「だいぶ奥まで来たね。周りの壁材が少し変わってきた」
 うーんと伸びをするエミー。彼女の足下には、マネキンの死骸が転がっている。何度目になるかわからない戦闘に、バルは疲れを隠せなかった。長距離を歩くような運動は得意だが、短時間に激しく体を動かすのは得意ではない。戦闘やケンカは、バルの苦手とする運動だった。
「疲れたよ。まだこれぐらいで済んでるからいいかも知れないけど、まだまだ何か出てきそうだ」
 ぱちん
 ナイフを鞘に納めたバルが、周囲を警戒する。マネキンは、体をがちゃがちゃと鳴らしながら、2体から3体のセットで現れる。今は、その兆候はないようだ。
「んー…そうだね。この遺跡には、もうちょっと別のモノもいるから」
「別のモノ?」
「うん。マネキンとは別の、敵性生物。今はまだ出てきてないけど、結構手強いよ」
 がちゃん
 ノブを掴んだエミーは、目の前の扉を開いた。中はかなり広い部屋になっていた。元は何に使ったかわからない石のブロックが地面に転がっている。石の大きさは人の頭程度、どれも四角く、一見して建材にも見える。部屋の中のたいまつは既に点灯しているが、広い部屋の中心は薄暗い。
「ん…?」
 何かが部屋の中央付近にいた。影の固まりが2つ。片方の影が、バルとエミーの方を剥いた。
「また新手ですのね!」
 高めの女声が、部屋の中央から響いた。危険を感じたバルは、さっとしゃがみ込む。
 ひゅがっ!
 次の刹那に、バルの耳があったところを、高速の何かが突き刺した。後ろの壁にぶつかった何かは、バラバラになって床に転がった。短めの木の矢だ。
「さあ、参りなさい!怪物ごときに後れをとるワタクシではなくってよ!」
 その影が、また矢をつがえる。ぐぐぐ、と弦を引き絞る音が聞こえたバルは、斜めに走りだした。エミーが、バルと反対方向に走り出す。
「あっ!待ちなさい!」
 ひゅがっ!
 エミーの角の辺りを、矢が飛んでいく。今、相手はエミーの方を向いている。好機を得たバルは、大きく弧を描くように影に向かって走り、タックルをかました。
「きゃん!」
 どさっ
 妙に軽く、柔らかい手応え。弓が硬い石の床に転がった。影は2つとも、年端もいかない少女だった。弓を握っていた方は獣人、もう一人はヒューマンだ。
「よくも…ゆっ、許しませんわ!」
 矢を握り、獣人少女が叫んだ。半分垂れた耳、頭髪は焦げ茶色で、顔はうす茶色をしている。喉から腹にかけては毛が白く、着ているのは大仰なプリンセスドレスだ。動きやすさを考慮してか、スカートと袖の部分がカスタムされている。もう片方の少女は、赤い服に青くふわふわの髪、茶色い肌をしている。こちらが、今探している少女で間違いないだろう。
「はい、そこまでー。ごめんね」
 ひょい
「あっ!?」
 獣人少女の背負う矢立と矢を、エミーが後ろからはぎ取った。とたんに、今まで強気だった少女が、耳を伏せて尻尾を垂らした。もう一人のヒューマンの少女も、怯えた顔をしている。
「探したんだよ、スウちゃん。どうしてこんなところまで?」
 ぽんぽんと、ヒューマンの少女の頭を撫でるエミー。スウと呼ばれたその少女は、怯えた顔がいきなりなくなって、エミーに抱きついた。
「スウね、この遺跡に、すごいのがいっぱいあるって聞いたの。この下なのよ。お婆ちゃんが楽になるの」
 一生懸命にスウが話す。エミーは屈んで、スウの目をまっすぐに見ながら、うんうんと頷いた。
「…あなた、その子のお知り合い?」
 ドレスの少女の目線が、バルとエミーの顔を何度も往復した。
「あたしはそうよ。こちらは旅人。あたしはエミーで、この人はバルハルト」
 おざなりながらも、自己紹介をするエミー。ドレスの少女は、まだ疑わしげな目つきをしたままだ。
「お姉ちゃん、この人はスウのお友達なの。安心して?」
 ぺたぺたと、ドレスの少女の顔を、スウが触る。少女は、ふうと息をつき、警戒を解いた。
「ワタクシはシンデレラ・ランドスケープ。用があって、遺跡に入っていたところ、スウさんを見つけて保護しておりましたの」
 弓を拾い上げた少女が、スカートの裾を軽く持って持ち上げた。
