日が、少し傾いている。まだ昼日中ではあるが、もう2、3時間もしたら、夕方になることだろう。軽くしか食事をしていないので、まだ腹が満たない。
エミーの姿を探し、後を追いかける。3分ほど走ったところで、バルはエミーの後ろ姿を見つけた。エミーが立っているのは、先ほど噂していた、遺跡の入り口。元は何だったのかすらわからないほどぼろぼろになった石の柱が2本立つ。洞窟のように、奥に進むための階段があり、いやに体のでかい亜人の門番2人が、奥の方を見つめていた。片方はいわゆる牛獣人、ミノタウルス。もう片方はノーマルなヒューマンだ。エミーは2人を一瞥して、遺跡の中に入って行った。
「今入って行ったのは?」
門番のところまで駆け寄り、バルが問う。
「さっき、女の子が入って行ったって話を、あの悪魔人にしたら、入って行ってしまって…」
ヒューマンの兵士が、困り果てた様子で、遺跡の中をちらりと見る。
「とりあえず俺は、衛兵長に報告してくる」
「わかった。後は俺が見ていよう」
ミノタウルスがどしどしと音を立てて走り去る。その後ろ姿に、ヒューマンが声をかけた。
「女の子が入って行ったのっていつごろだい?」
「10分も経ってない。どうするか、困っていたところなんだ。ああ、くそ。安全で手も掛からない門番業務だって聞いてたのに、就任初日からトラブルとは…」
ヒューマンが頭を抱えた。遺跡の入り口は、上にいる人間のいざこざなどどこ吹く風で、大きく口を開けている。ヒューマンのことを放っておいて、バルは階段を下り始めた。
「お、おい!あんた!」
「今入って行った女の人は俺の知り合いなんだ。大丈夫、すぐ戻ってくるよ」
慌てふためくヒューマンに、バルが振り向きもせず手を振る。バルは、正義感ぶるつもりもなかったし、自分が強いヒーローだとも思わなかった。どちらかと言えば悪に近い性質も持っているだろうし、興味や好奇心のみで行動することもざらにあった。今回、彼が遺跡に入ったのも、単なる好奇心だった。
階段を下りきったバルは、すうっと息を吸い込んだ。じめっとした暗い穴だ。奥には何も見えない。足下に走っていた小さなトカゲが、人の気配を感じて逃げていく。後ろを振り返れば、かなり遠いところに空が見える。太陽も、こんな暗黒の王国にまで、手を伸ばそうとはしないらしい。バルはカンテラか松明を取り出そうと、荷物に手をかけた。
ボウ…ボウ…
明かりを取り出す必要はなかった。石で出来た遺跡の左右についていた松明。いつのものかすらわからない年代物の松明が、音を立てて燃え始めた。おそらく、進入してくる者に反応するようになっていたのだろう。機械か魔法か、はたまた目に見えない何かが親切で火をつけてくれたのか。そんなことはあまり重要ではない。問題は、手元を見ることが出来るか否かだ。
バルのいる100メートル前後程度は、松明が点いているが、その先までは点いていない。これを利用すれば、他に誰かいるときも、すぐ判断できそうだ。油断なく、バルは腰に差したナイフの柄に手をかけた。
長い一本道の廊下を、バルが足音を立てて歩く。廊下の角を曲がると、そう遠くないところで、松明が灯っているのが見えた。明かりの中を進む何かが、後ろの足音に振り向く。
「エミーさん?」
バルが声をかけた。先に遺跡に入っていたエミーだ。エミーはふわりと浮き上がり、バルの方へくるりと飛んできた。
「お兄さん、来たの?女の子を捜しに?」
「好奇心。遺跡には興味があってね。エミーさんが入ってくのも見えたしね」
「はー。命知らずだねえ。まあ、いいや。旅人ってことは冒険慣れしてるでしょ?実はあたし、心細かったんだ。一緒に行く?」
エミーがにこりと笑った。バルは少し悩んだ。旅や冒険は大人数でしない方がいいと聞いていたからだ。まだ2人だが、意見が分かれることもあるかも知れない。
「そうだなあ…じゃあ、行こうか」
「決まり。しばらくの間、よろしくね」
バルが肯定の返事をすると決めていたようで、エミーがバルの手を取った。冷たく、血が通っていないかのようなその手は、どこか悪魔的だった。
『…まあ、いいや』
成り行きに身を任せることにしたバルは、エミーの後を歩いた。暗闇の中、女性と2人きりというのも、ロマンチックかも知れない。
「自己紹介はまだだったね。さっき聞いたかもしれないけど、あたしはエミー。エミー・マイセン。この街で生まれて育った18歳よ。ロザリアとは義理の姉妹で、同い年。あなたは?」
