「…な、なんですの、あれは…」
「そんな、さっきまであんなの…」
 広間に戻った2人は、宙を見て固まった。そこを飛んでいたのは、巨大な翼竜だった。大きさは人間が腕を広げて3人分程度、赤と紫の入り交じった不気味な模様をしており、頭には2本の角が生えている。口から火の粉が散っているところから、この翼竜が火炎を吐き出すということがよく理解出来た。
「竜ってやつか…俺、初めて見ました」
「ワタクシもです。そんなに数がいる魔物じゃないのに…珍しいわ」
 敵意のない竜であるならば、このままやり過ごせるのではないかとバルは考えていた。生物型の魔物ならば、まだ話が通じる相手もいる。が、しかし。
「ギャアアア!」
 翼竜は、餌を見つけた鳥のような顔をして、一声鳴いた。鳴き声の振動が、バルとシンデレラの体を揺るがす。どうやら、この翼竜は、2人のことを餌か敵かとして認識した様子だ。
「にっ、逃げ…」
 ズガン!
「あ!」
 天井から落ちた岩の塊が、出口を塞いだ。岩をどかせないことはないだろうが、かなりの時間が必要だろう。そんなことをしている間に、2人とも火炎で死ぬことは目に見えている。
「…戦いましょう。それ以外、道はありませんわ」
 シンデレラの声が震えている。尻尾を見れば、怯えているのが一目瞭然だ。バルだって怖くて逃げ出したいが、ここでパニックになっても翼竜が消え去るわけではない。ナイフなどでは、大きなダメージを与えることは恐らく無理だ。バルは、上階で剣を手に入れた幸運を、神に感謝した。
「キャウウウ!」
 まるで大砲の弾みたいなスピードで、翼竜が地面に突っ込んできた。バルとシンデレラが、その場から散って避ける。
 ズガガガン!
 翼竜の角が、床にぶつかり、へこみを作った。振動で、バルが膝を折る。翼竜は、羽ばたいて浮かび上がり、距離を取った。
「うおおっ!」
 剣を振りかぶり、突進するバル。その動きを読みきった翼竜は、飛び上がってバルをひらりと避けた。勢い余ったバルが、振り下ろした剣を床にぶつける。
 ドスッ!
「ギャアア!」
 翼竜の羽に、矢が突き刺さる。バランスを崩し、墜落する翼竜。その隙に、バルは剣を腹に打ち込んだ。
「ギャウ!」
 悲鳴を上げる翼竜。羽を振り回し、バルのことを振り払おうとする。バルはそれを、地面に転がって避け、細い足に剣を振り下ろした。
「ギャアアア!」
 翼竜の足から鮮血が飛び散る。怒り狂ったその足が、バルの体を蹴り飛ばした。
「ぐっは!」
 バルは吹っ飛び、背中から床に転げ落ちた。この世界には、ドラゴンに蹴られる、という慣用句がある。曰く、何か大きな物に衝突されたり、高いところから落ちたりした人間が、強い衝撃で傷を負ったときにこの言葉を使う。いくら魔物が徘徊しているとはいえ、ドラゴンというほどに大きな翼竜や爬虫類などはそんなに見られない。半ば伝説化された、実体のない物をドラゴンと比喩することもある。だが、バルは今比喩ではなく、本物のドラゴンの蹴りを受けている。その言葉の意味を、バルは身をもって知った。
「うっ…」
 剣を床に突き立て、なんとか立ち上がるバル。向こう側で、シンデレラが矢を撃っている。矢を避けながら、そのシンデレラの動きをトレースするように、翼竜が首を左右に振っている。恐らく、さっきのような突進でシンデレラをしとめるつもりだ。
「させるかっ!」
 剣を振りかぶり、後ろから翼竜に突っ込むバル。振り下ろした剣は、翼竜の尻尾を縦に切り裂いた。
「ギャアアアアアア!」
 突然の背後からの攻撃に、翼竜が叫んだ。バルがまだ生きているとは思っていなかったのだろう。尻尾をめちゃくちゃに振り回すのを、バルが剣で防いだ。
「くうっ…まともに相手してては、ワタクシ達では勝てませんわ。何か手を…」
 翼竜の尻尾を避け、シンデレラが転がる。
「姫様、上を見てください!」
「上?」
 バルの言葉に、シンデレラが天井の方を向く。高い天井からは、砂や石が何度も落ちてきていた。その中に1枚、今にも落ちそうになっている床石があった。かなり大きな岩で、人間が直撃したら死は免れないほどの大きさだ。
「あれをこいつの上に落とすんです!姫様の弓で、なんとかなりませんか!」
 ドスッ!
