遙か昔。この星には眠らない街と素晴らしい文明がありました。空を飛ぶ機械。自由自在に海の底を潜ることが出来る乗り物。星の世界、宇宙にまで飛んでいった人工の船。それらは人々の世界を豊かにし、すべての人々は楽に暮らしておりました。
そのころの人々は外見的差異がなく、みんな同じ姿をしていました。彼ら、毛皮を持たない人々は、今では考えられないほどの知恵を持っていました。
しかし、その文明は何故か滅んでしまいました。今に残るのは遺跡だけ。何故彼らが滅んだのか、それは誰にもわからないのです…
アニマリック・シヴィライゼーション
13話「襲い来る悪魔達」
『止めてよ…』
またか。何を、だよ。
『早く、起きて…僕を、拒まないで…』
君は誰なんだ。
『お願い、だよ…』
目を覚ましたとき、彼は見知らぬ部屋にいた。そこはベッドの上だった。何だか、長い間寝ていたかのような気がする。体中が鉄にでも変わってしまったかのように重い。
「いててて…」
上半身を起こすと、背骨と頭に痛みが走った。着ている寝間着と体の毛は、汗を吸ってべったりとしている。はっきりしない頭で辺りを見回すと、そこは狭い部屋だった。
「えーと…」
覚醒しつつある頭で、彼は首元にぶらさげられたドッグタグを見た。バルハルト・スラックと書いてある。これが、彼の名だ。犬獣人の少年で、旅人をしている。今彼がいるのは、ランドスケープという王国の、宿の部屋…のはずなのだが、どうもおかしい。彼は月夜亭という宿に泊まっていたが、宿にはこんな狭い部屋はないはずだ。
改めて、部屋の様子を観察するバル。ベッドを2つ置いたらいっぱいになるような小さな部屋で、ベッドの左側の壁には小さな窓が、反対側には歩数にして1歩ほど間を置いた壁に、ドアがついている。花瓶くらいしか置けないであろうナイトテーブルの上には、バルの道具袋が置いてあり、剣が立てかけてあった。
「俺の、剣?」
何の気なしに剣を抜くバル。その剣は、根本でぽっきりと折れている。そうだ、前に折れてしまったのだ。確か新しい剣もあったはずだが、それはどこに行ったのだろうか。
「なんだ、ここは…」
窓の外を覗くが、目の前にレンガの壁があり、光すらあまり入ってこない。ベッドから降りたバルは、耳を動かして周りの音を聞いた。壁越しに聞こえるのは、怒声、喧噪、そして足音。がちゃがちゃという金属がぶつかり合う音も一緒だ。外に出るのは危険だろうか。少し様子を見ることにして、バルはベッドに腰掛けた。
道具袋を持ち上げ、中身を確認する。最後に気絶する前に入っていたのと同じものが、ちゃんと揃っている。金銭の類も無事な様子だ。ただ1つ。剣だけは、彼のところにはなかった。
『最後、気絶…?』
そうだ、とバルは思い出した。確か彼は、ソイクギンレという港町から船に乗って、沖合の島にあるベルガホルカという神を封印してある塔に行ったはずだ。そこで、巨大な魚と交戦し、倒した後に気を失った。その後の記憶はひどく曖昧だ。彼の滞在している、ランドスケープ王国の宿屋に戻ってきたような気もするが、定かではない。
がちゃ
「ん…?」
ドアが開いて、入ってきたのは、緑色の髪をした鳥羽人の男だった。華奢な体に、白いローブを纏っている。手にはトレーを持ち、そのトレーに乗せられたスープ皿からは湯気が立っていた。
「おお、バルハルト、気が付いたか」
男がバルに微笑みかける。彼は確か、スケリーネ。ベルガホルカの塔で一緒になった、料理人の男…だったはずだ。
「気分は良いか?いや、良いはずがないだろうな。何せ、もう1週間は寝たきりだったのだからな」
そう言ってスケリーネが差し出したトレーを、バルは受け取った。
「1週間…そんなに?ここはソイクギンレの港町?」
スプーンを手に取り、バルがスケリーネの顔を見上げた。
「ランドスケープ王都だよ。戻ってきたことを覚えていないのか?いや、覚えていないのも不思議ではないか。意識があるとは言えない状態であったようだからな」
