「ううう…」
 広く、豪華な一人部屋。天蓋のついたベッド、白い煙の立ち上る香炉、カーテンが夜風にはためき、真っ白なカーペットは塵一つ落ちていない。その部屋の中で、一人の老年の犬獣人男性が頭を抱えて座っていた。着ているローブは黒く、首には白い毛皮を巻いている。
「シンデレラ…お前まで、いなくなってしまうつもりか…私はどうすればいい…」
 男性は悲痛な面もちで、カーペットの一点を凝視し、動かない。毛並みのいい尻尾は垂れ、手には元気がない。
「4世様!」
 ばたん
 扉が開いて、トカゲのような肌をした爬虫人の男が、わたわたと中に入ってきた。
「ノックぐらいしたまえ。どうしたというのだ、ポクラ執事長」
「姫様が見つかりました!」
「なんと!」
 4世と呼ばれた男性はイスから立ち上がった。彼こそが、この国を治める国王、ランドスケープ4世である。彼を呼びに来た爬虫人の男は、執事長を務める男で、名をモクラ・ポクラと言った。
「リキル氏を含む4名の男女が、姫様を連れ戻して来てくださいました。どうやら、地下迷宮で、怪物に襲われた様子ですが、4名が護衛してくれたと。姫様は今、弓を武器庫に返しに行かれました」
 ポクラ執事長に続いて、4世が部屋の外に出た。掃除をしているメイド達が、深々と頭を下げてお辞儀をした。
「わかった。その4名は、今どうしている?」
「第2応接室にて食事をお出し致しました。皆々様、空腹のご様子でしたので…」
「そうか。ご苦労だった。今そこへ行こう」
 ポクラ執事長の後についていく4世。階段を下り、下の階層へと移動する。
「む…」
 目の前に、小さな体が現れた。シンデレラだ。兵士に付き添われ、汚れたドレス姿で、階段を上ってくる。
「お父様…」
 4世に気づいたシンデレラが、ふいっと目を逸らした。この少女は、昔は自分によく懐いていた。城下に一緒に散歩に行ったこともある。彼女がメイドと共に料理するのを、妻と一緒に見ていたこともある。だが、ここ数ヶ月、シンデレラは自分に対して反抗的な態度を取っている。そう、あの日。息子であるロビンがいなくなった日からだ。 
「シンデレラ。換えの服を浴場に用意するように言っておこう。身をきれいにしなさい」
「言われなくても、そのつもりですわ」
 優しく言う4世に、シンデレラは無愛想に返す。
「こんなところで言う話でもないが…お前は最近、自分勝手が過ぎる。今回の件で、どれだけお城の兵士が心配していたと思っているのだ?私たちは幸い、まだ民に好かれている王族ではある。だが、こんなことの繰り返しでは…」
 シンデレラは、説教をする4世の隣をするりと通り、階段を上り始めた。
「シンデレラ、待ちなさい」
 呼び止められたシンデレラが、くるっと4世の方を向く。足に怪我をしているのが見える。少々、痛々しい姿ではある。
「今この瞬間にも、お兄さまは城に帰れず、苦しい思いをしているかも知れないのですよ?なのに、お父様は体面や世間体ばかり気にして、お兄さまを捜すこともせず…」
「ロビンは今、この国1の精鋭が捜している。見つかるのは時間の問題だ」
「その言葉は、先週にも聞きました!ワタクシは、敬愛するお兄さまがいなくなり、どこかで苦しんでいると思うと、尾を微塵に刻まれる思いですわ!」
 あくまで優しい態度を崩さない4世。だが、シンデレラは激昂して、大声を出した。
「この件に関しては、好きにさせてくださいませ。民に持ち上げられるだけなのが姫の仕事ならば、ワタクシは姫でなくてもいい。ワタクシは…」
 目に涙を浮かべたシンデレラが、階段を上っていく。振り返ることもしない。彼女が城を出たのは、もう3度目だ。今までは、勝手に城を出るなどということはなかった。彼女は、模範的な「姫」の格好をしていた。だが、もうそのシンデレラはいない。弱く、儚く、まるで花のようだった少女が、兄を捜すために弓を手に取っている。
「お強くなられましたな、シンデレラ姫は。昔はお母上に甘えておいででしたが…」
「…今でも母が健康ならば、きっとそうしたいだろうよ」
「そうでしたな。これは失礼を…全快を、心より祈っております」
 肩を落とす4世の前にポクラ執事長が立ち、応接室への道を歩きだした。4世の妻は今、重い病で寝たきりになっている。これは1年前からずっとだ。彼は今、息子がどこかへ行き、妻がいなくなりそうなその状況に、焦りを感じている。この上に娘までいなくなったら、生に絶望してしまうかも知れない。
 考え事をしているうちに、もう応接室だ。応接室についた4世は、ドアをノックし、中に入った。
「あ…国王!」
 パンを噛んでいた剣士がさっと立ち上がり、礼をした。彼がシンデレラを護衛していた兵士、リキルだということを、4世は知っている。毎度、シンデレラを逃がしてしまう彼に対して、親としては嫌みの一つも言いたくなる。が、彼は与えられた仕事を、全力で行う兵士だ。がんばっている彼に対して、嫌みなど言えるはずもない。
