ジ、ジジジ、ジ
 暗い建物の中で、虫の羽音のような音が鳴った。散らかった室内には、テーブルや倒れた棚があり、多くの薬瓶が転がっている。床に落ちている、円盤のようなものから、その音は鳴っていた。
 ジ、ジジジジジジ!
 唐突に、その円盤が発光し、電撃が辺りに走った。散らばっていた紙が電撃を受け、ばたばたと浮かび上がる。暗かった室内は、黄色い光で満ちあふれた。
 ばんっ!
「うわっ!」
「きゃあ!?」
 唐突にその円盤から、2つの光の塊が吐き出された。それと同時に、円盤は発光と放電を止め、黙り込んだ。光の塊はしばらく光っていたが、少しするとだんだんと光が消えてきた。それは、ヒトの形をしていた。片方は、剣と盾を携え、鎧を着た小柄な少年の姿。もう片方は、髪を1本にまとめ、ローブを着たラミアの姿。
「いっつつ…」
 少年が頭を押さえ起きあがる。猫獣人の耳に、ヒューマンの肌。持っているのは、鉄で出来た盾とショートソードだ。彼の名は、リキル・K・シリウス。ランドスケープ王国で傭兵をしている少年である。
「こ、ここは?」
 もう1人のラミアも起きあがった。赤い髪を後ろで束ね、ショートスピアを装備している。彼女の名は、メミカ・エニース。このランドスケープ王国に住む、魔法使い見習いの少女だ。
「どこだろうか…僕たちは、無事逃げられたんだろうか」
 剣を腰の鞘に収め、リキルが辺りを見回す。あまり広くはない部屋で、薄暗い。どこからか、薬品の臭いも漂ってくる。
「…師匠…そうだ、師匠!戻らないと!」
 メミカは叫ぶが早いか、足下に落ちていた円盤形の機械を手に取り、自分に向けた。そして、出っ張りを指で押す。
 かちっ
「あ、あれ?」
 ボタンは沈み込んだが、機械は何の反応も示さない。
「なんで、なんでなの!」
 かちっ、かちっとメミカは何度かボタンを押し、やがて諦めた。
「この転送器…そうだ、ライアさんがくれた転送器を使って、僕たちはどこかへ逃げてきたんだったな」
 メミカの持っている円盤を手に取り、リキルが呟く。彼らはさっきまで、南にあるトリャン山の中にあるトリャン坑道にいたのだ。そこにはライアという、メミカの魔法の師匠であり親代わりであるラミアもいた。
 3人が中で出会ったのは、悪魔人の召還士、ニウベルグ。この国を混乱に陥れようとしている男だった。彼とライアが交戦をしている間に、メミカとリキルは転送器なる機械を使い、その場から逃れた。そして今2人は、何処とも知れぬ部屋の中にいるのだった。
「師匠…」
 肩を落としたメミカは、がっくりとうなだれた。自身の尻尾でとぐろを巻き、その場にへたりこむ。
「ここにいても何にもならない。早くバルの所へ行き、薬を作ろう」
 メミカの手を取り、起きあがらせるリキル。メミカはのろのろと身を起こした。
 リキルの友人であるバルハルト・スラックは今、どこからか呪いのようなものを受けて床に伏している。その症状を緩和するために、トリャン坑道の中にある洞窟から、薬草を採ってきたのだ。
「外に出よう。ここがどこだか聞かなくては」
 がちゃ
 部屋の扉に手をかけ、リキルが外に出た。と。
 ぶぅん!
「うおっ!?」
 リキルの目の前を、鋭い剣が横切った。とっさにリキルが後ろに下がり、メミカに背中をぶつける。
「ギギ、ギギギギギ」
 そこは廊下だった。廊下の左右には複数のドアが並んでいる。そして、廊下を徘徊しているのは、人型をした機械系の魔物、マネキンだった。腕が剣になっているマネキンが数体、廊下を歩いている。その足下には…。
「い、いやあ!」
 足下には、鳥羽人の男性が、変わり果てた姿で転がっていた。メミカが悲鳴をあげる。
「こいつらっ!?」
 リキルがとっさに剣を抜いた。マネキンの剣には、べったりと血糊がついている。廊下のあちこちには、壊れた家具や転がっており、その中に人が何人か倒れていた。息のある者を目で探したリキルだが、誰も彼も動く素振りすら見せない。
「うおおおぉおっ!」
 がきぃん!
 リキルの振り下ろした剣を、剣マネキンが受け止めた。廊下にいるのは3体で、全てが腕の先に剣を付けているマネキンだ。2対3、多少分は悪いが、戦わなくてはならない。
「メミカさん、援護を!」
 割れたガラスを足の先で踏みつけたリキルは、剣マネキンに上から飛びかかった。振り下ろした剣が、剣マネキンの頭深くに突き刺さり、1体が動かなくなる。しかし、すぐに2体目、3体目が向かってくる。
 がきん! がきん!