「王都…ここは俺の取っている宿じゃないみたいだけど、もしかして別の宿を?」
「違うな。ここはランドスケープの王城だ」
スケリーネが困惑顔で腕を組む。
「王城…なんで城なんかに?」
「話せば長いんだが…ううむ。少々、衝撃的な話になるぞ」
バルはスープの皿をナイトテーブルに置き、立ち上がった。とりあえず、外の様子を見たい。
がちゃ
ドアを開け、バルが外へと出る。そこは廊下だった。前に王城に入ったことがあるが、ここがどこの廊下だかはわからない。
がしゃん
後ろで何かが倒れる音がした。
「おい、バルハルト。袋が落ちたぞ」
スケリーネが声をかけるが、それに頓着できる状況ではなかった。バルは、廊下を一通り見回して、息を飲んだ。
「おい、もっと灰を持ってこい、結界が崩れるぞ!」
「薬の追加だ!どこへ持っていけばいい!?」
「倉庫にある毛布をありったけ持ってこい!いや、布ならなんでもいい!」
ばたばたと兵士達が駆けていく。廊下の端には、多くの人が座り込んでいた。獣人、鳥羽人、爬虫人にケンタウロス。誰も彼も、疲弊しきった顔をしている。
「なんだ、これ…」
一体これはどういうことだろうか。怪我をしている人の姿もある。何かあったことは確かだが…。
「う、う、うええ…」
泣き声が聞こえ、バルがそちらを向いた。そこにいたのは、青い髪をして褐色の肌をしたヒューマンの少女と、同じ色をした老婆の2人組だった。老婆は少女をぎゅっと抱き、目を閉じている。
「イルコさん…それに、スウちゃん?」
バルがその2人に声をかけた。バルは2人の事を知っている。占い師をしているイルコ婆と、その孫のスウだ。このランドスケープ王国に来たとき、王都の地下に走っている地下遺跡にて、スウが行方不明になったのを捜索したことがあるのだ。
「お、おお?バルさんかい?無事だったのかい?」
イルコとスウが、一度にバルの方を見た。
「うん。今はもう立ち上がっても大丈夫で…」
ぎゅっ
話し始めたバルのズボンをスウが握る。そして、俯いたまま、声もなく涙を流し続ける。
「よかった、よかった…安否の知れない人も多いけれど、1人でも助かってよかった…」
イルコが目尻を拭う。その目には、涙が浮かんでいた。
「何が…あったんだい?」
安否の知れない、という言葉に、バルの耳がぴくりと動く。
「バルさんもお城に避難してきたんじゃないのかい?」
「気が付いたらここにいて…俺、何でここにいるか、わからないんだ」
驚いた顔をしたイルコに、バルが困り顔で対応する。
「そうかい…あの惨状を、バルさんは見ていないんだねえ」
イルコはへたり込むように廊下に腰を下ろし、じっと床を見つめたまま、黙り込んでしまった。
「バルハルト、そちらの方々と知り合いか?」
いつの間にか小部屋から出てきたスケリーネが、後ろから声をかける。
「あ?ああ。占い師のイルコさんと、その孫のスウちゃんだよ」
スケリーネに2人を紹介するバル。イルコは小さく会釈をしたが、スウは相変わらず泣いたままだ。
「私はスケリーネだ。ソイクギンレで料理人をしている。何はともあれ、無事でよかった」
その2人に、スケリーネが自己紹介をした。
「一体、王国で何が?ずっと寝てたから、状況が掴めないんだ」
槍を持った兵士の一団が廊下を駆けていくのを横目で見ながら、バルがスケリーネの方へ向き直った。彼はしばらく困った顔をしていたが、意を決したように背を向けた。
「ついてこい。見た方が早い」
歩き出すスケリーネに、バルがついていく。スウは途中で手を離して、赤い目をしてバルのことを見つめた。
「いっ、ちゃうの?」
肩を震わせながら、スウが涙声を出す。
「ちょっと、ね。すぐ戻るよ」
バルは軽く微笑んで、スケリーネの後を追った。廊下を歩き、階段を昇り、上へと向かう。その途中には、多くの人がいたが、誰も彼も疲弊した様子だった。
「見ろ」
屋上への扉を開け、スケリーネが外へ出た。バルも一緒に外へ出る。まず目に入ったのは、鉛色をした雲だ。ランドスケープ王都の空全てを、どんよりとした雲が覆い尽くしている。今にも雨が降り出しそうだ。城壁の方へ行き、身を乗り出したバルは、息を飲んだ。
