塔の中は薄暗かった。少しだけ、真っ直ぐな廊下が続き、中央部に丸くなっているホールがある。ホールの真ん中には、丸くてかなり太い柱が立っていて、それが天井まで伸びていた。ホールの円周には、2つの扉がある。
「うわあ…」
正面にある階段を見て、バルが息をもらした。正確には、階段であったもの、だ。階段は経年劣化か自然災害か何かで、崩れて壊れてしまっていた。上に昇るときには、別のルートを使わねばなるまい。
「この流れからして、上に指輪があるんだろうねえ」
「参ったな、ちょっとここは登れない」
試しに、階段の残骸に手をかけるバル。がらがらと音がして、石が転げ落ちる。無理はしない方がよさそうだ。
「おや?」
バスァレが立ち止まり、足下を見る。そちらの方を見ると、そこにはバルの頭ほどもある大きさのコウモリの死骸が落ちていた。その頭が、岩か何かをぶつけられたかのように、ひしゃげている。
「こいつは、噛みつきコウモリだね。肉食のコウモリの中でも獰猛なやつさ。数匹集まれば、人を平らげるくらい、食欲旺盛なんだ」
「その死骸が、なんでここに落ちてるんだろう」
「さあてね。どちらにせよ、危険な生物がいる遺跡だということはわかったわけだ」
そう言いながら、バスァレは短剣を抜いた。いつの間にか、薄暗がりの中に、ぎらっと光る目がたくさん、天井からぶら下がっている。噂をすれば影、のようだ。
「ギイイー!」
1匹の声を合図に、コウモリ達が一斉にバルとバスァレに飛びかかった。鋭い牙をむき出しにして、無防備に大口を開けて飛んでくる。こいつらにとって、人は餌でしかないらしい。
「ふん!」
ザシュッ!
剣を抜き放ち、バルがコウモリを真っ二つにした。次々に飛びかかってくるコウモリを、バルとバスァレの刃が切り裂いていく。だが、敵の数が多すぎて、なかなか減る気配を見せない。
がぶっ!
「うあ!」
バルの腕に、コウモリの牙が食い込んだ。
「こぉの!」
ずばっ!
「キィー!」
剣を使い、コウモリを薙ぐバル。血は出ているが、思ったより傷は深くない。これならば…。
「!?」
急に、バルの平衡感覚に狂いが生じた。腕や足が重く、目の前にあるはずのものがやけに遠くに感じられる。
「ぐぅ…」
片膝を付いたバルに、コウモリが容赦なく襲いかかる。そのバルを、後ろからバスァレが援護した。
「旅人君、立てるかい?」
近寄るコウモリを、短剣で牽制し、バスァレが聞く。
「体が痺れて、頭がぐらぐらするんだ。ちと、きついな…」
「なるほど。どうやら、こいつらは毒を持っている様子だね」
どごっ!
バスァレのハイキックが、コウモリを蹴り飛ばした。
「待っていてくれ、今こいつらをなんとかして、毒消しの魔法をかけよう」
コウモリ達は、倒れているバルを標的にしたようだ。飛んでくるコウモリを、バスァレが拳や短剣ではじき返す。だが、数が多すぎて、全てをさばききることは出来ない。
「うっ…」
剣にすがって立ち上がったバルが、ふらっとして地面に転がった。やはり、だめだ。力が入らない。このままでは…。
「うおおおお!」
どがぁっ!
かすむバルの視界の端に、何かが飛び込んできた。白い、鳥のような…。
「少年達、大丈夫か!」
飛び込んできたのは、白い羽の、鳥羽人の男だった。細身の体に似つかわしくないメイスを手に持ち、薄汚れたローブを着ている。緑の髪は短く、全体的にとても華奢だ。
「あんたは?」
「質問は後にしよう!まずはこいつらを倒さなければ!」
どすぅっ!
