ぎぃ…
「ただいま」
 木のドアを開き、エミーが月夜亭の中に入る。外はもうすっかり暗くなり、あちらこちらにはランプの火が灯っていた。
「あ…」
 カウンターのイスに座っていたロザリアが、がたりと音を立てて立ち上がった。その音を聞き、テーブルについていたイルコも、入り口の方を見る。月夜亭の中にいるのは、その2人だけのようだ。
「おばあさん、孫を連れ帰って来たよ」
 エミーの後ろについて歩いていたバルが、背負っていたスウをソファーに降ろす。スウは疲れてしまったのか、今は寝息を立てている。降ろされ、横になったスウは、半目開きで辺りをうかがった。
「ああ、無事で良かったよ!全く、この子は心配だけかけて!」
 イルコがスウの元に駆け寄る。よほど心配していたらしく、顔が汗びっしょりだ。
「おばあちゃん、ごめんなさい…でも、スウは…」
 スウの目に涙が浮かぶ。その頭を、イルコが撫でた。
「ありがとう、旅人さん、エミーちゃん。なんとお礼を言っていいのか…」
 頭を垂れ、頭に手を置くイルコ。曲がった背のせいか、バルと同じぐらいの背丈しかない。
「礼なんていいよ。それより、おばあさん。スウちゃんは眠たいらしいから、家に連れ帰って寝かせてあげてください」
 バルが頭を掻いた。人に感謝されるのにはどうも慣れない。自分は好奇心でやったことなのだから、最終的な結果として人を救ったとしても、褒められることはないはずなのだ。
「ああ、そうするとも。本当にありがとうねえ。もし何か悩みがあれば、昼にあたしの店に来ておくれなよ。あなたにも、きっと何か有益なアドバイスが出来るはずさ」
 イルコは、寝ぼけ眼のスウを背負い、何度も礼をしながら月夜亭を出ていく。
「お兄ちゃん、またね」
 小さな手を振るスウ。エミーがドアを開けて、イルコが出ていくのを手助けした。2人が出て行った後、ぱたんとドアが閉まる。
「…ふぅぅー」
 くきり、と足を折り曲げ、ロザリアが座り込んだ。
「どうかした?」
「ううん、エミーが無事に帰って来て、よかったなって…」
 見れば、ロザリアもだいぶエミーのことを心配していた様子だ。顔色は悪く、額に汗が浮かぶ。
「いつもより、かなり長く遺跡に入ってたみたいだから、エミー、無事?バルハルトさんも、怪我はありませんでしたか?」
 ロザリアが、救急箱を片手に2人に駆け寄るロザリア。畳んだ羽がイスに当たり、がたんと音を立てて倒れた。
「あたしは大丈夫。お兄さんが、背中を打ったみたいだから、見てあげて」
 ふわりと浮かんだエミーが、天窓を開く。どうやら、外にタオルを干してあったらしい。夜露を吸い込む前の、まだふわふわのタオルを、エミーが取り込んでいる。
「どこを打ったんですか?」
「背中を、岩で少し…」
「大変!見せてください!」
 バルの上着をまくるロザリア。背中の毛を撫で、怪我がどこかを調べる。くすぐったくなったバルは、笑い出しそうなのを我慢した。
「ここ、打撲になってますね。これならば…」
 ロザリアの手が、背中の打撲に当てられた。何か、ぺたぺたしたものを塗られる。
「植物の油に薬草を混ぜたものです。明日にはすっかり治っているはずですよ」
 上着を戻され、バルはロザリアと向かい合った。シャープな印象を受けるエミーと違い、ロザリアは慈母のように暖かな印象を受ける。2人はやはり、対照的な存在なのだろうか。
「そういえば、食事は?」
 ふわふわ浮きっぱなしのエミーに、ロザリアが聞いた。
「お城で食べてきた。おみやげもあるよ」
「お、お城!?」
 エミーが出したその単語に、ロザリアが驚きの声をあげる。
「これには理由があって…」
 横からバルが全てを説明した。遺跡に潜り、スウを探す間に、彼女を先に保護していたシンデレラ姫に出会ったこと。途中、姫のお目付役と出会い、協力して怪物を倒したこと。姫を連れてお城に出向いたところ、王から礼を言われて、食事をごちそうになったこと。
「すごい…お城に入れるのは、よほどの緊急時か、宮廷御用達の職人だけなのに…」
 うらやましそうな顔をして、エミーとバルを何度も見つめるロザリア。エミーはそんなロザリアに、巻いた紙を渡した。
「これは?」
「お城で、料理人の人に聞いた、煮込み料理のレシピよ。あなた、こういうのがあると喜ぶと思ってね」
 巻き紙を開くロザリア。中には、重さや量が正確に書かれた、高級料理のレシピが載っている。
「すごい!すごいわ!」
 それを見て、ロザリアが子供のようにはしゃいだ。
「そうそう。お兄さん、これからどうする?うちの宿に泊まると思って、連れて帰って来ちゃったけど…」
 エミーがバルの方を向いた。今思い出したと言った様子で、ロザリアもバルの方に向き直る。
「あの、あの、今晩はサービスにしますから、是非とも泊まって行ってくださいませんか?当方の不注意で、お客さんを危険な目に遭わせたわけですから…でも、ダメですよね、こんな危険なところ…」
「んー、じゃあ、泊まっていこうかな」
「そうですよね、みんな嫌がり…え?」
 ぶちぶちと、ネガティブなことを言っていたロザリアが、ぱっと顔を上げた。
「あ、ありがとうございます!ほら、エミー、お部屋の用意を!」
「もうとっくに終わってるよ」
 ばたん
 いつの間にか2階部に行っていたエミーが、ドアを開く。バルは、自分のリュックを背負い、2階へと上った。
「お兄さん、どうぞ」
 エミーが部屋の中にバルを通した。机とイス、ふかふかのマットのベッド、服を並べる簡易なクローゼットに、簡単な物が入れられるチェストが置いてある。テーブルの上には、さっき灯したであろうランプの火が揺れていた。どうやら、長期滞在を目的とした客に貸す部屋のようだ。
「あの…これ、よろしければ、お使いください」
 後ろから、ロザリアがバルに声をかける。持ってきたのは、薄青色をしたパジャマだった。
「これは?」
「偶然、この宿にあったものです。その服のままでは、寝にくいと思いますので…」
 おずおずと、パジャマを差し出すロザリア。バルは、にっこり笑って、それを受け取った。
「あの、もう就寝なさいますか?まだ、コーヒーなんかも…」
「ううん、もう寝ます。ありがとう。今日は少し、動きすぎて疲れたしね」
「あ、はい。それでは、また明日の朝に。あ、夜中の出歩きは、施錠の関係上禁止されています。私を起こしてくだされば、鍵を開けます」
 すすす、とロザリアが外に出る。いつの間にか、エミーも部屋の外に出ていた。
「おやすみなさい」
 ロザリアが丁寧に礼をして、ドアを閉めた。部屋に1人残されたバルは、リュックをチェストの横に置いて、服を着替えた。水浴びをしたいが、今からでは時間も掛かるし、明日に回してもいいだろう。すっかりパジャマに着替え、バルがベッドに入る。
「ランドスケープ王国、か…」
 今日一日に起こったことが、頭の中をぐるぐると回る。少し、いろいろと整理してみようと、バルは頭を働かせた。が、少しも考えない間に、意識がどんどん落ちていくのを感じた。無理に起きていても仕方がない。バルは、無理をせず、意識を暗転させた。

  これから、何が起こるのか。知る者は誰もいない。  


 (続く)


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