旅慣れしていないし、連れて行きたくなかった。だが、彼女の大きな瞳が、バルに期待を込めた熱い視線を送るのを、無碍にすることも出来なかった。結局、バルとスウは馬車に乗り、トリャン山へ行くことになったのだ。
「ありがとう、助かったよ」
「いいんだいいんだ。タイミングさえ合えば、下山の時も乗せてやるよ」
「うん。そのときにはまた来るよ」
 御者をしていた男に、バルが軽く手を振った。
「そっちに行けば、山頂への道に繋がってる。メイゥギウに行きたいんだったら、途中の看板に従ってくれ」
 道具の手入れをしていた坑夫が、上り坂になっている方の道を指さした。バルは彼に礼を言い、そちらの方へ登り始めた。
 道のサイドには、背丈の低い木がまばらに生えていた。草はそれほど生えていない。土というよりは砂の地面で、植物が生きて行くにはあまりいい環境ではないのだろう。
「キィィィ」
 剣呑な声を聞き、バルが剣に手をかけた。一見、ウサギのようなその生物は、首の回りにふわふわの毛が生えていて、耳が小さい。ウサギとネズミの間のような魔物であることを、バルは知っている。この生物は臆病で、人に危害を加えることはあまりない。バルが地面を踏みならすと、ネズミはその音に驚き、慌てて逃げていった。
「あれぐらいならかわいいのにね」
 スウがネズミの後ろ姿を見送って言う。確かに、あれぐらいならまだかわいい。この国に来てから、敵意丸出しの魔物ばかり相手にしているが、たまに危険ではない魔物を見ると安心する。
 2人は他愛ない話をしながら、山を登っていった。空模様の話、この国の昔話、スウの勉強の話に、バルが見た様々な国の話。特に、この国に来る前に見た街の話には、スウはとても食いついた。この国の配下である小さな街で、主に布製品を作って輸出することで成り立っている街だ。スウは、将来は服屋になりたいのだという。そんな彼女が、この話に興味を持つのは、自然な流れだった。
「スウねえ、縫い物が好きなんだよ。この熊も、自分で縫ったんだよ」
 そういって、スウはぶら下げていた小さな熊のぬいぐるみを見せた。彼女の髪と同じ、青い色の布だ。幼い少女が作ったとは思えないほどきれいで、かなり上手な部類に入る。店に並んでいてもおかしくないほどの品だ。
「上手いな。イルコさんに習ったのかな?」
「ううん。本を借りてきて、自分でやったの。今お家で、ワンピースを縫ってるの」
 嬉しそうに言うスウ。魔物や不穏な影など全く関係なく笑う彼女を見て、バルは心が和むのを感じた。特に危険な生物もいないし、のんびりした旅路だ。今だけは、緊張を置き去りにしてもいいだろう。
「しかし、かなり長いなあ。本当にこっちで合ってるのかな」
 バルがずんずんと山を登る。途中には看板も標識もないし、この道で合っているのか不安になってしまう。
「お兄ちゃん、疲れた?」
「まだ大丈夫。でもそうだね、もう少ししたら休もうか」
 スウのペースに合わせてゆっくり行こうと思っていたバルだったが、なかなかどうしてスウは足が速く、ともすればバルの方が置いて行かれそうになる。
「平和だなあ…」
 空に浮かぶ雲を眺めて、バルが呟く。昔はよく、雲の形が何に見えるかなどという話を、村の友人達としたものだ。彼らは今元気にしているのだろうか。
「ん?」
 スウが何かを拾い上げた。街で売っているマーマレードジャムの瓶だ。新品で未開封、こんなものがなんで落ちているかわからない。
「これも…」
 今度は塩漬け肉の瓶詰めだ。ピクルスもある。それだけではない。異国から来たらしいチョコレート菓子や、美味しそうなクッキーの袋など、様々な食料品が転がっている。バルはそれを拾い集め、1つ1つ鞄に入れていった。
「あ…」
「どうかしたかい?」
 道から外れた林の向こうにスウが目を向ける。そこにいたのは、地面に落ちた缶や瓶を拾い集める、若いラミア女性の姿だった。赤いローブのような服を着て、長く赤い髪が特徴的な彼女は、心底困った表情で、あちこちに散らばった物を集めていた。集められて出来た山には、背負い鞄が置いてあったが、底に大きな穴が開いている。
「あの…」
 バルが近寄って声をかける。ラミアの女性はびくっとして、バルの方をさっと振り向いた。
「あの、もしかしてこれは、あなたのですか?」
 鞄から瓶詰め食品やお菓子を出し、バルが見せる。
「ああ!そ、それ、私のです!ごめんなさい、ありがとう!」
 お礼を言いながら、ラミアが瓶を受け取った。そして、物を集めてある場所に、それを置いた。
「手伝うよ。困ってるようだしね」
 また落ちていた缶詰を拾ってきたバルがラミアに言った。スウはと言えば、どこから出したのか、針と糸と布を使って穴の開いた鞄を修理し始めた。
「ありがとう、見知らぬ私のために…」
 ラミアが何度も何度も頭を下げる。
「俺はバルハルト。この子はスウ。あなたは?」
「私はメミカ。メミカ・エニース」
 メミカと名乗るそのラミア女性は、またお辞儀をした。
「今晩からお祭りだから、街へ買い出しに出かけていたんだけど、鞄が破けちゃって…本当に助かるわ、ありがとう」
