「そうか。おめえもあいつの行方を知らないのか」
 座り込む爬虫人の青年の横で、バルが膝を抱えて座っていた。爬虫人の青年は、手の中にある片手斧の歯を、指で撫でている。鱗は淡い緑色、短くて散り気味の髪は濃い緑色だ。
 広間の真ん中に立つ柱の横で、2人は肩を並べて座っていた。バルの横には、バルの荷物が置いてある。先ほどの個室は、別の病人が休むために使われるので、明け渡してきたのだ。
 この広間にも、多くの人間がいて、それぞれが思い思いの行動を取っていた。兵士は数えるほどしかおらず、ほとんどが一般人だ。
「ごめん…」
「謝ることなんざねえよ。おめえのせいじゃねえ」
 片手斧を腰にぶら下げ、青年がバルの頭をわしわしと撫でた。
「どこ行っちまったんだろうなあ、ジェカの奴は。あいつ、すばしっこいから、上手く逃げ延びてるんだろうさ。きっともう、城のどっかに、シケラネの連中と一緒に来てるに違いねえ」
「うん…」
 バルの隣にいるこの青年は、名をギカームと言う。古物商をやっている青年で、シケラネ教団という団体と深く関わりを持っている。彼の言っているジェカというのは、そのシケラネ教団の孤児院にいるリス獣人の少女のことだ。事件が起きた時、ギカームは彼女と離れていたため、彼1人で城へと逃げて来たという。
「ま、この混乱だし、まだ会えてないんだけどな。さーて、と。もう1度探しに…」
 立ち上がろうとしたギカームが、よろめいて背中を柱にぶつける。
「大丈夫?」
「あ、ああ。少しめまいがしただけだ。大したことねえ」
 誰の目にも、彼の体調が悪いことは明らかだった。バルはギカームの腕を引っ張り、彼を座らせた。
「休んだほうがいいよ。ずっとジェカさんを探しまわってたんだろう?」
「はは、そうだな。こんな面、ジェカに見られたら、何言われるかわかったもんじゃねえ。あいつのことだ、またそんな無茶をしてどうするんですか、なんて言いそうだ」
 ははは、とギカームが笑い声をあげた。暫時、黙り込んだギカームは、目に手を当てる。
「…休んでなんかいられねえよ」
 そういうギカームの声は、震えている。
「こんな怖ぇのは生まれて初めてだ。この状況が怖いんじゃねえ、知ってる誰かがいなくなっちまいそうなことが怖ぇ」
 ぽつり、ぽつりと、搾り出すように言葉を紡ぐ。何も言えず、バルはただ話を聞いた。
「…グローリアの婆さんもいねえんだよ。ほら、知ってるだろ」
「ああ、シケラネ教団が運営してる、孤児院の院長さん」
 確か、ヒューマンだったはずだと、バルは記憶を引っ張り出した。子供たちに慕われている老婆というイメージだった。
「あの婆さんも、どこにもいねえんだ。逃げ遅れてるかも知れねえ、探しに行きてえんだ。だが、城の跳ね橋は上がってるし、周りには堀があって向こうには渡れねえ。外へ出る方法を考えないと…」
 外へとつながっているところはどこにもない。もし橋を下ろせば、今にもマネキンやその他の魔物が入ってくることだろう。
「今は待とうよ。救助隊も組織されているっていうし、そのときに…」
「んなことはわかってんだよ!」
 がっ!
