「っくはぁ!」
 がぎぃん!
 バルの剣が、そのフロアにいた、最後の岩人形を切り裂いた。既に3人は8階まで昇ってきている。ここに来るまでに、パネルをはめるような謎掛けはなかったが、塔は思ったよりも広く、上に昇るのにも苦労していた。
「もういないか?」
 バスァレは短剣を腰に差し直し、フロアを見回した。7階までのフロアと違い、ここはとても広い。区画で区切らず、1階層全部を広間に使っている様子だ。真ん中に太い柱は相変わらずあるが、とても広い。
 この階にはあちこちに、木で出来た箱や、布の袋が置いてある。どうやらここは倉庫だったらしい。試しに箱を開き、中を見るバル。中には、ぼろぼろに錆びた短剣が、いっぱいに入っていた。隣の箱には、腐食してダメになっている布。その隣の袋は空っぽで、上に麦らしきマークが書いてある。価値のある物はなさそうだ。
「おお、ここにもあったぞ」
 足下に落ちていた金属片を、スケリーネが拾い上げる。彼の言う、古代金属で出来た装飾品は、今までに見つかってはいない。だが、古代金属と思しき金属片などが、各フロアに多く落ちていた。スケリーネはそれらを拾い集め、ローブの懐中に溜め込んでいた。彼が歩くたび、じゃらじゃらと音がする。
「順調だな。もう、調理ナイフ2本分は確保したぞ」
 金属片の尖った部分に布を被せ、スケリーネが言った。
「そうか。じゃあ、もう大丈夫だよ。俺等は俺等の目的を達成するから…」
「何を言う!ここまで来て、私だけ戻るわけにもいかない。そんな義理のない、情けない真似はせん。最後までついていくぞ」
 バルの言葉に、憮然とした表情を返すスケリーネ。困り果てたバルは、バスァレに意見を求めて顔を向けたが、バスァレは知らん顔をした。
「もう8階だ。外から数えた時、ここは10階建ての建物だったはず。もうすぐ、最上階に出る」
 階段を昇るバル。階段の先には、岩の扉があった。扉を開き、中に入ると、かび臭い空気が3人を迎えた。
「うっ、これは…」
 スケリーネが顔をしかめる。入ったところにあったのは、真っ直ぐな廊下で、廊下の先はまた階段に繋がっていた。左右には、多くの扉がある。そして、廊下には、10に少し足りない数の、完璧な人骨がころがっていたのだ。
『骨の魔物、か』
 剣を抜く準備をしながら、人骨に近づくバル。しかし、至近距離まで行っても、人骨は起きあがる気配を見せない。
「ん…」
 足の先で、こつこつと頭を蹴る。と、頭蓋骨は今まで繋がっていたのが外れ、ごろりと音を立てて転がった。
「こっちを見てみなよ」
 左側の、一番近いドアを開け、バスァレが2人を呼んだ。部屋の中を覗き込むが、暗すぎて何も見えない。と、バスァレはそんなバルの気持ちを読んで、自身が発光する魔法を口の中で呟いた。
「うわあ…」
 バルは言葉を失った。そこにあったのは、ベッドだった。病院か何かのような、複数のベッドがある。そして、部屋の中にも人骨が転がっていた。窓はあったが、何故か四角い石がはめ込まれており、外からの光を遮断していた。
「何なんだ、一体。死者の数が半端ではないぞ。しかも、誰も傷ひとつない」
 スケリーネの言う通り、人骨の着ている服にも、また骨自身にも、破損している部分は見られない。経年劣化で破れたであろう部分はあるが、剣や矢で破れた部分はないのだ。バスァレは人骨をしばし眺めた後、部屋から出ていった。部屋が暗くなり、バルは慌てて火打ち石を使って、ランプに火をつけた。
「ん…」
 部屋の奥に入り、バルは1つの骨に目を向けた。正確には、2つ。女性物の服を着ている骨が、小さな骸骨を抱いている。母と子だろうか。
「何かあったことは事実らしいが、それ以上は何もわからないな。略奪の類でもなさそうだ。恐らく、当時の金らしいものが、手つかずで残っている」
 スケリーネが、財布と思しき布袋を持ち上げる。端に寄せてあったテーブルの上にも、ボロボロになった札と小さな硬貨が乗っていた。何の気なしに、それを手に取るバル。と、それが置いてあった木のテーブルの足が折れ、音を立てて崩れた。
「うわっ」