「シンデレラ姫だったのですか…そうとは気づかず、ご無礼を働いてしまったことを、どうかお許しください」
 さっと屈んだエミーが、片膝を立てて頭を垂れる。バルもそれに習って、丁寧に跪いた。どうやら、このちんくしゃな少女は、お姫様らしい。こういうときは、物を知っている他人に倣って行動するのが賢い。
「エミーにバルハルトでしたね。2人とも、お立ちなさい。ここは暗く危険な闇の世界。姫だの平民だの、くだらない価値観は一切捨てるべきですわ。何より、先に無礼を働いたのはワタクシの方。心より、お詫びを言わせてください」
 跪く2人の肩に、シンデレラが手を置いた。スウは、その様を見ても何だかわからないのか、きょとんとした顔をしていた。
「もったいないお言葉です。姫はこんな危険な場所に何をしに?」
 すっくとエミーが立ち上がる。この中で、年齢が一番上なのはエミーだ。身長も一番高く、彼女が立ち上がるだけで空気が変わる。親と子供たちのようだ、とバルは自分の身長を考えた。本当ならば、もう少し身長が欲しいのだが。
「…ワタクシは、お兄さまを捜しているのです」
 矢立と矢を受け取ったシンデレラが、それを背中に装着した。
「お兄さまと言われますと、ロビン・ランドスケープ様のことですか?」
「ええ。ロビンお兄さまです」
「ロビン様がこんなところへおいでに?」
 今度は、エミーが目を丸くした。くん、とバルの鼻が動く。何か、危ない臭いがする。バルは3人に背を向け、臭いの方向を探り始めた。
「お兄さまは、もう3ヶ月も、お城に帰っていないのです。魔物を討伐に行く任に就かれたその日から、お兄さまは姿を消してしまいました」
 悲しそうに目を伏せるシンデレラ。さっきまで威勢の良かった尻尾まで、悲しそうに垂れる。
「何か噂が流れてもおかしくはないと思いますが…」
 かりかりと、角の生え際をエミーが掻く。
「お城には箝口令が敷かれているのです。民の志気が落ちるからと。ですが、ワタクシは反対ですわ。誰かが行方を知っているかもしれないのに、つまらない恥や体裁でその機会をみすみす逃すなんて…」
 悔しそうに、シンデレラが唇を噛んだ。
「はー…箝口令。噂は布袋に入れてもこぼれ落ちる、ってことわざがあるけど、今回は皮の袋にでもしっかり閉じこめたのかな」
 ぼんやりとエミーが言った。バルは今まで様々な国を巡ってきたが、王族や政治家に対するスキャンダルは数多く耳にしてきた。どれもこれも、普通ならば流れ出さないような情報ばかりだ。伝聞形式の噂ばかりで、事情を知る誰かが流したものだということは、容易に想像できた。しかし、この国の王や政治はよほど信頼があるのか、それともかなりの独裁なのか、噂が広がらないようにしっかりと封じ込めている様子だ。
『まあ、独裁者の方向はないよなあ』
 バルがちらりとシンデレラを見る。跳ねっ返りではあるようだが、素直で優しそうな子だ。通常、独裁王の娘ならば、もっと口には言えない悪い方向に成長しているものだ。親が悪なのに娘が善というのはありえない。
 今回の話を統合するに、どうやらシンデレラの兄であるロビン王子が失踪したということのようだが、そんな大きな事ならば噂も流れやすいはずだ。宿屋や酒場は噂の坩堝である。その宿屋であるエミーが聞いたことがないというのは、よほど厳重な箝口令なのだろう。
「お姫様、辛くないよ。スウがいるからね。スウはお姫様のお友達だからね」
 スウがシンデレラの頭を撫でた。
「…そうですわね。今日こうして、スウというお友達に出会えたことを、神様に感謝しなくてはね」
 泣きそうな顔をしていたシンデレラは、スウを軽く抱きしめた。
「いつの間にか、仲がよくなったみたいね。お兄さん、ここから出る算段を…」
「しっ」
 話しかけてきたエミーの口に、バルが指を立てた。どこかから、地響きが聞こえる。どん、どん、どん。何か大型の機械が動いているような、遠くで花火が打ちあがっているような、そんな規則的な地響きだ。だんだんと、地響きが大きくなる。
「何か…くる…」
 スウがつぶやいた。次の瞬間。
 ばごぉ、ごぉおん!
