10階は、8階と同じく広いホールになっていた。違うのは、ほとんど何もないところと、窓が他の階より大きく、人2人は出入り出来るほどの大きさなことだろうか。真ん中にあるはずの、太い柱も見あたらない。真っ直ぐ向こう側に、何かを祭る祭壇のようなものがある。そしてその中央に、くぼんでいるスペースがあった。カルバやメースニャカの遺跡と同じ構造だ。
「ん…」
 バスァレはポケットに手を入れ、金色に光る腕輪を取り出した。
「それは?」
「まあ、見ていてくれよ」
 すたすたと真っ直ぐに歩いていき、バスァレが窪みに腕輪をはめ込んだ。と、腕輪がかちりと音を立て、固定される。
 ゴゴゴゴ…
「おお?」
 窪みの真ん中から、石柱がせり出してくるのを、スケリーネが興味深げに見ている。石柱は途中でガラス柱になり、ある程度出てきたところでぴたりと止まった。中には、緑色に輝く、美しい装飾の指輪が入っていた。
「こ、これはなんだ?」
 バスァレが取りだした指輪を、スケリーネがしげしげと眺める。
「指輪さ」
「それはわかる。ただの指輪ではないようだが…見せてもらっていいか?」
 素っ気なく答えたバスァレの顔を、スケリーネが見つめた。
「ああ。少し貴重なものだから、大事に、ね」
 バスァレがスケリーネに指輪を渡す。バルは、なんだか嫌な感じがして、そのやりとりを見ていた。これぐらいの宝物なら、誰でも欲しがるはずだ。スケリーネは悪い人間ではないのだろうが、先ほどからの話しぶりを聞くに、自分の欲や考え方に忠実な人間のようである。何か起こすかも知れないと考えたのだ。
「…すごい、な。その一言に尽きる。魔法力が込められているようだが、これは確かに神の持ち物だ。人間の手には余る」
 しかし、予想に反して、スケリーネは指輪を隠したり我が物にしようとしたりはしなかった。
「これが目的だったわけか」
「そうさ。僕らは、ちょっとあなたのことを、疑っていたんだよ。何かしでかさないか、ってね」
「人聞きの悪いことを。まあ、貴重なものではあるだろうが、これでパンは焼けないし肉は切れん。私は、素晴らしい料理を作ることが出来ればそれでいい、こういったものは欲しいとも思わんな」
 ひとしきり指輪を観察したスケリーネは、それを指で摘んでバスァレに渡そうとした。バスァレが受け取ろうと、手を差し出す。
 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!
「な、な!」
 いきなりの揺れに、バルは床に倒れた。塔全体が振動している。床に転がった指輪をとっさに拾い、バルは身構えた。なぜ、という気持ちより、やっぱりか、という気持ちの方が、バルの中では大きい。いつもこうして、巨大な「何か」が敵として現れるのだ。きっと今回も…。
「…あれ?」
 今回もきっと、その類の敵が出てくるのかと思っていたバルだったが、揺れは収まり何も出てこない。不安になったバルが、剣に手をかけ、周囲を警戒する。
「何だったんだ、今のは」
 指輪をバスァレに渡しなおし、バルは周りを見回した。塔自体はとても丈夫なようで、崩れた部分などは見あたらない。と…。
「うおっ」
 いきなり、床が動き、バルは飛び退いた。中央の床が円形に開き、その下には、暗い空間が広がっている。どうやらここは、真ん中にあった柱の部分にあたるらしい。
「これは…なんだ」
 スケリーネが穴の縁にしゃがみ込んだ。梯子がそこにあり、下へと降りられるようになっている。試しに、石ころを落としてみるバル。少しの間が空き、下から、ぽちゃんという音が響いた。
「海に続いているのか。降りてみるか」
 梯子に足をかけ、バルは下へと降り始めた。それに、スケリーネ、バスァレが続く。下へ降りるに連れて、バルの腰についているカンテラの光が、だんだんと底を照らしていく。真ん中部分が穴になっており、そこに水が溜まっている。そして、その周囲に、ドーナツ型に足場があるようだ。
「なんだろう、ここは」
 ドーナツ型の足場に降り立ち、バルは周りを見回した。円形の空間で、水の中は暗くてよく見えない。この足場だけが、水の上に顔を出しているようだ。
「だいぶ降りたねえ。塔の地下の部分にあたるのかな、ここは」
「そうだろうな。足場は石で出来ているようだ」
 続いて、バスァレ、スケリーネが降りる。指輪を手に入れたとたん、ここへの道が開いたということは、何か意味があるのだろうが…。
 ゆらっ
「ん?」
 一瞬、中央の水面に波が立ったように感じた。試しに、水に顔を近づけるバル。匂いからして、どうもこの水は、海水ではなく淡水のようだ。
 ゆらっ、ゆらっ
「なんだ?」
 今度の波は、スケリーネとバスァレにも見えたらしい。2人が軽く身構える。バルも、水から離れ、剣に手をかけた。
 ばしゃああああ!