 舞い上がった埃に、カビの臭いを感じ取ったバルは、部屋の外へと非難した。鼻が敏感なのだ。まともに吸ったら、大変なことになる。
「こっちも同じみたいだ」
 向かい側の部屋から、バスァレが顔を出した。向こう側にも同じようなベッドが並び、人骨が転がっている。
「不吉な場所だ。まるで墓場じゃないか」
 部屋から出てきたスケリーネが、小さく咳をした。
「確かに。墓場という表現は言い得て妙だよ」
 足下の骨を踏まないように、バスァレがすり足で移動する。バルは、手の中の硬貨をじっと見つめた。彼らはもう死んでいるし、これを持っていったところで、困る人間はいない。だが、なぜかバルは、これを持っていくべきではない気がした。墓場泥棒をしているような、嫌な気分になってしまったのだ。部屋へ戻ったバルは、そっと硬貨を置いた。
「ん…?」
 隣にあった札に混じって、文字の書かれた紙が1枚、置かれている。バルはそれを手に取り、廊下へ戻った。
「おや、それは?」
「わからない。読める?」
 バスァレに紙を渡すバル。じっと、紙を見つめていたバスァレは、しばらくしてから目を閉じた。
「あぁ…うん。なるほどねえ」
 納得した様子で、バスァレがふうと息をついた。
「何が書いてあるんだ?」
 後ろからスケリーネが身を乗り出した。
「…国は、あいつの出現により、変わってしまった。多くの人は洗脳され、あいつの僕となった。そして、その信仰心を力に変え、あいつはさらに大きくなった。我らはもう国に戻るどころか、対岸へ渡ることすら出来ない。かといって、この海を渡り逃げる手段も持たない。食料も、底をついてきた。ここで死ぬのを待つか、戻り戦うか…だってさ」
「あいつ…それって…」
 バルは息を飲んだ。悪の信仰で力を得た「あいつ」。これはつまり…。
「ああ、そうだね。きっと、例の邪神のことだろうよ」
 紙を丁寧に折り畳んだバスァレは、それを自身のポケットに入れた。
「邪神というと、ベルガホルカやカルバのことか?」
「違うよ。ま、簡単に言えば、それらをそそのかし、主神を攻撃した邪神がいるのさ」
「ふむ…」
 バスァレの言葉を聞き、スケリーネが考え込んだ。
「まあ、いい。上へ行こう。まだ何かあるかも…」
 ぎぃん
「うっ!?」
 唐突に、バルの耳元に、聞いたこともない不快な高音が響いた。驚いたバルは、思わず膝を付く。
「どうかしたかい?」
 バスァレにはこの音が聞こえていないようで、彼は平然とした顔をしている。返事をしようと口を開いたバルは、舌や歯から直に音を聞いているような、不快な感じを受け、口を閉じた。
 ぎいん、ぎいん、ぎいん!
 何度も、うねりながら体を揺さぶる音に、バルは吐き気を感じた。平衡感覚が狂う、体が上手く動かない。とうとう尻餅をついたバルは、耳を押さえて体を縮めた。
「なんだ、おい、大丈夫か?顔色がとても悪いぞ」
 スケリーネの声も、今のバルにはうねって聞こえる。
 ぎいん!ぎいん、ぎいん…
 耳を押さえ、しばらくうずくまっていたバルだったが、だんだん音が小さくなってきたのを感じて、立ち上がった。もう、口を開いても大丈夫そうだ。
「音が…すごい、ぎぃんって音がしたんだ…」
 頭痛が消えないまま、バルが言った。
「罠か何かかねえ。今はもう大丈夫なのかい?」
「ああ…なんの音だったんだろう、あれは…」
 周りを見回しても、あんな意味不明な音を出すような物は何一つない。ランプの炎が、ゆらっと揺れた。
「先へ進もう。あんなの、2度目が来るとも思えないけど、来ない間に事を済ませたい」
 骨を踏まないよう、足を踏み出すバル。後ろから、バスァレとスケリーネのついてくる足音が聞こえる。
『何の、音だったんだろう…』
 生物、無機物、そう言った「存在する物」が鳴らす音とは、到底思えない音だった。この世の物とは思えない、高い、規則正しい、それでいて不快でうるさい音だった。似たような音は、今までに聞いたことがない。若干の不安と恐怖を感じながら、バルは階段に足をかけた。


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