 メミカがにっこりと微笑む。物の量を見て、バルは納得した。瓶詰めや缶詰ばかりで、彼女の持つ鞄には重すぎるのだ。底が破れないにしろ、紐がちぎれたり金具が壊れたりしていてもおかしくはない。
「お祭りがあるって聞いてたけど、今晩からだったのか。早く帰らないと大変だね。ここから村は遠いの?」
 集めた缶や瓶を仕分けしながら、バルがメミカに聞く。
「ううん。あんまり遠くないわ。後少し」
 散らばっている小物にメミカが手を伸ばす。バルは、ラミアを見たのは生まれて始めてだった。上半身を持ち上げ、下半身の蛇胴の部分で器用に前に進む。彼女の鱗部分は赤く、腹は白い。擦れたりしないのか、バルは少し気になったが、器用に下半身をくねらせるので、そんな心配はいらないようだ。
「うーん」
 鞄に針を指し、スウが悩み込む。どうすれば見目きれいに直るか、画策しているようだ。布の端切れをあっちに当てたりこっちに当てたりしている。その目は真剣そのもので、一流の服職人にも劣らない。
「あなた達はお祭りを見に来たの?」
 ほぼ全ての物を集め終わったらしい。瓶を数えながら、メミカが聞いた。
「それもあるけど、お茶を買いに。メイゥギウでしか採れないお茶らしくてね」
 バルが、瓶からはがして持ってきたラベルを、メミカに見せた。
「ああ、このお茶?私の家で栽培しているのよ」
「本当に?ああ、運が良かった。是非とも売って欲しいんだ」
「お世話になったし、少し分けてもいいわ。師匠がどう言うかだけどね」
 バルの言葉に、メミカがいたずらっぽく笑った。
「師匠…何かの職人さん?」
「職人じゃないわ。私、一流の魔法使いを目指して、魔術師の師匠の元で修行をしているの」
 バルが首を傾げて聞くと、メミカが答えた。なるほどと、バルは思った。ラミアは魔力の高い種族で、魔法使いを目指す者も多いと聞く。魔法使いの需要は多い。魔力を使い家政婦などの仕事をする人間もいれば、従軍魔導士として傭兵になる者もいる。メミカは恐らく前者だろう。戦士や傭兵に共通する、攻撃的なところが全く見られない。
「このラベル、預かるわ。後で師匠に聞いてあげる」
 ローブのポケットにラベルを入れ、メミカがにっこり笑った。
「出来たよー」
 タイミング良く、スウが鞄の修理を終えた。鞄の縫い目はとてもきれいで、まだ長い間保ちそうだ。
「ありがとう、助かったわ!」
 メミカがぱんと腕を鳴らした。鞄に瓶を入れようとメミカが腕を捲ると、魔法文明時代の物と思われる腕輪をしていた。バルは、その腕輪に見覚えがあった。
『カルバの、遺跡で…』
 バルは1週間ほど前、ランドスケープ王国の北に位置するマーブルフォレストという森で、商人を助けた。そのとき礼にもらったのが、似たような形をした腕輪だ。その腕輪は、カルバ遺跡の最深部で、魔法の指輪を手にするときの鍵に使用した。これもあるいは…。
「…とっ」
 腕輪から目を離し、バルはメミカの手伝いを始めた。早く片づけないと日が暮れてしまう。3人で、鞄に食品を詰めると、すぐに片づき始めた。
「この量じゃまた破れちゃうよ。スウがこっちに少し入れてあげるね」
 そう言って、スウはポシェットに物を入れ始めたが、元々小さなポシェットにはそれほど入らない。
「俺の鞄も使うよ」
 自分の鞄を開いて、バルが物を入れていく。そこで、はっと気が付いた。世の中には悪い奴らがいるもので、こうして手伝うふりをして盗みを働く者もいると言う。自分がそういう人間だと思われないか、少し不安になったのだ。
「ああ、ありがとう。何から何まで…」
 だが、メミカはそんな発想すらないようで、素直に礼を言った。バルはほっとして、メミカの鞄に入りきらなかった缶などを自分の鞄に詰め込んだ。この女性は、ありがとうとごめんなさいが多すぎる。不快ではないが、少しこそばゆい。
「じゃあ次は、私がお礼をする番ね。メイゥギウに行くんでしょう?案内するわ」
 蛇の尻尾を引きずり、メミカが山道を登り始めた。バルとスウはその後ろをついていく。メミカの行く方向を見て、バルは自分の歩いていた道が間違いではなかったことを知り、ほっとした。
「ここから本当に数分でメイゥギウに着くわ。今はお祭り前だから、人も多いの」
 メミカが道を曲がると、大きな道に出た。商人らしき姿や観光客らしき旅人が、ちらほらと山道を昇っている。どうやら、この道が隣国とランドスケープ王国を繋ぐメインの道のようだ。鉱山はここから少し外れたところにあるようで、バルとスウはこの道へ戻るような道を歩いていたのだろう。
「看板があるねえ。おじさんが言ってた案内の看板ってこれだね」
 道のサイドにある木の看板を見るスウ。看板には、この先山頂へ続くと書いてある。
「ほら、あそこよ」
 先を行くメミカが、上の方を指さした。少し行ったところに、大きな洞窟が口を開いていた。上からは大きな板がぶら下げられていて、読めない文字が書かれている。恐らく、村の名前が書いてあるのだろう。入り口には、蛇腹状になっている革鎧を着たラミア男性が、槍を持って立っている。彼がこの村の門番のようだ。メミカ、スウと共に、バルは村の中に入った。


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