 突き刺さりそうになった尻尾に、突きを打ち込み、バルが叫んだ。
「やってみます!」
 弓を構え、矢を岩に向けるシンデレラ。彼女に翼竜の注意が行っては大変だと、バルはわざと翼竜の正面に回り込んだ。
「うぉら!」
 ガギィ!
 バルが翼竜の顔めがけて、剣を振るった。剣は角にぶつかり、硬い音を立てた。
「ギャウウ!ギャオウウウ!」
 その大きな口が開き、バルの方を向いた。バルは本能的に危険を感じ、とっさにシンデレラと反対の方向へ逃げた。
 ゴオオオオ!
 さっきまでバルがいたところに、高熱の火炎が吹きかかった。岩を溶かすほどではないが、獣人1人を炭にするには十分な火力だ。
「ギャア!ギャア!ギャア!」
 ゴォッ!ゴォッ!ゴォッ!
 翼竜が雄叫びをあげるたびに、火炎がバルに向かって襲いかかる。バルはまっすぐ、振り返ることなく走り、火炎を避けた。
「だああああ!」
 逃げながら、バルはぐるりと向きを変え、翼竜の腹めがけて突っ込んだ。翼竜が羽を広げ、飛び上がる。足の間をくぐったバルは、すれ違いざまに剣で尻尾の付け根を斬りつけた。
「ギョアアアアア!」
 苦しげに呻く翼竜。バルを踏みつけようと、地に体を落とすが、バルは足の前の方に転がり込んで無事だった。バルは剣を振るい、翼竜の腹を何度も斬りつけた。そのたびに、翼竜の体が震えるが、皮膚をいくら切り裂いてもなかなか肉まで剣が届かない。
「ギャア!」
 ゴォッ!
 火球が高速でバルに迫る。剣を振るっていたバルは、一瞬反応が遅れた。
 ボォン!
「ぐあ!」
 まるで火山弾でもぶつけられたかのように、バルが後ろに吹っ飛んで転がった。服が一部焦げ、ぶすぶすと煙を出している。剣は手から落ち、バルは腹を強く打った。
「グルルルルル」
 形勢が有利だと感じたのだろう。翼竜は、足音を立てながら、バルの近くに歩み寄った。
 ドスゥッ!
「ぎゃあああ!」
 その大きな足が、バルを踏みつけにした。この翼竜が、どれだけの重さなのかはわからない。だが、それが体にかかっているこの状況は、バルにとってとても危険だ。彼は一介の旅人であり、ウェイトリフターでも屈強な戦士でもない。
「どけっ、このっ!」
 なんとか腰に手を入れ、ナイフを抜いたバルは、何度も翼竜の足を切った。翼竜は、痛そうなそぶりこそ見せるものの、足をどかす気配はない。背中に、ぬるっとした感触が走り、バルは血を出したかと顔を青くした。しかし、出血したにしては痛みもないし血の匂いもしない。どうやら、傷薬の瓶が、背負い鞄の中で割れてしまったらしい。これを損害だと考える暇すら、翼竜は与えてくれない。
「バルハルト!」
 シンデレラは、バルが危機に陥っているのを見て、弓を翼竜に向けた。
「俺は、いいん、です!それより、岩を!」
「で、でも…」
「早く!もう、いつまで、耐えられ、るか…あああ!」
 バルの中で、骨がみしみしと音を立てる。内蔵が口から飛び出そうだ。
「でも…ああ…み、見捨てておけませんわ!」
 ひゅがっ!