「なっ!?」
 水音がしたのは、背後からだった。とっさに振り返るバル。そこには、魚の胸ビレの一にコウモリのような羽が生えた、おかしな生物がいた。背丈は、成人男性より少しある程度で、目は頭の左右にあってぎょろりとしている。色はオレンジで、鱗がぬめぬめしていた。
「くけけけけけ!」
 笑い声のような鳴き声をあげ、魚は大きく羽ばたいた。水しぶきが飛び散る。バルは剣を抜き放ち、魚に向けた。
「くけー!」
 魚が、何かを飲み込むように体をくねらせ、そして口をバルの方へ向けた。
 ばしゅうっ!
 透明な、何かが発射されたのがわかった。球形に空間が歪んでいる。バルは直感で、それが危険な物だと言うことを感じ取った。
「うわ!」
 ばこぉん!
 間一髪で避けたバルの足下で、透明な玉が破裂した。石で出来た足場が、軽く削れている。圧縮空気の弾だ。以前、ニウベルグと戦った時、同じような技を見た。
「飛び道具か。ならば、こっちも魔法でいこうかな」
 バスァレが魔法を打とうと、魚に向けて手をかざす。と、魚は体を翻し、水の中へと逃げ込んだ。水柱が立ち、水面が激しく揺れる。
「水の中までは、さすがに届かないな。どうしたものかね」
 手を引っ込め、バスァレが考え込む。バルは剣を抜いたまま、周囲を警戒した。次は、どこから出てくるか、わからない。周囲は全て水場、どこから出てきてもおかしくはないのだ。小さな音にも反応できるよう、耳を立てる。
『どこから…』
 ばしゃああん!
「!」
 音がしたのは、ドーナツ状になっている中央の穴だった。魚が空中へと飛び上がり、くるくると回転する。どうやら、穴と円周は、水中で繋がっているらしい。
「くらえ!」
 ずばっ!
 必死に腕と剣を伸ばし、バルは斬りかかった。剣の切っ先が、魚の鱗を切り裂く。
「くけけけええええ!」
 効いているのかいないのか、魚は大きく叫び、口をバルに向けた。
 ばしゅうっ!
「わあ!」
 ばこぉん!
 圧縮空気の弾が、バルの腹に当たり、弾けた。バルは衝撃を受け、床にたたきつけられた。魚は次弾の照準を、スケリーネへと向けた。
 ばしゅうっ!
「くっ!」
 スケリーネが羽で飛び上がり、弾を避ける。次の弾、そしてさらに次の弾を魚が吐き出し、スケリーネはそれを避けた。
「梯子を昇っている間にやられるね。まず、こいつをなんとかしないと、逃げることさえままならないようだねえ」
 スケリーネに向けて弾を吐き出す魚に向け、バスァレが手をかざした。と、魚が大きく口を開ける。また空気の弾が出ると思ったバルは、すぐ避けられるように身構えた。
「くけええええ!」
 ぼおおおおおう!
「うおお!?」
 魚の口から、めらめらと燃えさかる火炎が吹きだした。とっさに横に転がり火を避けるバル。火の一部が、足場に残る。
「くけー!」
 ばしゅう!
 空気の弾が発射される音がする。それほど早くはないし、避ければ…。
「旅人君!」
 どんっ!
 バスァレがバルを遠くへと押しやった。空気弾が、足場に残っていた火にぶつかる。
 どおおぉぉん!
「うわ!」
 空気弾に火が付いて、大きな爆発が起きた。スケリーネが腕で体をガードしているのが見える。
「さっきから変だと思っていたんだ。この圧縮空気の弾は、可燃性のガスだ」
 バスァレの声が聞こえ、そちらを見るバル。バスァレは炎をまともに受けたらしい。服の袖が焦げ、腕が露出している。地に膝を付いている彼は、少なからずダメージを受けているように見受けられた。
「大丈夫か?」
「このぐらいならね。ほら、次が来る。逃げて」
 立ち上がったバスァレは、短剣をかまえた。高速で泳ぐ魚の影が、暗い水の中にうっすらと見える。攻撃に行こうにも、もし自分から遠いところに出てきたら、剣やメイスでは届かない。となると、飛び道具が必要だ。
 ばしゃあ!