「な、んだ、これ…」
街があった。しかし、その街はバルの知っている街ではなかった。あちこちが破壊され、ガレキの転がる、まるで廃墟のような街がそこにあった。
人々の姿はなかった。その代わりに見えるのは、無数の人型…白い、石とも金属ともつかない肌をした、マネキンと呼ばれる機械系魔物の姿だった。あちらにも、こちらにも、多くのマネキンがうろついている。マネキンだけではない、一見して動物のように見える魔物や、骨の魔物などもうろついている。
街は、既に「ヒトのモノ」ではなかった。機械の動く音や、足音、そして城内のざわめきが一つになり、まるで大きな魔物が呻いているかのような不気味な音となっている。
「なんなんだよ、これはぁ!」
バルは叫んだ。その裏にあるのは、恐怖であり、怒りであり、驚きだった。胃の中に、石でも詰め込まれたかのような感覚が、バルを支配する。緊張で吐き気を感じたバルは、口を押さえ、空咳を繰り返した。
「…今から、半日程前の話だよ。地下遺跡から、多くのマネキンが現れ、攻撃を開始したのだ。人々は逃げたが、多くが犠牲になった。城に逃げ込んだ人間は、聖なる灰を使い結界を築き、あいつらの進入を阻止している。今は跳ね橋も上がっているから、やつらが入り込むことは不可能だ。王都の外へ逃げた人々は…どうなっているかわからん」
スケリーネの淡々とした口調の中に、隠しきれない怒りが混じっているのがわかる。もう1度バルは、元は王都だった街へと目を落とした。蠢くマネキンの群は、虫の大群か何かのようにも見える。現実感のないその地獄絵図は、寝起きのバルには強烈すぎる。
「あ…」
王城へ入る前のメインストリートに、バルは目を向けた。木材やレンガが転がっているその中に、ひときわ赤く目立つものが転がっていた。コウモリのような羽から推察するに、それは悪魔人で、体格からして女性であるらしい。最初、バルは彼女が赤いドレスを着ているのかと考えた。しかし。
「…血だ」
蚊の鳴くようなかすれた声で、バルが呟いた。その赤は、石畳にまで広がっていて、一見すると広がったドレスのようにも見て取れる。女性は動くこともなく、そこに転がっていた。
その女性の上を、一体のマネキンが歩いていった。ぐにゃりと女性の体が曲がる。マネキンは足下にある障害物に、一瞬バランスを崩したが、すぐに立て直した。その白い足に付いた赤が、石畳を歩くたびに、同じ形でスタンプされていく。血が、足跡に…。
「…なん、なんだよ」
ぺたん
それ以上立っていることが出来なくなったバルは、座り込んだ。目の前に、石で出来た城壁が立ちはだかり、街をバルの目に見えなくした。
「生存者がいるかどうかはわかっていない。兵士が討伐隊を結成しているが、あの数相手では多勢に無勢だ。もう3度ほど、救援を求める花火を揚げているが、未だに誰も来ない。外がどうなっているかすらわからない。しかも、これから夜になる。どうなるかわからない」
スケリーネの声が、耳に入らない。頭がぐわんぐわんと鳴っている感じがする。知り合いや友人達はどうしたのだろうか。この国へ来てから、友人になった猫獣人の剣士、リキルはどこにいるのだろうか。ラミアのメミカは?バルのいた宿屋の主人、エミーとロザリアは?孤児院の院長、グローリアは?誰も答えを持っていない。逃げているか、それとも既に死んでしまっているのか?意識が、消えそうだ。
「おまけに奴ら、飛び道具まで持っていると来ている。かなり強力なやつだ。鳥羽人や悪魔人が飛んで外へ出ることも出来ないわけだ」
なんでこんな状況に。そう聞きたくても聞くことは出来ない。胃液がこみあげ、今にも口から零れそうだ。
「…最悪な、状況だよ」
悪魔のざわめきの中に、スケリーネの声が響いた。
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