男のメイスは、飛んでくるコウモリの頭を、正確に捉える。次第に、襲い来るコウモリの数が、少なくなりはじめた。
「まだ来る気か!相手になるぞ!」
ぶぅん!
メイスを振り、コウモリを威嚇する男。コウモリ達は、フリを悟ってか、あちらこちらに散らばり逃げていった。後には3人と、コウモリの死骸のみが残された。
「助かった。君は誰だい?なぜこんな所に?」
かがみ込み、バルに回復の魔法をかけながら、バスァレが聞いた。回復の魔法が効くに連れて、バルは目のかすみが取れてきた。男の顔をよく見れば、女性のようにも見える。
「私はスケリーネ。この遺跡に、宝を探しに来たのだ」
「宝だって?」
バスァレの顔が一瞬険しくなったのを、バルは見逃さなかった。この男が、どんな素性の男だかわからない以上、気を許すのは危険かも知れない。
「ああ、宝だ、宝だよ。つい数日前、ソイクギンレにやってきた男が言っていた。この遺跡には、古代金属で出来た調度品や装飾品が揃っているんだとなぁ」
スケリーネは、遠くを見つめるような目をしている。
「古代金属の装飾品だって?そんなものがあるのか?」
ようやく毒が消えたバルが、立ち上がってズボンの砂を払った。
「ああ、そうだとも。錆びず、欠けず、折れず曲がらずの、素晴らしい金属だ。私はその金属が欲しくなり、この遺跡にやってきたのだよ」
「そんな金属、なんに使うんだい」
「包丁を作るんだよ!そう、包丁だ!」
いきなり大声を出したスケリーネに、バルとバスァレがびくっとした。
「言い忘れていた。私はソイクギンレで、料理人をやっているのだよ。私の使用する調理器具はどれもこれも、メイゥギウという村で加工された一級品だが、それでもまだ私の腕に耐えきれず破損してしまうのだ。更にレベルの高い調理器具を作るため、私は鍛冶屋の元で5年ばかし学び、そして知った。古代金属の包丁ならば、私の腕に耐えきれるとな」
バルには、目の前にいる男が、料理人には見えなかった。料理人というのは、もっと職人に近い容姿をしているのが一般的だ。宣教師か何かのような格好をしたスケリーネが料理をしているところなど、想像も出来ない。
「んーっ。わかるかね、少年達。素晴らしい技術を学び使うには素晴らしい道具が必要なのだよ。だからこそ、包丁の材料を探して、こんなところまで来たというわけだ」
両手を広げ、演説でもするような格好で、スケリーネが締めくくった。
「僕にはあなたが料理人には見えないねえ」
どうやら、バスァレもバルと同じ感想を持ったようで、ぽつりと漏らした。
「失礼な!私ほどの腕を持つ人間は、王宮にもいないぞ!」
「是非とも腕を見てみたいところだよ」
「私だって披露したいのは山々だ!だがな、ここにはナイフもないし竈もない、それに…」
ぐぅぅぅ
間の抜けた音と共に、スケリーネがメイスを取り落とした。
「食べられるものなど、なーんにもないのだ…ああ、お腹が空いた。そろそろ限界だ」
ぺたん、とスケリーネが座り込む。どうにもこの男は、間の抜けている感じがする。少なからず警戒していたバルだが、この男相手に警戒をするのはばからしいと思い始めた。
「コウモリ焼くかい?」
「残念ながら、そいつは食えたものではない」
コウモリの死骸を拾い上げるバルに、スケリーネが疲れた声で返事した。どうやら、既にコウモリを食べようと試してみたらしい。
「この島に来て、もう2日になる。乗ってきた船は流されてしまったし、私の羽では岸まで飛ぶことすら出来ないのだ。この島には、真水すらほとんどないのだよ」
その姿に、哀愁が漂っている。今、バルの手元には、一晩を過ごせるだけの食料がある。この男に分けてもいいかも知れないと、バルは鞄に手を入れた。
「はい、どうぞ」
