「はあ」
 誰もいない、月夜亭の1階で、エミーがため息をついた。1階部は食堂とフロントになっており、宿が満員になっても全員が食事をとることが可能なほどには広い。今日の宿泊客は、鳥羽人の男、スケリーネ。後は、バルのみだ。相方の鳥羽人女性、ロザリアは用事で外出しているし、話し相手はいない。イスに座って、何をするでもなく、惚けている。
 もう、昼を回ったぐらいだ。掃除も済ませてしまったし、洗濯も終わらせた。最近は天気が良いので、洗濯物が早く乾く。エミーとロザリアの汚れ物の他は、バルの着ていた旅人服だけだ。どこで手に入れたものだかはわからないが、かなりしっかりした生地で出来ており、もう数年は使えるだろう。
「…」
 以前、この宿に来た客のことを思い出す。今から数ヶ月前、寒い季節のことだ。バルと同じくらいの背格好で、彼はヒューマンだった。その少年は、遠くへ行く途中で、このランドスケープ王国を経由し、船に乗るとのことを言っていた。ある朝、少年の部屋を訪れると、少年の姿と彼の持っていた小さなバックだけが無くなっており、その他一切合切の物は置き去りになっていた。服や、本、後は何に使うかよくわからないがらくた達。
 宿の代金は前金でもらっていたし、大して気にはならなかったが、その所持品をどう扱って良いのか迷ってしまった。エミーとロザリアは相談して、所持品を徐々に処分していった。本は売ってしまったし、がらくたは欲しがる人間に与えてしまった。そして、なんとなしに残しておいた服が、今はバルに使われている。
 今となっては、残しておいたのは正解だという感じがする。運命の偶然というやつだろうか。
 とん、とん、とん
 階段を誰かが下りてくる。バルの意識が戻ったのだろうかと思い、顔を上げると、そこにはスケリーネが立っていた。細身で、緑色の髪をしている、中性的な見た目の男性だ。
「バルハルトの様子はどうだ?」
 テーブルを挟み、向かい側に座ったスケリーネが、エミーに問う。
「相変わらず寝てるわ。うなされて痙攣することはだんだん少なくなってきたけど、あれは症状が改善されたというよりは、体力が無くなってきた方かしらね」
「あまり良い状況ではないな。彼には、パンとミルクの恩義がある。何か出来るといいのだがなあ」
 2人はほぼ同時に、うーんと唸った。
「…よし。何か、精の付くものを作ろう。彼が起きてきたとき、すぐに食べられるように。厨房を借りていいか?」
 立ち上がったスケリーネが、厨房へと向かう。
「あ、お客さんにそんなことをさせるわけには…」
 エミーが後ろをついていく。既に、スケリーネは厨房の中へ入り、どんな設備が揃っているかを確認しているところだった。
「私は料理の道を究めるべく、日々修行をしている。わかるかね、1日でも鍋や包丁とふれ合わない日があると、苦痛を感じるのだよっ!」
 やや大きめの動作で、スケリーネがエミーに訴えた。どうやら彼は生粋の料理人らしい。
「…ならば、お願いしようかな。何が必要?」
「そうだな。宿にある食料品、使って良いものを一通り教えてくれ。その範囲でやってみせようではないか」
 スケリーネにそう言われて、エミーは食料品の在庫をチェックし、読み上げていった。じゃがいもやニンジンはたっぷりあるし、レタスなどもある。塩漬けの肉も少しあるし、香辛料の関係はそれなりに取りそろえている。香辛料も、物によってはこの辺りで栽培しているので、比較的安価に手に入るのだ。後は、乾燥させたニンニクなどがある。
「…なるほど。よし、後は任せてもらおうか。本領発揮だ」
 竈に火打ち石で火を入れ、スケリーネが言った。しばらく、スケリーネが包丁を使う音だけが、厨房の中に響いていた。エミーはイスに座り、彼の手際をぼんやりと見つめていた。
「君は王都の生まれか?」
 フライパンを火にかけ、スケリーネが聞いた。
「うん。産まれてからずっと」
「そうか。つかぬことを聞くのだが、3人の星神の昔話を聞いたことは?」
「もちろん。3人の星神が、主神に挑んで負けて、封印される話でしょ」
 スケリーネの言っている昔話というのは、この辺りの地方に伝えられるものだ。カルバという水の神、メースニャカという火の神、ベルガホルカという風の女神、その3人はこの辺りを統べる神だったが、自分の扱いに不満を持った3人は、主神に戦いを挑んだ。しかし、勝つことは出来ず、3人は封印されてしまったというものだ。
