外で、鳥が鳴いている。カーテンの隙間から、うっすらと日が射し込んでくる。初夏のころ、朝早い部屋の中はまだ気温が低い。日が昇るに連れて、きっと暑くなるに違いない。
 ベッドで、1人の少年が眠っている。立った犬耳、茶色い毛、ぼさっとした毛。その名を、バルハルト・スラックと言った。旅人をしている、14歳の犬獣人少年だ。
「うーん…」
 バルは薄目を開け、上半身を起こした。そして、大きな伸びをした。彼が今いるのは、ランドスケープ王国にある、とある宿屋の、彼が長い間借りている部屋である。春先にランドスケープ王国に来て、2ヶ月程度が経った。この国で探索をするにあたって、ここを拠点にしているのだ。
 つい数日前、彼はランドスケープ王国の配下の街、ジャンバルへと行っていた。そこに行ったのは、とある召還士を探すため。その召還士ニウベルグは、バルの知り合いでラミアである女の子、メミカととても因縁の深い召還士で、この国で何か良からぬことをたくらんでいる。ジャンバルでは、ニウベルグと戦ったり、砂漠の廃墟と遺跡の街ポイザンソに行ったりと、かなり忙しい日々を過ごした。つい昨日、王都に戻ってきたバルは、数日分の日記を書き、夜遅くにベッドに入った。どうも寝覚めは良くない。体の節々が痛いし、筋肉も疲労したままだ。しかも、頭痛がする。
「今日は、どこに、行こうかなあ…」
 スリッパを履き、床に足を置くバル。窓近くのイスに、いつも着ている旅服が2セットあるはずだ。丈夫な上着に、丈夫なズボン。茶色を基調とした、バルの毛色にぴったりの服が…。
「あれ?」
 ない。そこに畳んで置いてあったような気がしたのだが、見あたらない。
「おかしいなあ…」
 記憶を必死で辿るが、ここで脱いで、置いたということまでしか思い出せない。おかしい、アルコールなど飲んでいなかったのだが。それほど疲れていたということだろうか。
 がちゃ
 仕方なく、パジャマ姿のまま部屋の外へ出るバル。廊下では、この宿の経営者である鳥羽人、ロザリアが掃除をしていた。白い肌に、ストレートの茶色いミドルヘアー、そして真っ白な鳥の羽を持つ女性だ。
「バルさん、おはようございます」
 バルを見たロザリアは、掃除の手を止め、にっこり微笑んで挨拶をした。
「ロザリアさん、俺の服を知らないかなあ」
「ああ、あれですか。差し出がましいとは思ったのですけど、砂をだいぶ被っているようでしたので、お洗濯したのです」
 バルの問いに、ロザリアが返事をした。バルが持つ服は、その2着のみで、両方とも洗濯をしてしまうと着る物がない。パジャマは宿の借り物だから、彼の手持ちの服は下着のみということになる。
「代わりと言ってはなんですが、外着を用意してありますよ。エミーに言えば、出してくれます」
 ちりとりのゴミを、手近なゴミ箱に捨て、ロザリアは立ち上がった。エミーというのは、ロザリアと義理の姉妹である、悪魔人の女性だ。黒いロングのウェーブヘアで、肌は白く、黒いコウモリの羽を背負っている。ロザリアをしっかり真面目者だと評するならば、エミーはのんびりマイペースだろうか。
「ええと、その服って?」
「ちょうど、あなたに合うくらいの男性服です。赤いチェックのシャツと、履きやすい生地のズボンですよ。あ、まずはお食事の方がいいかしら。それも、エミーに言ってください。私はその間に、お部屋をお掃除します」
 がちゃ
 バルの部屋の戸を開け、ロザリアが中に入っていく。そして、窓を開け、風を通した。
「借りちゃっていいのかな。このパジャマも、宿にあったのを、ずっと借りているのに…」
「いいんです、気にしないでください」
 相変わらず笑顔のロザリアを見て、バルは厚意に甘える事にした。階段を下り、食堂へ入った。
「おはよう、お兄さん」
 食堂のテーブルを、エミーが濡れた布巾で拭いている。コウモリの羽を背中に生やした彼女は、黒いレザーの上着とハーフパンツを履いている。彼女はバルに気がつき、顔を上げた。