そのバルがパンを出す前に、バスァレがスケリーネにパンを差し出した。さっき、港で仕入れた、日持ちのする堅めのパンだ。
「い、いいのか?」
「ダメなら出しはしないよ。助けてもらった恩もあるしねえ」
信じられない、といった表情のスケリーネに、バスァレがいつものくすくす笑いを見せた。
「いやぁ、済まない!神か何かが降り立ったようだ!」
何度も頭を下げながら、スケリーネがパンを受け取る。
「僕は神なんて大仰なものじゃあないよ。ほら、ミルクも」
瓶に入った牛乳も、バスァレはスケリーネに渡した。スケリーネはパンを囓り、牛乳瓶の蓋を開ける。
「美味い!ううむ、これは美味い!」
スケリーネの顔は、とても幸せそうだ。この男は、感情を隠しておくのがとても苦手なタイプのようである。満面の笑みを浮かべる彼は、まるで少年のようにも見えた。
「じゃあ、僕たちは先を急ぐよ。あなたも、ほどほどにして帰った方が…」
「待て」
その場を去り、進もうとしたバスァレを、スケリーネが止めた。
「この塔は、階段が壊れていて、この先には進めないようになっている。このホールにある2つの扉は、どちらも小さな部屋に繋がっていて、上へ昇る道はない。どうやらこの塔は、数重に円が重なっている、木の年輪のような構造になっているらしい。あの壊れた階段のみが、上へ行く手段なのだ」
スケリーネの言葉を確かめるべく、バルは扉を開いた。確かにそこは、小さな部屋だった。錆びてボロボロになった斧と、腐って使い物にならない木箱が転がっているだけで、他には何もない。反対側を見ると、バスァレが同じように扉を開いて、首を横に振っていた。
「今こうして、食料をもらった私は、2階まで飛ぶことが出来る。君たちは先へ進みたいのだろう?あそこからロープを垂らし、手助けをしようではないか」
ごくん
牛乳を飲み干し、瓶を置いたスケリーネが、口元を拭った。
「それは助かるけど…いいの?」
バルがスケリーネに問う。
「ああ、もちろんだ。だがな、実を言うと、上の階に行っても先には進めんのだ」
「それはどうして?」
「まあ、行ってみればわかる。君たちの知恵を借りたい」
ばさっ
鳥の羽を広げ、スケリーネが上に昇った。そして、石の手すりに開いていた穴にロープを通し、縛って下へと垂らした。これなら登れそうだ。
「そのロープは安全なもの?古くてちぎれるとか…」
「私が持ってきたものだ、問題ない。まだかなり残っているから、この先同じようなところがあっても先へ進める」
軽くロープを手で引っ張るバルに、スケリーネが返事をした。
「先へ行くぞ。ついてきてくれたまえ」
スケリーネは、先に 1人で進み、奥へと行ってしまった。バルとバスァレが、顔を見合わせる。
「…どう思う?」
バルは、声を潜め、バスァレに囁いた。
「あの男、害意も裏表もないように見えるね。でもまあ、指輪のことは内緒にしておこう」
「先に知らせておいた方がいいと思うなあ…俺等が指輪を手に入れるそのときに、何か行動を起こすかも知れない。先に本性を見抜ければ…」
「まあ、その時はその時さ。彼は、僕らの目的を、聞いてはいないんだ。話す必要もないだろうさ」
ロープに手をかけ、バスァレが上へと昇る。聞かれていないから話す必要はない。確かにその通りではあるのだが、バルは何か、釈然としない物を感じた。それでいいのだろうか?
『…今回は従うか』
下手な面倒を起こさないには、多くを語らないことが重要だと、バルは知っている。そういう意味でも、バスァレは正しい。従うことにしようと、バルは心に刻んだ。
カラカラと、転がる小石の音を聞きながら、バルもロープを昇っていった。
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