 4面あった壁のうち、1面が崩れ落ちた。
「グルゥゥ……ガァァァァァアアア!」
 鳥肌が立つような咆吼が部屋いっぱいに響き渡った。バルがナイフを抜き、シンデレラがとっさ弓を構える。壊れた壁は、白い砂煙をもうもうとあげていたが、その中に大きな影があった。緑色の人型、身長は通常の人間の2倍程度はあり、飛び出し気味の眼球は血のように赤い。体の表面には筋が幾重にも走り、血管や筋肉とおぼしき筋が太く浮かび上がっている。漂ってきたのは、腐った植物の臭い。キャベツやレタスが、腐敗してどろどろに溶けた時の臭いに似ていた。
「何?何?」
 不安そうに、スウが目をきょろきょろさせた。彼女の目は、怪物を捉える事が出来ていない。バルはそこで、彼女の視力がかなり低い事を知った。思えば、この部屋にエミーが入ってきたときも、スウはそれがエミーであることに気づかなかった。完璧に見えないというわけではないようだが、かなりのハンデではあるだろう。
「グルルル…」
 怪物は、気味の悪い声で喉をならした。そして、足下にあったブロック状の石を、その大きな手で鷲掴みにした。
「逃げて!」
 バルが、シンデレラの肩をつかみ、ぐいと引っ張った。エミーも、スウのことを抱き、反対側へ飛びずさる。
 ごぉぅ!
 とんでもないスピードで、岩が4人の間をすり抜けた。それは、反対側の壁にぶつかり、大きな音を立ててばらばらになった。
「な、なんですの、あれは!」
 シンデレラがパニック気味に叫んだ。何なのかと聞かれても、誰もそれに対する答えは持ち合わせていなかった。
「ひどい破壊魔だ。これも、いつの間にか直ってるのかい?」
 シンデレラを立たせて、バルがナイフを握りなおした。
「こんなの、初めてのことよ。調査隊の報告にも、遺跡を破壊したなんて話は…」
 エミーが羽を一回羽ばたかせた。逃げるか、戦うか。どちらにせよ、あんな巨体相手では、無傷では済まない。
 ざりっ
 怪物が、足下に散らばっている石や砂を、片手で無造作につかんだ。ブロックを投げた時のように、大きく腕を振りかぶり、怪物は手の中の物を投げつけた。
「わあ!」
 ばっ、ばっ!
 石や土塊が、散弾となって4人に降りかかった。とっさに顔を覆うバル。胸や足に、大小の石がぶつかり、痛みが走る。石の雨が止み、振り返ると、スウがぐったりして倒れていた。
「い、たい、よぉ…」
 泣きそうな声で、スウが言った。このままでは戦えない。1人でも守るべき対象が出来ると、それだけで大変になる。ここは戦わずに逃げるべきだ。
「逃げよう。あいつもきっと、外までは追ってこない」
 バルの提案に、エミーも声なく同意した。泣きべそをかくスウを抱き上げると、先ほどこの部屋に入ってきたときの扉へ向けて走り出した。
「ま、待って!足が…」
 シンデレラが片足をかばい、ひょこひょこと後ろをついてきた。白いドレスに、赤黒い色が混ざっている。服が一部裂けているところを見ると、彼女も石を受けたらしい。
「姫様、ご無礼をお許しください」
 ぎゅっ
「きゃあっ!?」
 シンデレラのことを、バルは足からすくい上げた。彼女のことを抱いたまま、バルが走る。
「グアアア!」
 怪物は、獲物のことを目で追った。のっしのっしと、大股開きに近づいてくるが、移動速度はそれほど速くもないのが幸いだ。バルとエミーは、扉の向こうへ逃げ込んだ。


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