「おはよう、エミーさん。朝食をもらっていいかな?」
「ええ。ちょっと待っててね」
 エミーが布巾をバケツに入れ、奥へと入っていく。バルはイスに座り、大きく伸びをした。気持ちのいい朝だ。まだ夏になるには早く、それほど気温も高くはない。今日は、研ぎに出していたナイフを取りに行き、雑貨を買い、それから適当な店を回るとしよう。後は何をしようか。
「お待たせ。どうぞ」
 四角いお盆にスープとパンを乗せ、エミーが戻ってきた。パンは焼きたてのようで、いい匂いが漂う。
「あれ、このパンは…」
 お盆の上に乗ったパンを見て、バルが目を丸くした。パンの中に、黒紫色の粒が混ざっている。
「友達が、干しブドウを分けてくれたから、パンに入れてみたの。去年はブドウの出来がすごく良かったから、きっと美味しいよ。こっちはどう?」
 そう言ってエミーが取り出したのは、ガラス瓶だった。中には、赤色の液体がたっぷりと詰まっている。恐らく、ワインだろう。
「ごめん、俺は酒は飲まないんだ」
「あら、そう?」
 バルが断ると、少し残念そうな顔をして、エミーはワインの瓶を引っ込めた。パンを割り、口に入れるバル。小麦の甘さと同時に、干しブドウの甘さが来る。美味い、なおかつかなり贅沢な品だ。バルはパンの中でもクロワッサンが好きで、よく食べているが、このレーズンパンはそれに勝るとも劣らない。
 がちゃ
「邪魔するぜ」
 いきなり、宿のドアが開いて、1人の爬虫人が入ってきた。薄緑色の鱗と、濃い緑色の短髪をした青年だ。
「あれ、ギカームさん」
 久しぶりに見たその知り合いに、バルが声をかける。彼の名はギカーム。トレジャーハンター兼古物商をしている青年だ。ちょっとしたところで知り合いとなり、パーティを組んで遺跡に潜ったこともある。
「おう、バルハルト。戻ってたのかよ」
 ギカームがにかっと笑った。エミーは何も言わず、厨房の方へ引っ込んでいった。
「向かい、邪魔するぜ」
 どっかりと、ギカームはバルの向かい側に座る。
「ギカームさん、今日はなぜここに?」
「ああ。飯、食いにな。ここの飯が美味いもんだから、ここ1週間、通い詰めてんだ」
「へえ。そんなに気に入った?」
「おうよ。高くない値段に、良質な味。そんじょそこらのレストランよか、よっぽど良い」
 バルの質問に、ギカームがにやにやしながら答える。少しして、エミーがお盆をもう1枚持って食堂の方へ戻ってきた。
「はい、おまちどおさま」
「お、悪りぃな。美味いもんでよ」
 お盆を置くエミーに、ギカームが嬉しそうに言った。
「どうでもいいけど、ツケは早く払ってね」
 対するエミーは、微笑んでこそいるものが、態度は素っ気ないものだ。ギカームは残念そうに食事を始めた。
「ギカーム、お兄さんは今日は疲れ気味なんだから、静かにしてね」
 ワインの瓶を手に持ち、ぐいっと飲んだエミーは、口を手の甲で拭った。
「ああ、そうだったな。ジャンバルまで出かけてたんだっけか?」
「うん。昨日帰ってきたばっかりなんだ」
「そーうか。なんか面白い体験とかあったか?」
 バルに向かって、ずずいと顔を近づけるギカーム。彼が興味深そうにしているのは、ただの好奇心からではないだろうと思われる。恐らく、何か金儲けの話などがないか、期待しているのだ。
「えーと…砂漠にあるポイザンソっていう遺跡が、崩落した現場にいたよ」
「ポイザンソ。聞いたことがあるぞ。なんでも、大地神の遺跡だって話じゃねえか」
 話をするバルに、ギカームが急に真面目顔になる。やはりあそこは、大地神の遺跡だったようだ。そうでなければ、大地神の魔法具であるはずの、「13階の悪夢」に力を補充出来るはずがない。
「崩落したってのは、地震かなんかか?」