 矢を放つシンデレラ。その矢は、翼竜の後頭部に突き刺さった。
「ギョワアアア!」
 バルの上から、翼竜が足をどけた。バルは、つぶれてしまった肺に必死に空気を送り込む。起きあがったバルが見たのは、部屋の隅に追いつめられたシンデレラと、それに向かって火を噴こうとしている翼竜だった。
「こぉの!」
 バルはとっさに、足下にあった中で一番大きな岩を投げつけた。煉瓦程度の大きさの岩は、翼竜の背に当たった。
「ギャア!」
 翼竜が驚き、火球を壁に向かって撃ち放つ。火球は跳ね返り、天井からぶら下がる、矢の刺さった岩に当たった。
「バル、岩が落ちそうです!」
 シンデレラの声で、バルは天井を見た。シンデレラの矢ではびくともしなかった岩が、ぐらぐらと動いている。抜けそうな乳歯のようだ。
「姫様、こっちへ!」
 バルが手を差し伸べる。シンデレラは翼竜の足を迂回し、大きく回ってバルの方へ来た。翼竜が、その素早い動きに翻弄され、振り返ろうとしたが、部屋の角に近い位置のせいで大きな羽と尻尾が邪魔になる。
「後少し、後少しなんだ…」
 バルが歯がみをした。岩はぐらぐらしてはいるが、今すぐ目の前の翼竜へ落ちるということもない。矢では足りない、あと少しの衝撃が欲しい。
「バルハルト、箱のような物が…」
「え?」
 天井から落ちてくる砂利に混ざって、何か箱のような物が落ちてきた。転がったそれを、手に取るバル。黒い6面体。上にはピンが刺さっていて、鎖がついている。バルはそれに、見覚えがあった。
「13階の悪夢だ!何でここに…」
 以前、巨大な狼に奪い去られた、13階の悪夢。古代遺跡からの出土品で、大地神の力の一部が込められているというそれは、本気で力を必要としている者が祈ると力を得ることが出来るという。それがなぜか、今バルの手に舞い戻った。もうこれに頼る他ないという、神の思し召しだろうか。
「今度こそ、頼む!ううううう!」
 バルは犬のように唸り、13階の悪夢を握りしめて祈り始めた。
「ば、バルハルト?」
「姫様も祈ってください!力が必要だって!そうすれば、この13階の悪夢が、力を与えてくれるって聞いてます!」
「わ、わかりましたわ!」
 バルの手を上から握り、シンデレラも祈る。シンデレラの肉球からしみ出した汗が、バルの手の甲にしみこんでいく。だが、どれだけ祈っても、13階の悪夢は力を出す様子を見せなかった。
「あ、あああ!」
 シンデレラが泣きそうな声を出す。翼竜は、こちらを向き、ふんと鼻を鳴らした。バルとシンデレラが祈っているのを見て、怯えてすくんでしまったものだと勘違いしたらしい。どうやら、この翼竜は、しっかりと焼けたミディアムステーキがお好みのようだ。口の中に、今までより大きな火炎を溜め始めた。
 ゴオオオオオオオウ!
「きゃあああ!」
「うわああああ!」
 巨大な火炎が2人めがけて襲いかかる。バルは、黒こげを覚悟した。が、体が焼ける様子もないし、熱も感じない。目を開けると、2人の周りを、金色に輝く膜のようなものが覆い、火球はそれに当たって空中で停止していた。
「ギャ、ギャウ!?」
 翼竜としても、それは意外だったらしい。火球は、空中にしばらく停止していたが、まるで火に爆ぜる栗のような勢いで、翼竜の方へと跳ね返った。
 バチィィィィィン!
「ギャウウウウウ!」
 すさまじい音がして、翼竜の顎に火球がぶつかる。火球はぐずぐずと離散して消え、翼竜は後ろにのけぞって地に倒れた。
「これは…」
「た、助かったのかしら」
 2人が顔を見合わせる。死んだ、というわけではなさそうだが、とりあえずの危機は回避した様子だ。
「確かめに…」
 ドスゥゥゥン!
「うわ!」
 確かめようとしたバルの鼻先を、さっきまで落とそうとしていた岩がかすめた。今の衝撃で、落ちてきたらしい。今更落ちてきても遅い、とバルはぼんやりと考えた。
「13階の悪夢が、助けてくれたんだ…」
 何の気無しに、手の中の箱を見るバル。それはまるで、白水晶の美しい結晶のように、真っ白く光り輝いていた。


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