 背中の方向で魚が跳ねる音がして、バルは振り返った。魚は今にも、空気弾を吐き出そうとしている。確か、以前に飛び道具を相手にしたときには、打ち返して対処したはずだ。
「くけえ!」
 ばしゅう!
 空気弾がバルへと向かう。迷っている暇はない。バルは剣を構え、空気弾を打ち返すべく、剣を打ち付けた。
 ばすぅっ
 情けない音と共に、圧縮された空気の弾は弾け、ガスが散った。魚はまた水へ戻り、ばしゃばしゃと泳いでいる。
「ダメか…跳ね返せない」
 やはり、剣で直に斬りつけるしかないようだ。バルが剣を握り直す。
「ならば、こいつで!」
 手に持ったメイスを、魚の方へ向けるスケリーネ。魚が水面へと跳ね上がるタイミングで、スケリーネはメイスを投げつけた。
 ぼぐぅっ!
「くけええええ!?」
 メイスは見事、魚へと命中した。だが、クリティカルヒットにはならなかったようで、水の中に横腹から落ちた魚は、また水の中で泳ぎだした。そして、メイスは水の中に落ち、ゆっくりと沈んでいった。
「だめか…武器を無駄に手放してしまったな」
 沈んでいくメイスをじっと見つめ、スケリーネが片手を振った。
「なんとか、動きを封じられればいいんだけれど…あれだけ早くては、魔法も当たるかわからない」
 水の中の影を目で追い、バスァレが唇を噛んだ。確かに魚は早い。よっぽど速い攻撃でなければ当たらないだろう。
「速い魔法は持っていないのか?電撃や、熱線のような…」
「あいにくと持ってないね。光弾を撃ち込むくらいが関の山さ」
「むう、八方ふさがりか。せめて弓でもあればいいんだが」
 手元にある品物を、バルは考えてみた。ナイフ、パン、水の入ったボトルに、油の入ったボトルなど。どれもこれも、今の状況を打開するのに有効だとは考えられない。ただの魚なら、油の入った瓶をぶつけて火をつければ、少しはダメージが入るかも知れない。だが、あの魚は口から火を吹くのだ。火炎が有効だとは考えられない。
「おい」
 スケリーネに呼ばれ、そちらを向くバル。スケリーネの手に握られていたのは、1本のロープだった。長く、丈夫で、太いロープ。途中、これを使って上へと昇った場面もある。
「これだ、これ。これなら射程が長いぞ」
 水の中を泳ぐ魚の影を目で追いながら、スケリーネが言った。
「いいね。振り回せるかい?」
 バスァレがロープの端を手に取る。
「私一人では無理だ。君たちの力が要る。それと、先端が軽いせいで、上手く振り回すことができん」
「ならば、重りを付ければいい。と言っても、ナイフや短剣じゃあ軽すぎるねえ。何か…」
 スケリーネの言葉に、重りを目で探したバスァレは、バルの手元に目をやった。炎のような文様が浮かび上がった剣が、その手の中にあった。
「それぐらいの重さならば、上手く行きそうだ。旅人君、それをこっちに」
 手を差し出すバスァレ。バルは彼に駆け寄り、剣の持ち手をロープの端にぎゅっと結びつけた。引っ張っても取れないぐらいに、しっかりと結ぶ。
「よし、あいつが出てきたタイミングで、振り回してぶつけるぞ!」
 ロープの適当な長さを握ったスケリーネが叫んだ。バスァレがその後ろを握り、バルもそれと同じようなところを握った。
「いいか、左から右に回す形だ。円を描けば、当たる可能性は高い!」
「わかった、やろう」
 いやがおうにも、手に力が込められる。敵はどこだか、今は見えない。バルの尻尾が、緊張でぴーんと立った。
『どこから来る?』
 対岸から現れては、このロープは届かない。後ろに現れても、剣を当てる前に逃げられるかも知れない。小さな音も聞き逃さないように、バルが耳を立てる。じっと、待つ。じっと…
 ばしゃあ!