 エミーの手からワインの瓶を奪い、ギカームがワインを飲んだ。エミーはむっとした顔をしたが、すぐにまたギカームからワインを奪う。
「ニウベルグっていう召還士が、魔法で崩しちゃったんだ。そのとき、俺含む4人が中にいて、大変だったんだよ」
 そのときのことは、簡単に思い出せる。生き埋めにはなったが、運良く地下室に入り込み、そこから外への通路も発見できた。そうでなければ、3日経つ今でも、まだ穴を掘っていたかも知れない。いや、ポイザンソは砂漠の遺跡だ、水が無くなって干からびる方が早い。
「ニウベルグ…あんだっけな、聞いたことある、その名を。悪魔人かなんかだったと思うんだが…」
「知ってるのかい?」
「名前を聞いたことがある程度なんだが…どこで聞いたんだっけな。覚えてねえ」
 またもや、ワインの瓶をエミーから取るギカーム。ニウベルグはこの国と全く無関係だと思っていたが、実はそうでもないのかも知れない。
 思えば、ラミア女性のライアが、この国の傘下にあるラミアの集落メイゥギウに住み始めたのが18年前。8年前に、王国領になるまで、メイゥギウはどこの国とも関係ないただの村だった。王国で起きたなにがしかの事件から逃げ、ライアがメイゥギウに行ったという風に考えれば、一応筋は通る。
『いや…』
 よくよく考えればおかしい。ライアの元にいるラミア少女、メミカは、ライアと共に王国に何度か買い物に来たと言っていた。ニウベルグが王国にいるならば、万が一見つかってしまうことも考え、王国には近寄らないのが普通だろう。更に言うなら、メイゥギウは王国から歩いても1日で到着する距離。そんな近くに逃げるとは考えづらい。
「ニウベルグって名前を聞いた時期を覚えてないかな?」
「時期?んー、わからん。半年は経ってねえと思うがな」
 もっちゃもっちゃとパンを噛み、ギカームがバルの質問に答えた。やはり、今の仮説は間違いだ。とすると、色々と疑問が残る。個体数が少ないとは言え、ラミアの集落は世界中にある。なぜメイゥギウにライアが来たのか。偶然か、それともそこでなければいけない理由があったのか。
『下手な考えなんとやら、か』
 頭痛のせいで、というわけでもないけれど上手く考えがまとまらない。腹が膨れるにつれて、なんだか眠気が戻ってきた気がする。また上に行って一寝入りしようかなどと考えてしまう。
「えーい、飲ませてくれよ!いいじゃねえか!」
「いかにお客様だろうと、傍若無人な態度取るなら、怒るよ!」
 気がつけば、1本のワインの瓶を取り合って、ギカームとエミーがケンカをしている。しばらく見ないうちに、こんなケンカが出来るほどに、2人は仲良くなっていたらしい。
「一体何の騒ぎ?」
 上からロザリアが下りてきた。
「あ、ロザリアさん」
 バルが顔を見上げ、その名を呼ぶ。ロザリアは何が起きているかを理解して、口をへの字に曲げた。
「何も取り合いしなくても、コップを使えばいいでしょう、エミー」
「でもぉ…」
「ワインはまだあるわ。別にいいじゃない」
 ガラスのコップを2つ出し、テーブルに並べるロザリア。エミーは手に持った瓶とコップを見くらべた後、諦めように2つのコップにワインを注ぎ、1つをギカームの前に置いた。ロザリアはそれを見て、満足げに頷くと、奥の方へと引っ込んでいった。
「俺の方が少ねぇ気がするんだがよ…」
「知らない」
 不満顔のギカームを、エミーが適当にあしらう。
「ったく、お客様にその態度はねえよな。な、バルハルト?」
 バルは話を振られたことには気がついたが、返事をすることは出来なかった。いきなり、体が鉄か鉛かのように重くなったからだ。瞼を開けていられない。
「お兄さん?」
 エミーの声が遠くに聞こえる。なんだ、この体の重さはと思う間もなく…。
 がたん!
 バルはイスから崩れ落ち、眠りに落ちた。


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