 2体目の剣とリキルの剣がぶつかるたび、金属音が廊下全体に響き渡る。
 がきぃん!
「あぁっ!?」
 手に持っていたショートソードが、強い力ではじき飛ばされた。拾いに行く間も無く、敵の剣がリキルに振り下ろされる。間一髪で、剣を盾で受け止めたリキルだったが、防戦だけでは長くもたない。
「う、うう」
 後ろから聞こえるうめき声に、リキルが目を向ける。メミカは俯いて、口を押さえていた。その目には涙が浮かんでいる。
「メミカさん、戦うんだ!殺されるぞ!」
「わ、私…うっ、うええっ」
 敵の剣をはじき返し、リキルが後ろに下がった。メミカは嗚咽を繰り返す。戦うどころか、動く気力すらないらしい。
「メミカさん!」
 苛立ち気味にリキルが叫ぶが、その声はメミカのことを奮い立たせる役には立たなかった。メミカは普段明るいが、ストレスに弱いことを、リキルはよく知っている。こんなとき、バルならばどんな言葉をかけただろう。彼女を奮い立たせるような言葉を出しただろうか。今の自分には無理だ。
「…わかった、逃げよう」
 瞬時に判断をしたリキルは、足下にあった角材を拾い、マネキンに向かって投げつけた。マネキンが剣でそれを叩き落とす。その隙に、リキルはメミカの手を取り、走り出した。
「ううっ」
 呻きながらも、メミカがリキルの後を追う。どちらに行けば出口なのか、そもそもこの施設は何なのかすらわからない状態だ。廊下の角を曲がったリキルは、手前に下りの階段を、奥に別のマネキンを見つけた。マネキンは腹に穴が開いているタイプで、剣マネキンとはまた違う。マネキンの穴が、メミカに向けられた。
「危ない!」
 ずきゅん!
「うわ!」
 穴マネキンは、その穴から焼けた矢尻を飛ばした。リキルがメミカを押し倒し、矢尻を避ける。リキルの頭の上を、矢尻が掠め、削られた毛がぱっと散った。
「外に、出なくては…」
 戦意喪失しているメミカを守りながら、穴マネキンの相手をするのは無理だ。リキルは階段を、半ば転げるように降り始めた。
「…!」
 降りきったリキルは、窓を見た。そして、自分の中にあった闘争心や生存本能が、萎えていくのを感じた。窓の外にいたのは、上にいたのよりもっと多くのマネキンだった。マネキン達は、通りいっぱいにうろついており、人間の姿は見られない。見たことのないタイプもいる。ここに来て、逃げることは出来なくなってしまった様子だ。
「…一体、これはどうしたことだ」
 腕から力が抜け、リキルはメミカの手を離した。絶望的すぎる状況は現実感が無く、涙すら出ない。拳だけで、あのマネキン全てを倒せるはずもない。リキルは目を閉じ、ランドスケープ城で自分を待っているであろう仲間の兵士や、姫のことを思い浮かべた。
「そこの人!」
 小さな声で、誰かが呼ぶ。目を開けたリキルは、その声を周りから探した。
「こっちです!早く!」
 ドアの1つが半開きになり、背の低い誰かがこちらを見ている。何者かの瞳が、外の光を反射してきらりと光った。
「早く!」
 外のマネキンに見つかるかも知れない、ぐずぐずしている暇はない。リキルはそちらへ向かって走り、ドアの隙間から中に入り込んだ。メミカの尻尾が入り込んだところで、その誰かはドアを閉め、かんぬきをかけた。
 部屋の中は薄暗かった。窓という窓は全て布や棚で隠され、中を見えないようにしてある。そして、部屋の中央には大きな穴が開いており、縄ばしごが垂らされていた。その先には、石で出来た床が見える。
「無事ですか?その証、兵士の方ですよね?」
 高い声で、その人影はリキルに語りかけた。暗い中に目が慣れると、その人影はリス獣人の少女だということがわかった。小柄な体で、リキルよりも2周りは背が低い。それとは対照的に、尻尾は大きい。彼女はリキルの胸についている兵士証をじっと見つめていた。
「あなたは…も、もしかして、リキルさんですか?」
 少女の視線は、兵士証からリキルの顔に向けられた。
「なぜ僕のことを?」
「まず、中に降りてください。ここにいては気付かれるかも知れません」
 少女が縄ばしごを器用に降りていく。その後をメミカが降り、最後にリキルが降りた。降りた先は、小さな部屋になっていて、壁にドアがある。ドアを開け、中に入ると、広めの廊下の真ん中で火が燃えていた。
「ここは…」
「古代の遺跡です。どういうところなのかはわかりませんが」
 周りを見回すリキルとメミカ。様々な人種の人々が、そこに集まっていた。包帯を巻いている者、毛布にくるまっている者、様々だ。
「私はジェカ。このギレナカ医院で薬学を学んでいた、シケラネ教団の者です。ほら、リキルさんは一度、私たちのお茶会に来てくださったことがありましたよね?」
「あ、あぁ。そのときに?」
「はい、私もいました。リキルさんが覚えていないのも無理はありません。子供たちの相手をしてもらっていましたしね」