 バルのパジャマの襟を、ギカームが掴んだ。
「そうだよ、わかってんだよ…今こうしている間にも、ジェカは、あのバカは…くそったれ…何も、できねぇんだよ…」
 その手が、力なく下りていく。うつむいたギカームは、片手で目を押さえた。バルの膝から力が抜け、しゃがみ込んだ。
「乱暴は感心せんな」
 上から声が降ってくる。顔を上げると、しかめ面のスケリーネと目が合った。
「焦燥感に駆られるのもわからんでもないが、落ち着くことだ。君は何も出来ない状況にいるわけではない。やれることはたっぷりとあるはずだ」
 手に持っていたパンを差し出し、スケリーネがギカームに声をかける。
「…悪かった」
「いいよ。俺こそ、余計なこと言った」
 謝罪したギカームはパンを受け取り、口に運ぶ。
 がりっ
「うっ」
 石と石がぶつかるような音がして、ギカームが口を押さえた。
「固いぞ、気をつけてくれ、はっはっは」
「てめぇ、それを早く言えよ…」
 あくまで明るい調子のスケリーネに、ギカームのいらついた声が返る。
「バルハルトも食べると良い。私は、これから向こうで調理の手伝いをしてくる」
 もう1つ持っていたパンを、バルに握らせたスケリーネは、どこかへと歩いていった。立っていた猫系の獣人が、スケリーネの羽根を避ける。
「…」
 パンを持っていても、食べる気が起きない。外ではあんな惨劇が起きているのだ。胃が痛い。ギカームが焦る気持ちはよくわかる。この国に来てから友人になった、半猫獣人の剣士、リキルはどこにいるのだろうか。確か彼は、王国に雇われて兵士をしていて、姫様のお付をしているはずだ。ということは、今は姫の近くにいるのだろうか。
「シンデレラ姫に会いに行ってくる」
 パンをポケットに入れたバルは、立ち上がって大きく伸びをした。
「おい…姫に一般人が会えるわけないだろ」
「何度か会ったこと、あるんだ。後、借り物があるから、返さないと」
「…おい、マジかよ。すげえな」
 そう言いながらも、ギカームはバルの言ったことをまだ信用していない様子だ。
「リキルがシンデレラ姫の護衛をしているんだよ。だから、何かリキルのことを知らないかなと思って」
「知らなかったぜ。お前、その関係で姫と知り合ったのか?」
「ううん。ちょっと、別の所で。とりあえず、部屋に行ってみよう」
 荷物を持ったバルは、今いるこのホールから姫の部屋に行くのに、どのような経路を取るべきかを考えた。廊下を通り、階段を登らねばならないはずだ。
「待て、俺も行く。何か街の情報を得られるかもしれねえ」
 そのバルの後ろに、ギカームが続いた。彼の持つ斧が音を立てる。
「姫、部屋にいないかも知れないな」
 ぽつりとつぶやくバル。この状況だ、どこかへ行っているかも知れない。
「すみません」
 近くにいた悪魔人の兵士に、バルが声をかけた。悪魔人が振り返る。
「お前は…」
 バルは、この兵士に見覚えがあった。以前、シケラネ教団の子供たち相手に難癖を付けていた傭兵2人組の片割れだ。そのときは、リキルと一緒にシケラネ教徒の子供を助けた。思わず身構える。
「その、なんだ…前は、助けてもらって、すまなかったな」
 彼が何のことを言っているか、バルは最初わからなかったが、ほどなくして思い出した。同日、マーブルフォレストにあるカルバのピラミッドという遺跡の前で、彼と相棒が巨大な狼相手に苦戦していたのを助けたのだ。あれだけ衝撃的な出来事だったのに、バルはすっかり忘れていた。
「いいよ。ところで、シンデレラ姫がどこにいるか、わかるかな」
「姫か?先程までは部屋にいたが、今はわからねぇなあ。いつも護衛している剣士も行方不明だそうだぜ。今日は非番だったらしいが」
「行方不明…?」
 護衛の剣士。恐らくそれはリキルのことだろう。彼までいないとは思わなかった。てっきり、城の中で何かしているとばかり思っていたのだ。急に、不安が押し寄せる。
「わかった。とりあえず、姫の部屋に行ってみれば…」
 そこまで言ってバルは、悪魔人の兵士がどこかを見つめていることに気がついた。振り返ると、小柄でローブを着た獣人の集団が、広間を歩いて行くところだった。
「シケラネの連中だ。あいつらは、機械を信仰しているらしい。今回のマネキンだって、機械文明の遺物だろう。もしかして、あいつらが何かしたんじゃねぇのか」
