ギレナカ医院に夜が訪れた。入院患者は少数で、通いの看護士は皆帰っていった。残ったのは、バル達3人と、宿直の医者1人だけだ。医者は、医務室の方で仕事をしており、バル、ジェカ、ギカームの3人は、談話スペースでカード遊び…ポーカーに興じていた。
「下りないのか?」
 にやにや笑いで、ギカームが言う。もちろん、バルは下りるつもりはない。カード配りをしているジェカが、ギカームとバルの顔を見る。
「よし、勝負だ」
 ぺしっ!
 ギカームが手に持っていたカードをテーブルに叩きつけた。
「ツーペアだ!」
 ハートの6と、スペードの4が2枚ずつ、ギカームの手札に入っている。ポーカーをしていると、ワンペアが出ることはよくあっても、ツーペアが出ることはあまりない。それより高位の役になれば、さらに出る確率も減る。ギカームが自信満々に出すのも当然だ。
「そうかぁ…」
 バルも、手札をぱらりとテーブルに広げる。その手元には、ダイヤのカードが5枚、ずらりと並んでいる。余裕たっぷりだったギカームの笑顔が凍り付いた。バルの役は、フラッシュ。ツーペアより数ランク強い、なかなか出ないような役だ。
「負けた…!」
 悔しそうに、ギカームが地面に突っ伏した。ジェカは、ギカームの置いていたチップを、バルの方へ押しやる。バルとギカームがカケに使っているチップは、丸いクッキーだ。バルの手元には、クッキーの山が、対するギカームの手元には、クッキーはほとんどない。元々、クッキーは1人1袋、20枚ほどあった。だが、ギカームがバルとポーカー勝負をすると言い始め、これをチップとして使うことを提案し、今ではギカームの持っていたクッキーはバルの手元にあった。
「もう一度だ、もう一度!」
 ギカームは片手をジェカの方に差し出した。ジェカは何も言わず、ギカームとバルに、カードを配った。バルはもう、クッキーを食べてしまいたいのだが、これはカケに使うチップの役割がある。迂闊に食べることも出来ず、はたと困ってしまった。
「もう5連敗です。諦めては?」
 ジェカも呆れてしまったようだ、苦笑いをしている。彼女はポーカーを辞退したので、小袋のクッキーはまるまる残っている…かと思いきや、ほとんど残っていない。これは、チップがなくなったギカームが、ジェカからクッキーを借りているためである。そのせいで、ジェカもクッキーを食べることは出来ないのだ。
「うっせえな、今負け分を取り返してやるから…」
 がちゃ
 ギカームがカードを手に取ろうとしたタイミングで、入り口のドアを開けようとする音が聞こえた。ドアには鍵がかかっているため開かない。
「…おいでなすったか」
 そっとギカームが、腰に下げている片手斧を手で撫でる。彼の使用する武器は手斧だ。剣やナイフを使用しているバルとは、少し感覚が違う。ギカームは商人で、魔法は使えない様子だが、その分、直接的な攻撃に繋がる筋力は高い。
「ジェカはここで待て。バルハルトはそっちだ。俺が飛び出したら、援護頼まぁ」
 バルは、談話スペースとは反対側の方へ走り、出入り口の方を睨んだ。ギカームが、出入り口に向かって歩いていく。剣の柄をそっと握り、バルはその相手をじっと見た。暗くて、よくわからないが、シルエットからして悪魔人ではあるようだ。コウモリの羽が見える。ギカームが鍵を開け、バルは息を飲んだ。
 ばっ!
「きゃ!」
 いきなり扉を開けたギカームに、人影が黄色い声をあげる。その声に、バルは聞き覚えがあった。
「エミーさん?」
 抜こうとした剣から、バルが手を離す。そこにいたのは、木の皮で編んだバスケットを手に持った、エミーだった。
「驚かせないで、もう」
 エミーが顔をしかめ、病院の中に入ってきた。ランプの明かりにエミーが照らされる。
「なんだってここに?」
 ギカームが鍵を閉め、エミーに聞く。
「今日は徹夜だって言うから、眠気覚ましにコーヒーと夜食を持ってきたのよ」
「夜食?いいのかよ、そんなんもらっちまって」
「いいのよ。ロザリアが作ってくれたの、差し入れるようにって」
 驚いた顔のギカームの前を通り、エミーがテーブルにバスケットを置いた。バスケットはかなり大きく、赤子くらいなら容易に入る大きさだ。
「なんだかすごくいい匂いがしますね」
 ジェカがわくわくした顔で言った。エミーがバスケットの上の布を取り去ると、そこには豪華な夜食が広がった。細長いパンの間にソーセージを挟んだホットドック、細切りにしたジャガイモを油で揚げたフライドポテト、そして飲み物を入れる金属製の瓶だ。
「ふわぁ…」
 とても、美味そうだ。ここは内臓疾患の患者が入院する病院なのに、こんなに匂いを振りまいていいのだろうか。我々は食べられないのに、と入院患者が怒るかも知れない。
「こいつは嬉しい。遠慮なくいただくぜ」
 ホットドックを手に取り、ギカームがかぶりついた。
「こいつは美味いな!」
 感嘆の声を漏らすギカーム。バルもホットドックを手に取り、口に入れた。芳醇なパンの匂いと、ぱりっとしたソーセージの食感、そしてトマトケチャップの味が、口の中でクロスする。これは確かに美味い。
「コーヒーを入れるコップがないのよね、そういえば。忘れてきたのよ」
 バスケットの中を見て、エミーが唸る。確かにカップが入っていない。 
「借りてきましょう。恐らく、キッチンにあるでしょう」
 ジェカが立ち上がり、談話スペースを出て行く。
「手伝うよ」
 ジェカについて、バルも談話スペースから出た。食事を作るキッチンはすぐそこだ。一瞬、勝手に食器を借りてしまっていいのかなどと考えたが、病院の身内であるジェカがついてきてくれているのだから、きっと問題はないだろう。