 シケラネ教団とは、大地を敬い、機械を友とする考えの宗教形態を持つ団体だ。以前、シケラネ教団の少年少女がたちの悪い兵士に絡まれているところを、リキルとバルが助けたことがある。そのとき、2人はシケラネ教団のお茶会に誘われ、出席したのだ。恐らくこのジェカという少女も、そのときいたのだろうが、よく覚えていない
「そちらの女性は?お知り合いですか?」
 メミカの方を見るジェカ。メミカはぐったりしていて、声を出す事もできない様子だった。
「…彼女はメミカ。王国で魔法屋をやってるラミアの女性だよ」
「顔色がよくありません。こちらで、お休みください」
 ジェカがメミカの手を取り、壁際の絨毯の上に誘導した。メミカはのろのろと絨毯の上でとぐろを巻いて、目を閉じた。
「ところで、外のあれは一体何が?」
 リキルの問いに、ジェカが俯く。
「今日のお昼の話です。遺跡から、マネキンがたくさん現れて、いきなり暴れ始めたんです。街はほぼ壊滅状態。それからずっと、私たちはここに隠れているのです」
 冷たい石の廊下に、ジェカの声が反響して響く。
「そうか…ギカームの言っていたことが本当になったな」
 顎に手を当て、リキルが呟いた。以前知り合った、ギカームという爬虫人の青年が、地磁気の乱れを理由にマネキンが暴走して街を襲うと言っていたのだ。
「ギカーム?ギカームが何か言っていたんですか?」
 途端に、ジェカの顔に焦りの色が入る。
「ギカームはどうしているんです?教えてください!彼は無事なんですか!?」
 リキルの胸ぐらをジェカの小さな手が掴み、揺さぶった。
「うっ、離してくれ。最初から話すから…」
 面食ったリキルは、ジェカの手を外し、服の乱れを直した。そして、話をした。数週間前、バルと一緒にいるギカームに偶然出会ったこと。ギカームが何かの計器を持ち出して、それを理由にランドスケープ王国の地下にある迷宮に異変が起きていると主張していたこと。それを確かめるために、3人で迷宮に潜ったこと。
「そう…でしたか。そちらの話については、伺っております。私はてっきり、街がこうなる前、もしくはこうなった後、ギカームと会って何か聞いたのかと…」 
 ジェカが肩を落とし、ため息をついた。
「すまない。僕たちも、いきなりここに転移してきたから…これを使ったんだ」
 転送器をジェカに見せ、リキルが言う。
「それは、転送器…ですね。私も同じ物を持っていて、確か上の事務所においてきたはずです。あれが出口になったのでしょう。物質を転送できるとは聞いていましたが、まさか人を2人も運べるとは思ってもいませんでした」
 この薄い機械のどこに、そんな力があったのだろうか。リキルは手の中の円盤をじっくりと見つめる。いくら眺めてもただのい板っきれにしか見えない。
「う…師匠、師匠…」
 壁際で小さくなっていたメミカが、肩を震わせて泣き始めた。今になって悲しみが来たらしい。隣に座っていた、破れた羽を持つ鳥羽人が、メミカのことを慰める。
「彼女も、大事な人と別れたのですか?」
「うん。トリャン山の鉱山で、僕とメミカさん、そして彼女の師匠であるライアさんは、薬草を採っていた。ところが、ニウベルグという召還士に襲われた、戦うことになった。ライアさんは勝てないと踏み、僕たちだけを転送器で逃がしてくれたんだ」
 今、ライアはどうなったのだろうかと、心配になる。ニウベルグはとても強く、残酷な男だった。何もなければいいが。
「ニウベルグ…私どもの所にも、何度か来た男です。素性はよく知りませんが」
 彼女のところにも、ニウベルグは関係していた様子だ。詳細はわからないが、きっと良くない形でに違いない。
「ここは医院、避難民の多くが治療を必要とする病人やけが人なのです。食料や薬も残りわずか。恐らく有事には、城に逃げることになると思うのですが、ここから城は余りにも遠いのです。救助が来ないか、ずっと待っているのですが…」
 ここが城下町のどこなのかはわからないが、外の惨状を見るに、救助隊が来るのはずっと後だろう。リキルは苛立ちを覚えた。自分は兵士である。そして、剣士である。力を持つ者は、その力を弱き者のために震わなければならない。しかし、今の彼には剣すらないのだ。せめて、何か武器があれば…。
「…?」
 廊下の奥に、何かが倒れている。リキルはそちらへ歩き、倒れている何かの近くに寄った。
「これは…」
 それは、人間の骨だった。そして、その横には錆び付いた片手剣が1本落ちている。
「…無いより、ましか」
 拾い上げた錆剣を、リキルがベルトに挿した。無力な少年から、剣士に戻ったような気がした。


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