 兵士が苦々しい顔で言う。そういう穿った見方もあるのか、とバルはぼんやりと考えた。シケラネ教はこの国特有の教えのようで、バルが今まで回ってきた国にはいなかった。どうやらシケラネ教は、人によっては怪しい団体にも見えているようだ。
「んだと、てめえ。ふざけたこと抜かすんじゃねえぞ」
 と、後ろにいたギカームが、腰の斧を撫でながら兵士に詰め寄った。いきなり敵意を向けられて、兵士がたじろぐ。
「あ、ありがとう。ほら行こう」
 喧嘩腰になりきったギカームの袖を掴み、バルが階段へと向かう。ギカームはいらつきを隠そうともせず、最後に舌打ちをしてその場を離れた。
「喧嘩してる場合じゃねえってのはわかるんだけどよ。腹が立って仕方ねえ。くそが……」
 怒ったような、それでいて悲しげな声のぎカーム。バルは何も言わず、階段を登った。
「姫の部屋はどっちだって?」
「まず3階に登って…」
 ギカームに聞かれ、そこまで言ったバルが、言葉を切った。階段の上から降りてくるのは、紛れも無いシンデレラ姫だった。小柄なコリー系犬獣人の少女で、背中に矢立を背負っている。着ているのは、いつものドレスではなく、動きやすいようなシャツにスカート、そして胸当てだ。何かを考えている様子の彼女は、悲壮な面持ちで階段を下りてくる。
「姫、お久しぶりです」
 バルが下から声をかけると、シンデレラが顔をあげた。
「あ…バルハルト。調子はどう…と、良いわけがありませんわね。外があんな状況なのに」
 くすりと笑うシンデレラ。彼女の顔からも疲れが見て取れる。
「姫様、ごきげんうるわしゅうございます」
 ギカームは膝をつき、姫に丁寧な挨拶をした。とっさに、バルもギカームを見習って跪く。
「いいのよ。立ってちょうだい。あなた、バルハルトのお知り合い?」
「はい、ギカームと言います。古物商です」
「そうなの。初めまして、シンデレラ・ランドスケープよ」
 スカートの裾を持ち上げ、シンデレラが挨拶を返した。バルとギカームが立ち上がる。
「ところでバルハルト。リキルを知りませんこと? 彼、見当たらないの」
「いえ…俺の方でも探してるんですが…俺、てっきり姫なら知ってるかと…」
「…そうなの。ごめんなさい、私の方でも把握してないの」
 バルの返答を聞いたシンデレラが肩を落とす。
「あ、そうだ。これ、お借りしていたもの、返します」
 道具袋から、1枚の金属板を出すバル。金属でできた薄いカードで、そこには古代の文字で何かが彫られている。
「ああ、それ。役に立ったかしら」
「いえ。てっきり、ベルガホルカの塔の鍵かと思ったんですが、これでは開くことができませんでした」
「そう…受け取っておきますわ」
 カードを受け取ったシンデレラは、それをスカートのポケットに入れた。
「どうやら、姫様もリキルの野郎の居場所は知らないみたいだな。しゃあねえ、城内を回ってみるか?」
「そうだね。シケラネ教団の他の人も探さないと…」
 ギカームの問いに、バルが同意する。シケラネと聞いたシンデレラの耳がぴくりと動いた。
「あなた、もしかしてシケラネの人なの?」
 バルたちと同じ高さまで下りてきたシンデレラが、下からギカームの顔を覗き込んだ。
「え、ええ。俺は、シケラネの者です。何か?」
「じゃあ、機械には詳しいわね。ワタクシ、そういう人物を探していたのです」
「な、なんです?」
 シンデレラがずずいと顔を近づけ、ギカームが一歩下がった。
「ここで会ったのも何かの縁。2人とも、ワタクシと一緒に来てくださらないかしら。少々、人手が必要なのです」
 シンデレラが真剣な目をしているのを見て、ただごとではないと思ったのだろう。ギカームが困惑気味にバルの方へ顔を向けた。おい、どうする?と言いたげな顔だ。
「俺で役に立てることであればやります」
 少し考えた後、バルは返事をした。姫のことだ。ほっといたら、1人で何を始めるかわからない。リキルならば、その状況をよしとせず、一緒についていこうとするだろう。バルもそうするべきだと思ったのだ。
「心強いわ。ただ、その服はちょっといただけないわね」
「あ…」
 姫に言われ、自分がパジャマ姿のままだということに気がついたバルが、毛の下の顔を赤らめる。
「モクラに服を用意させます。ギカームも、一緒においでなさい」


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