「あの話では、星神は悪の神として扱われているのだよな?」
 きゅっ
 スケリーネが油瓶の蓋を開け、フライパンに植物油を注ぐ。
「ええ。私はそう聞いて育ってきたけど」
「だよな?うーむ」
 エミーの言葉に、スケリーネは頭を押さえ、悩みこんだ。
「実は、な。バスァレ、バルハルトと私で、ベルガホルカの神殿に行ってきたのだ。そこにあった仕掛けの1つに、パネルをはめ込むものがあってな」
 料理をしながら語り始めるスケリーネ。パネルをはめ込む仕掛けには「彼女の物語を順番通りに並べなさい」と、古代語で書かれていたのだと言う。バスァレはその物語を知っているらしく、パネルをはめることによって仕掛けを解いたのだが、仕掛けを解いたときのパネルの並びを見ると、慈愛に満ちた女神が人々を助ける流れになっていたらしい。
「…そこで言う彼女というのは、ベルガホルカのことであるならば、これは我々の知っている一般的なおとぎ話と食い違う。どういうことなのか」
 うーん、とスケリーネが唸る。
「その、バスァレって人に聞けばよかったじゃない」
「うむ。話を聞くということになっていたのだが、バルハルトがあのような状態になり、聞きそびれてしまったのだ。私は料理に関しないことには普段は興味を持たぬが、あの仕掛けに関しては気になってしまってしょうがないのだ」
「ふうん。なんだろうね」
 エミーが適当な返事をする。彼女は考古学に関しては詳しくないし、入ったことがあるのも帝都の地下迷宮のみだ。そのようなことにはあまり興味が無い。
「ひょっとすると、この国の過去に関する謎に、バルハルトは深く首を突っ込んでいるのかもな」
 じゅうううう
 乾燥したニンニクが油を吸い、景気の良い音を立てる。厨房全体に、ニンニクの独特の匂いが立ちこめる。これを嫌う人もいるが、エミーはこの匂いが大好きだ。
「旅人なのに、この国の歴史に?」
 歴史を調べる学者は、お城にもいる。バルはただの旅人だと自分で言っていたし、この国の歴史を深く知るようには見えなかった。
「案外、そういうことは、部外者の方が上手く解決出来るものなのだよ。私が料理の道で悩んだとき、素直な感想を出すのは、同じ料理人仲間ではなく食事に来る客だった。一歩引いたところにいる人間ならば、冷静に対象を見つめられるのだろう」
「なるほど、ねえ」
 もしそうであるならば、自分たちランドスケープ王国民が当たり前だと思っているところに対して、バルは疑問を持ち、首を突っ込むことが出来たということになるのだろうか。
「まあ、よくわかんない。あんまりそういう、難しいことは考えないようにしてるんだ」
 大きく伸びをして、エミーが言う。
「私はしばらく、この宿にて滞在させていただこう。バルハルトの近くにいることで、何かを知ることが出来るやもしれぬな。後は、鍛冶屋にも用事がある」
「鍛冶屋?」
「ああ。私は、古代金属製の包丁を作るために、王都へ来たのだよ。金属片は既に集まっている、後必要なのは腕の良い鍛冶屋だ」
 古代金属には色々な特性を持ったものがあると聞く。そして大抵の場合、古代金属で作った道具は長持ちする。彼も、それによって作られた上質な道具を求めて来ているのだろう。
 がちゃ
「ただいま」
 玄関のドアが開き、茶色いミドルのストレートヘアをした鳥羽人女性が入ってきた。彼女こそ、エミーの相方のロザリアだ。
「あっ、お客様自ら料理っ!?」
 ロザリアが、厨房に立つスケリーネを見て、目を白黒させる。
「す、す、すみません!お客様を働かせるなんて!こら、エミー!」
 勘違いをしたロザリアが、怒ってカウンター越しに厨房に顔を突っ込む。
「違う違う!これはだな、私が頼み込んで、厨房を使わせてもらっているのだよ!料理人は料理をしないと…」
 スケリーネが言い訳をしている。相変わらず、ロザリアは慌てんぼうだ、とエミーは考えた。
『お兄さんが、この国の歴史を、か…』
 さっきスケリーネが言った言葉が、そこはかとなく気になる。ロザリアとスケリーネの会話を端から聞き流しながら、エミーはバルの部屋のある天井を見つめた。


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