空に昇っていた太陽が、少しずつ少しずつ傾いている。太陽の反対側には、三日月が見える。夕暮れ空の下、バルは森の入り口に立っていた。まるで、誰かが境界線でも引いたかのように、平原と森の間が別れている。森は平原を挟んで向こう側という話だったが、平原自体は東側にあり、森を迂回する形で広がっている。国の西側にある街道と、北東側にある平原を、その森が遮っているという形のようだ。森の入り口には、馬車の轍の跡が続いている。商人がこの先にいるということだが、一体こんな森の奥に何の用だったのだろうか。
 ギィィー
 頭の上で、何かの声がして、バルはとっさに首を上に向けた。空を飛んでいたのは、小さなコウモリだ。コウモリは吸血鬼などのイメージから、あまりいい扱いをされてはいないが、その実は果物などを食べる平和な生き物である。今バルの頭上にいるコウモリも、その類だ。
「なんだ、コウモリか…」
 バルが森に入ろうと、一歩踏み出したそのとき、バルの上に影が落ちた。
「ん?」
 もう一度上を見るバル。先ほどまで飛んでいたコウモリが、犬のような生物の口にくわえられ、ぴくぴくと動いている。中型犬程度の大きさのその生物は、コウモリを食べるでもなく、少しもてあそんだ後に吐き出した。
「…!」
 その生物が、魔物の一種であることを、バルは知っていた。何度か刃を交えたこともある。腰のナイフを抜き、犬の方を向くバル。犬はバルに気づき、木の上から地面に降りた。すとっという軽い音。恐らく、音などの気配を消すことに長けているのだろう。
「ギャオオウ!」
 犬が一鳴きして飛びかかってきた。鋭い牙だ。噛まれればダメージを受けること必須であろう。バルは、犬の左側に隙を見つけ、そこに向かってサイドステップを踏んだ。そして、すれ違いざまにナイフを突き出し、犬の横腹を切り裂いた。
「ギャウウ!」
 犬が叫ぶ。この手合いは、話してどうにかなる相手ではない。相手を完膚無きなまでに痛めつけるか、相手が自分を追いかけられなくなるほど遠くまで逃げるか、どちらかしかない。
「ギャウ!ギャオオウ!」
 怒り狂った犬が、バルにもう一度突進する。バルはその顔面に、前回し蹴りをぶち込んだ。体躯の小さなバルの蹴りではあるが、犬をはじき飛ばすには十分だったようで、草の上に犬が倒れ込んだ。
「まだやるか?」
 ナイフを向けるバル。犬は怯え、鳴くことすら忘れてバルの元から走り去った。バルがナイフの血を、落ちている葉で拭き、鞘に収める。まだ「恐怖」という感情のある相手でよかった、とバルは思った。敵によっては、目の前の敵を倒すことだけを考えるという、頭のネジの外れたやつらがいる。出来れば、そんな相手でも殺したくはない。相手のためというわけではない。後味が悪いのだ。
「さて、と」
 森の中へ入り、先を急ぐバル。ところどころに、兵士に襲いかかったらしい魔物の死骸や一部が転がっている。血だまりを踏まないように、バルは小さくジャンプをした。
 ぐぎり
「がっ!?」
 何かを踏みつけたバルは、足を捻って転んでしまった。足下には、そこだけ盛り上がった木の根がある。これにひっかかったのだろう。先に行こうとしたバルは、木の根の下に、不自然な空洞があることに気が付いた。空洞には、小さな箱があった。いつからここにあるのかは知らないが、木で出来ているその箱は、半分腐っている。
「なんだろう…」
 木の根の下に手を突っ込み、バルは箱を取り出そうとしたが、金属のフレームと錆びた釘だけしか手に引っかからない。木の部分はぐずぐずに崩れている。と、バルの指が、錆びた金属ではない何かにぶつかった。中に何かがある。
「んっ!」
 その「何か」を引っ張るバル。中に入っていたのは、金属で出来た小さな板だった。トランプゲームのカードのようなその板は、表面によくわからない文様が刻まれている。その文様は、機械文明の様式にそっくりだ。
「古代の…なんでこんなところに…」
 バルは金属のカードをポケットに入れた。木の根の下に埋めておくよりは、日の光の下に出した方がいいだろう。
「ぎゃああああああ!」
 悲鳴が聞こえる。バルは立ち上がり、悲鳴の方向へと駆けだした。地面がコケで滑るため、早くは走れないが、これでも十分だ。2、3分ほど駆けていたバルは、兵士が樹木を背に倒れているのを発見した。
「大丈夫?」
 バルが兵士の顔色を伺う。痛そうな顔はしているが、命に別状はない様子だ。呼吸もしているし、脈もある。どうやら、腕に衝撃を受けてしまったようだ。腕が、あり得ない方向に曲がっている。
「旅人か?この森は危険だ、今すぐ街の方へ…あ、ぐぅぅう…」
 動く方の手で、折れた腕を押さえる兵士。バルは、その辺りにあった中で一番まっすぐな木の棒を拾い、ポケットにあったハンカチを取り出して、腕に棒を固定した。数カ所、切り傷や擦り傷も見える。バルは背負い鞄から、塗り薬を出し、傷に塗りつけた。
「ぐぅ…!」
 兵士が痛みにうめき声を上げた。
「俺はランドスケープ王国傭兵師団所属の者だよ。先に行ったリキル・K・シリウスの同僚さ。何があったか、教えてくれよ」
 地面に膝を付き、嘘を言うバル。ここで追い返されたりしたら面白くもない。
「いつもは、バラバラだった、魔物の動きが、今日は統率が、取れていて…バカでかいケダモノが、リーダーにいるんだ、馬車が、遺跡の前まで、引っ張られた…」
「遺跡?この森の中に遺跡があるのかい?」
「ああ。奥だ、道はないが、あちらの方だ…」
 兵士が奥を指さす。まだ森に入ってすぐだから、かなり先になるだろう。この兵士を置いて、先に行っていいものか、バルは迷った。もしまた別の魔物が来たら、負傷した兵士はただの肉になってしまうだろう。しかも、彼は武器を持っていない。落としたのか、破壊されたのかはわからないが、このままでは危険だ。
「おーい!」
 悩むバルの後ろから、誰かの声がする。振り返ると、バルが通ってきた道を、数人の兵士が走ってきた。ただの兵士ではない。武器や鎧は軽装だが、背中には大きな鞄を背負っていて、鞄には薬瓶のマークが縫いつけられている。
「衛生兵が、来てくれたか。助かった…」
 兵士の体から緊張が抜ける。バルは立ち上がり、また駆けだした。
「あっ、君!」
「俺は先に行きます。じゃあ」
 後は衛生兵に任せればいいだろう。バルは兵士を置き去りにして、その場を後にした。


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