 がちゃ、きい
 キッチンへのドアを開け、ジェカとバルが中に入る。右の方にある食器棚に、白いカップが並んでいる。これを数個借りて…。
「あれ?」
 正面にある窓が開きっぱなしで、薄いカーテンが風にたなびいてひらひらしている。
「先ほどは閉まっていたはずですが…」
 ジェカが窓の方を向いた。窓の鍵を手で触れるバル。一度閉めてしまえば、勝手に開くことなどないような、ちゃんとした鍵だ。
「まさか…」
 バルのつぶやきに、ジェカも同じことを考えた様子だ。この窓を開いて、誰かが入ってきたのではないか、という懸念が、バルの心の中に膨らんでいく。
「…まあ、そんなはず、ありませんよね」
 苦笑いをして、カップを手にとって部屋を出るジェカ。2人が、談話スペースに戻る。
「あれ?」
 談話スペースには誰もいなかった。食べかけのホットドックとフライドポテトが残っているだけだ。
「ギカームさん?」
 バルがその名を呼ぶが、彼の姿が見えない。なんだか嫌な予感がしたバルは、カップを置くと、剣の柄に手をかけた。何か、あったのかも知れない。 
「とりあえず、上からチェックしましょう」
 ジェカにそう言われ、バルは頷いた。剣をいつでも抜けるようにしておきながら、階段を昇る。
「う…」
 ぞく、と背筋が震えた。夜の病院というものは、とかく恐ろしい。病院は人々の陰鬱な気が集まってくる場所だ。ここで最期を迎える人間もいるし、場合によっては幽霊なども出現する。病院に出現するのは、苦しみの中死んでいった幽霊で、大抵は悪意を持っている。自分の苦しみを人にも、と考えるらしい。今ここで襲われたら、と思うと恐ろしいものがある。
「こっちから行こう」
 小さな声で言い、バルが歩く。2階の病室を、1つ1つ見ていくバル。もう既にほとんどの患者も寝ているようだが、希にランプをつけて、本を読んでいたりする姿が見える。どの病室にも、ギカームとエミーはいない。
「いませんね…」
 中にいた患者に会釈され、会釈を返すジェカが、ぽつりとつぶやいた。ということは、1階だろうか。バルはもう1度、廊下と病室を見回したが、何もいない。と、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。曲がり角の向こう側だ。
「…?」
 バルがそっと顔を出すと、そこには真っ白な顔と手足だけが、空中に浮かんで…。
「う…?」
 叫ぼうとしたバルは、すぐにそれをやめた。よくよく見れば、なんのことはない、エミーだ。黒い服を着ているので、顔と手足のみに見えたらしい。
「お兄さん。ジェカも」
 エミーもすぐに気が付いて、バルとジェカの方を向いた。
「こっちに、変なやつ、来なかった?」
 エミーがコウモリの羽を1回羽ばたかせた。
「2人を探して、2階を一通り見て回ったけど、誰も…誰か見たのかい?」
「うん。よくわからないやつがいた」
 バルの問いに、エミーが頷いた。
「1階にいるのでは?」
 ジェカが階段の下を覗き込む。談話スペースから漏れてくる光が、うっすらと見える。
「下りてみようか。今、ギカームが下にいるはず。あたしは外をぐるっと見た後、2階へ昇ってきたんだ」
 エミーが階段に足をかける。
「どんなやつが入ってきたんだい?」
「フードを被った、変なやつ。男か女かもわかんない。ギカームがトイレに行くって立たなかったら、きっと気付かなかったわ。あたし達の姿を見て、逃げたの」
 階段を下りきったところで、エミーが油断無く左右をチェックした。廊下は、人どころか、ネズミの気配すらしない。もう外に逃げたのだろうか。
「こっちの方から、風が吹いていませんか?」
 くん、と鼻を動かし、ジェカが言った。バルも注意深く空気の流れを探る。空気が動いており、カビと埃の臭いが漂っている。
「こっちからかな」
 ゆっくりと進むバル。廊下を歩き、バルは1つの扉の前で立ち止まった。倉庫と書かれたその扉は、鍵が開いているようで、少しだけ隙間が開いていた。バルはためらい無くその扉を開けて、中に入った。
「うわあ…」
 床には、大きな穴が開いていた。その穴は、床下の岩盤まで続き、しばらく行ったところで薄明るい空間に続いていた。石畳の床が、底の方に見える。
「なんだ、地下室かな」
 目を凝らして奥を見ようとするバル。だが、ここから覗ける範囲には限りがある。下にあるのが、小さな部屋だと言うことと、少し行ったところに扉があるということしか、わからない。
「大きな音はしなかったけど、音もなく穴を開けたのかしらねえ」
「それは不可能でしょう。もしかすると、前から進入して、穴を掘っていたのかも知れません。この部屋は最近、誰も使っていなかったので、作業はしやすかったでしょうね」
 エミーとジェカが、穴を覗き込んだ。
「侵入者は、ここに入ったのでしょう。ギカームは、向こう見ずだから、追いかけていったのではないかと…」
 ジェカが、はあ、と息をつく。
「どうしよう、追いかける?」
 エミーがジェカとバルに聞いた。バルは、少しためらった後、頷いた。手元には剣も鞄もあるし、このままでも行ける。ホットドックが置きっぱなしなのが少々気がかりではあるが、この間にもギカームが危険な目に遭っているかも知れないのだ。
「行きましょう」
 ジェカもバルに同意した。バルは、恐る恐る、穴の中に飛び込んだ。


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