その店は、月夜亭から少し歩いたところにあった。店の中には、様々な種類の茶葉やコーヒー豆が置いてあった。一般に飲まれている物や、海の向こうからやってきた物、長い間熟成させた物や、軽く炒って風味をつけた物。たかだか茶とコーヒーだと言うのに、その種類はバルとスウの手足の指数を合わせたより多い。どうやらここでは、茶を注文してその場で飲むことも出来るらしく、奥の喫茶スペースではヒューマンのカップルがコーヒーを飲んでいた。
「うーん。この種類の茶はもうなくなってしまったねえ」
 店に立っていた老齢の男性店主が、バルの差し出した瓶を見て唸った。
「いつごろ入るというのはわかりますか?」
 店の中をたかたか走るスウをたしなめ、バルが問う。
「わからないなあ…このお茶は、トリャン山から来るお茶でね。いつこちらに来るか、把握出来ないんだ」
「トリャン山?」
 聞いたことのない地名を、バルが復唱する。
「この地図で言うと、ここだ。南側」
 店主が、壁に飾ってある地図を指さした。国の南側に、大きな山が1つある。そこには、トリャン山と文字が書いてあった。国に近い方には、トリャン鉱山という文字もある。バルは街で、何度か坑夫らしき男達を見たことがある。恐らく、彼らがこのトリャン鉱山で働いているのだろう。以前耳に挟んだ話だと、この国では良質な銀が産出するそうだ。きっとこの鉱山のことだろう。
「このお茶はなかなかに特殊な物でね。日陰でなおかつ寒いところに育つんだ。この山の、鉱山より山頂に近いところに、少数民族の住む村がある。そこの洞窟で栽培しているんだよ」
 すすす、と店主の指が下がる。そして指は、山頂近くにある、メイゥギウという村で止まった。
「少数民族がいるんですか。妖精とか…」
「んや。下半身は蛇で上半身が人という種族だ。一般には、半蛇族とかラミア族とか呼ばれている。この国の傘下にある、平和な村だよ」
 ラミアという言葉に、バルは少し驚いた。ラミアは、妖精などに比べたら数は多いが、獣人や悪魔人や鳥羽人と比べたらかなり少ない民族だ。爬虫人と相性が良く、魔法に長けた力強い種族である。男女比率は3対7で、女性の方がかなり多い。ラミアと他種族に子供が産まれた場合、多くは下半身が蛇尾ではなく2本足になるため、半ラミアはラミアらしさを残さない。
「いつもは、1ヶ月に2度ほどメイゥギウから商人が来る。でも、今月はまだ見かけてないね。山から下りて来られない理由があるのかねえ」
 店主は、窓の外をぼんやりと見つめた。大きな通りには、多くの人が歩いているが、ラミアの姿など見えない。時折、蛇のような肌を見ることはあるが、それは全て爬虫人だ。
「そのメイゥギウという村には、どんな物があるんですか?」
 それとなしにバルが聞く。ラミアの集落など、今まで旅をしてきた中で見たことはない。とても面白そうだ。
「そうだねえ。この街より規模は小さいが、かなりいろいろな店があるよ。あのトリャン山の向こうには別の国があってね。このランドスケープ王国と交易もあるんだが、向こうからこっちに来る旅人や、逆にこっちから向こうへ向かう旅人が、中継地としてその村を利用するんだよ」
「ということは、宿場村のような感じですか?」
「大体はそんな感じだ。あの村の店では、あそこで栽培している特殊な植物や、あそこで作る良質な金属加工品を売っている。この店で使っている鍋も、メイゥギウで作られたものなんだよ」
 湯沸かし鍋を取って見せる店主。店内で出す茶やコーヒーを淹れるための鍋だろう。錆びない鋼を用いて作られた、とても丈夫な鍋だ。
「あのね、おばあちゃんがね、ラミアの人は今月にお祭りがあるから、忙しいんだって言ってたよ」
 置いてある袋を眺めていたスウが、くるりと店主の方を向いた。
「イルコ婆さんが?そうか、あの人のところには噂が集まってくるから、祭りのこともお客か誰かから聞いたんだろうな。ということは、来月は今月分と併せて、通常の倍の商品が来る」
 納得顔で店主が頷く。バルははたと困ってしまった。今すぐどころか、今月中にこの茶を入手するのは少々困難なようだ。
「このお茶、どこか他の店で手に入りますか?」
「この辺りで仕入れてるのはうちくらいのもんだ。もし今日明日に必要だという話ならば、悪いが山を登ってもらうしかないな」
 バルの問いに、店主が苦笑気味に返した。
「そうですか…わかりました。ありがとう」
「ばいばい」
 バルはスウの手を引いて店から出た。手に入らないとなると欲しくなるのが人間だ。バルは早速、口の中に残るこの茶の味が欲しくなってきた。タイミング良く、ラミアの商人がここへとやってこないかなどと、虫のいいことを考えてしまう。
「山に行くの?」
 バルの顔を見て、スウが首を傾げた。
「うーん、どうしようかな。面白そうだし、行ってみるのもいいかもね」
「うん。じゃあ、こっち!」
 スウがたかたかと駆けだした。いきなり駆けだした少女の後ろを、バルが慌てて追いかける。彼女は目が悪いし、誰かにぶつかったら大変だ。だが、スウは誰にもぶつかることなく、小道をすいすいと通っていく。
「ここ!」
 小さな広場の前でスウが立ち止まった。そこには数台の馬車があり、数人の坑夫がたむろしていた。それぞれ、大きなつるはしを馬車に乗せたり、タバコを吸ったりと、思い思いのことをしている。
「おーじさーん!」
 その中に、スウが走っていく。
「おお、スウ」
「今日は婆さんは一緒じゃないのか?」
 坑夫達は、スウを見て、顔をほころばせた。どうやら、かなり仲がいい様子だ。坑夫の1人が、スウを抱きかかえて高く持ち上げると、スウは楽しそうに笑った。
「そっちの兄さんは?」
 バルのことに気が付いた1人が、スウにバルのことを聞く。
「あのね。お友達の宿屋さんに泊まってる、バルハルトっていう人で、トリャン山に行きたいらしいの」
 スウがバルのことを紹介した。バルは、少し気後れしながらも、近寄ってお辞儀をした。
「そうかい。後30分くらいしたら、山へ行く馬車が出る。乗っていくかい?」
 老いた坑夫がバルに聞いた。渡りに船とはこのことだ。ラミアの集落などという珍しいものが見られるし、見聞も広がる。ついでに茶も仕入れてこれば、ロザリアも喜ぶことだろう。
「それじゃ、準備をしたら、乗せてもらっていいですか?」
「ああ、いいとも。ちょうどいいタイミングだし、スウちゃんの紹介なら断れるはずもねえや」
 おずおずと聞くバルに、坑夫が快活に笑った。
「スウちゃんのお婆さんのイルコさんは、俺らの事故に関する占いをしてくれるんだ。だから、とても仲がいいんだ」
 坑夫の言うことに、バルは納得した。鉱山に行き穴を掘るというのは、非常に危険な仕事だと聞いている。天井の地層が不安定ならば落盤も起きるし、地下水が吹き出しておぼれることもある。ひとたびガスが吹き出したら、それを吸って死ぬことはあるかとか、引火して爆発しないかとか、いろいろなことを考えなければならない。そんな中で、占い師に危険を予知してもらえば、無駄に命を落とすこともなくなるのだろう。
「それじゃあ、準備が出来たら俺に言ってくれ。それまで馬車を待たせよう」
 にっかりと笑う坑夫。バルは礼を言い、荷物を取りに宿へと駆けだした。


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