エミーが早口で自己紹介をする。ロザリアと姉妹だと言う話を聞いて、バルは納得した。通常は仲の悪い悪魔と鳥羽人が、一つ屋根の下で暮らす珍しい例に、説明がつく。
「俺はバルハルト・スラック。14歳、旅人」
足下の石に気を付けて歩きながら、バルが簡単な自己紹介をした。
「14?若いねー。そんなに若いと思わなかった」
「まあね。よく言われる」
「いいねえいいねえ。ね、今まで旅をしてきて、どうだった?面白かった?」
ややはしゃぎ気味に、エミーがバルに聞く。バルは黙り込んだ。今まで見てきたものは、面白いものもあればつまらないものもあった。嫌らしいものがかいま見えたこともあった。人間の醜さや、正義の心をくすぐる悪事、逆に自分に悪を植え付けるような出来事。多すぎて、一概に言うことは出来ない。
「んー、そうだね。世界は広い、とでも言っておこうか」
バルは、やや濁し気味に言い、ふふっと笑った。
「あはは。いいね。旅人ってあこがれるよ」
「旅に出てみるといいよ。数ヶ月限定でもいい。面白い物が見られるかも…」
バルの顔の前に、エミーがさっと手を出した。言葉を切り、エミーの目線を追うと、何か蠢く影が見える。真っ白な肌をした、人形のようなものが、かつん、かつんと音を立てて歩いてきた。バルはナイフの柄に手をかけた。旅先の文献で見たことがある。これらは一般に、マネキンや人形と呼ばれるタイプだ。このタイプは種類が多い。機械だか魔法だかわからないが、自立して遺跡を守っている。
「出たね。ああいうのが、この遺跡にいっぱいうろついてるのよ。壊しても壊しても出てくる」
エミーの眠たげな瞳に、光が宿る。
「残骸が見あたらないけど」
バルも腰のナイフに手をかけ、抜きはなった。ツールとしても武器としても使える、大刃のナイフだ。故郷を出るとき、旅道具屋で買った。値は張ったが、それなりの働きはしている。
「放置すると、そのうちなくなってるの。恐らく、仲間が破片や死骸を回収するんだろうね」
かたん、かたんと音がする。マネキンが3体。侵入者の臭いを嗅ぎつけて、暗闇から現れた。どうやら、マネキンのいる周りは、松明が自動で点くことはないらしい。暗闇からいきなり攻撃を受けることもあるだろう。バルは、今まで運がよかったのだと思い、無防備さを心の中で反省した。
「ふっ!」
エミーが地を蹴って天井まで飛び上がった。足を真っ直ぐに伸ばし、踏みつける形で1体を蹴り飛ばす。蹴られたマネキンは、地面に倒れ、体中を打ち付けた。
エミーの後ろに、バルも続く。まだ立っているマネキン2体のうち、1体をターゲッティングしたバルは、真っ直ぐに走ってナイフを突き立てた。木とも金属とも違う感触がナイフ越しに伝わる。マネキンはナイフを刺されても大して感じていない様子で、手をバルに向かって伸ばしてきた。
げしっ!
ナイフを抜き、バルが回し蹴りを打ち込んだ。腕を伸ばしていたマネキンは、がくんと膝をつき、地面に倒れ込む。
「やるね、お兄さん。助かるわ」
まだダメージを受けていない残りの1体が、エミーに手刀を打ち付ける。エミーは腕を上げ、瞬時にガードした。一歩、マネキンに近づいたエミーは、マネキンの胸の部分を2度殴り、最後に頭を殴り飛ばして、後ろに飛びすさった。
地面に倒れた3体が、再度の攻撃を試みようと、各々に起きあがる。バルはナイフを逆手に持ち、横3体並んだマネキンの腹を切り裂いた。マネキンが達が、がくりと膝をつき、倒れ込む。足を取られることを想定したバルが、後ろに一歩下がり、マネキンの様子を静観した。動力の元にダメージを負ったのか、再度倒れたマネキンは、もう起きあがることはなかった。
「ふう。運動なんかしたくないんだけどね」
地面に降りたエミーが、マネキンの残骸をごそごそといじくり始めた。
「どうした?」
「この、真ん中の珠。需要あるんだよね」
ぱきん
マネキンの中から、小さな珠を取り出すエミー。3つ揃った、白く濁ったその珠を、指で軽く撫で、ポケットにしまい込む。
「たくましいねえ」
バルが苦笑する。ナイフを鞘に収め、マネキンの残骸を跨いだ。
「こんな連中がうろついてるとなると、女の子が心配だね。急ごうか」
羽を畳んで、エミーが走り出す。遅れないように、バルはその後ろに続いた。
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