「来た!」
 魚が飛び跳ねた。正面、真ん中の穴からだ。この距離ならロープが届く。空気弾を吐こうと、魚が仰け反った。今しかない。
「せえええええのっ!」
 バルの声に合わせて、3人が同時にロープを握り、引っ張った。剣が空中に浮かび上がる。
「いけええええ!」
 ぶううううううん!
 3人の左側から、剣を先に結んだロープが、何かの機械の部品みたいに弧を描いた。剣は真っ直ぐに魚を目指し、飛んでいく。円の半径も、魚のちょうど腹の辺りだ。剣が、飛んでいく。剣が…
 ざくう!
「ぎょわわわ!」
 剣は、魚の腹に横から刺さって動かなくなった。赤黒い色の血が噴き出し、水に落ちる。
「くけええええ!」
 ぼおおおう!
 と、魚はロープめがけて炎を吹いた。乾いたロープに火が燃え移り、勢いよく3人を目指す。火の着いたロープを引きちぎろうと、魚が飛ぶ力を強め、ロープがぴんと張った。
「危ない!離さないと…」
「待って、まだロープを張っててくれ!」
 ロープを離そうとしたバスァレをバルが制した。このロープを辿っていけば、魚まで行ける。これは、道だ。
 だっ!
 バルはロープへと飛び乗った。ロープは芯までは燃え切っていないらしく、バルが飛び乗ってもちぎれることはなかった。持ち前のバランス感覚を生かし、バルは綱渡りの要領でロープを走り、魚へと一直線に突進した。
「ぐううう!」
 スケリーネの苦しそうな声が聞こえる。バルの体重全てが、ロープを通じてスケリーネとバスァレの手にかかるのだ、苦しくて当然だろう。だが、それに頓着できるほど、バルは今、冷静ではなかった。
「あああああああ!」
 ナイフを抜く。両手で握る。突進する。魚まで、5歩、4歩、3、2、1…
 ざくうううう!
「ぎょわわわわわ!」
 バルのナイフは、魚の頭を真っ二つに切り裂いた。血を流し、魚が水へと落ちる。バルはナイフを右手に持ち替え、左手で剣を掴み、引き抜いた。
 ばしゃあああん!
 冷たい水がバルの体力を奪う。全身の毛と服が水を吸い、鉛か鉄のように重くまとわりつく。重い服が、体を水の底に引っ張る。両手に剣とナイフを持ったまま、バルはがむしゃらに泳ぎ、水面を目指した。と…
 ぐぅん!
「!」
 剣を持っている手が引っ張られた。どうやら、ロープをスケリーネとバスァレが引っ張っているらしい。バルは両手で剣の柄に掴まった。水面がだんだん近くなる。
 ばしゃ!
「ふはっ!」
 水面から顔を出したバルは、息を吸い込んだ。片手を、誰かの手が掴み、引き上げる。ドーナツ状の足場に昇ったとき、バルは転がり、ふう、ふうと息をついた。
「無事で良かった。やつはもう、海の藻屑だ」
 バスァレがくすくす笑う。今、バルを引き上げたのは彼のようだ。見た目と違い、かなりの腕力があるらしい。
「助かった、よ。もうこれで、安全、か」
「ああ、そうだね。じゃあ、帰ろうか。まず、この長い梯子を登って、上にいかないとねえ」
 荒い息で言うバルに、バスァレが返事をした。スケリーネはと言えば、引き上げたロープから剣を取ろうとしている。
「ほら、お前の剣だ」
 ようやくロープをほどき、スケリーネが剣を渡す。バルはそれを鞘に収め、短く礼を言った。
「登れるかい?体力は残っているかい?」
 少し、心配そうな顔で、バスァレがバルに聞く。
「ああ、大丈夫。何も問題は…」
 そう言って、バルが梯子に手をかけた、そのときだった。
 ぎぃん!
「うわ!」
 鳴り響いたのは、塔の上で聞いたのと同じ、不快で大きな音。バルは耳を塞ぎ、うずくまった。
「〜〜〜!」
 スケリーネが何かを叫んでいるが、聞こえない。不快な音だけが、何度も続く。
 ぎぃん、ぎぃん、ぎぃん!
「う、うわ、わ、わ、わ」
 狂う。自分が、世界が崩壊する。
「うわあああああああああああ!!」
 叫んでいることすら、自覚できないまま、バルは倒れ込んだ。そして、そのまま気を失った。


 3つ目の指輪は手に入った。しかし、バルは原因不明の音のせいで倒れ、意識を失った。
 ここから先に待つのは、希望か、絶望か。


 (続く)


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