 残りの3人は、悪魔娘に褐色肌の少女、そして犬獣人の少年。どういう経緯でパーティを組むことになったのか、興味が湧いた4世だったが、そこに触れるのも悪い気がして何も言わなかった。
「君たちがシンデレラを連れ戻してくれたのか。なんと礼を言っていいか…ありがとう」
 4世は、深々と頭を下げた。
「偶然です。お礼を言われるようなことはしていません」
 悪魔娘が丁寧に頭を下げた。隣にいる犬獣人の少年が苦笑する。少年の着ている服は草臥れているが、旅をする人間のための丈夫なものだ。恐らく、かなり長いことあちこちを渡り歩いている旅人だろう。
「何か、礼がしたい。望みは…」
「王様」
 褐色少女が言葉を遮って、一歩進み出て4世の前に立つ。
「あのね、王様。お姫様がね、お兄さまがいなくなっちゃったって言っててね、とっても悲しそうなの。なんともならないの?」
 少女の言葉に、4世が言葉を失う。
「…聞いたのか」
 4世は、一人一人の目を見つめた。悪魔娘は頷き、旅人は目を逸らし、褐色少女はなんだかわからないといった顔できょとんとしていた。リキルはと言えば、何も言わず、直立不動で3人から離れた場所に立っている。
「このことは、悪いが内密に願おう。私も、ロビンのことは心配ではある。だが、この問題を民に向かって投げても、解決するどころか、混乱を招くだけだ」
 冷淡な対応であることはわかっている。だが、これは親としての自分より国を優先すべき事態だ。だからこそ、4世はここで自分を殺し、政治の道を取ったのだ。ただでさえ、今国民は、得体の知れぬ遺跡という恐怖に怯えているのだから。
「でもね、王様。みんなで捜した方が、早く見つかると思うの、だから、ええと、ええと…」
 褐色少女は、国王を目の前にしても臆することなく、自分の意見を言おうと必死になっている。その姿に、4世は幼き日のシンデレラを見た気がした。
「君は優しいな。シンデレラもきっと喜ぶことだろう。案ずるな、ロビンは必ず見つかる」
 褐色娘の頭を撫でる4世。見つかるという確証はない。だが、今目の前にいる少女に、無理に心配をさせたくはない。この少女も、ランドスケープ王国の大事な国民の一人なのだ。
「話を戻そう。君たちは、シンデレラを守ってくれたそうではないか。何か礼がしたい。褒美の希望はあるかね」
 3人の顔を順繰りに見る4世。褒美や礼という言葉を、いまいち理解していないのか、悪魔娘はあくびをして、旅人の少年はぽかんとした顔をしていた。
「なんでも、とは行かないが、そろうものならば力を貸そう。剣でも、道具でも、金銭でも。何がいい?」
 言葉を続ける4世。3人も人間がいるのだから、それなりの要望は出るだろうはずだ。
「どう、する?お兄さん、スウちゃん、欲しいものとかある?」
 困惑気味に、悪魔娘が残りの2人に聞いた。
「スウは何もいらないよ」
「俺も。旅人は身軽でいるものさ」
 褐色少女は首を横に振り、旅人は少しきざっぽく腕を組んだ。このままでは、何も決まらない。礼の気持ちを金銭や物品に置き換えようとしていたのが間違っていたのだろうか。
「あ、それじゃあ…」
 悪魔娘が手を挙げる。
「なんだね」
 後ろに控えるポクラ執事長に、手で合図をする。彼女が希望を言ったら、すぐそれを実行に移せるようにだ。彼女は悪魔だ、金銭か何かを要求するつもりだろう。
「じゃあ、この煮込み料理のレシピが欲しい、かな…あたし、町外れで宿屋をしてるんですけど、相方が料理好きなので…出来れば、シェフの方にお会いしたいのですが…だめでしょうか?」
 えへへと笑う悪魔娘。なんだ、そんなことなのかと、4世は言いたくなった。横にいる旅人の少年も、特に異議を挟むつもりはないようで、うんうんと頷いている。
「わかった。食事が済んだら食堂に案内しよう」
 気抜けした4世が、悪魔娘に言う。悪魔娘は、ありがとうございますと言って、深々と礼をした。
「それでは、私はここで失礼しよう。何かあったらまた来てくれ。全ての国民を救うことは出来ないが、少しずつは救おうと考えている。君たちはシンデレラを救ってくれた恩人なのだからな」
 4世は部屋を出て、扉を閉めた。
「4世様。この後は、大臣達と政治会議のご予定となっております。いかがなさいましょう?」
 手に持つ紙を眺め、ポクラ執事長が4世に問う。彼の目が、上目遣いにちらりと4世の顔色をうかがった。
「…わかった、行こう。執事長はあの悪魔娘を食堂へ連れていきたまえ」
 4世は廊下を踏みしめ、会議室へ向かう。その後ろ姿が、曲がり角に消えるまで、ポクラ執事長は頭を下げ続けた。


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