「ほんとによくやってくれたよ。報酬が市政府の方から出てだな、なんと5000ドルだ」
 セルジオがコーラを出しながら言った。はじける泡が音を立てる。
「ヒュゥ。すごいじゃない、5000ドルって」
 ティナはコーラを受け取り、一息に飲み干した。真昼だというのに、喫茶店には客も従業員もいない。いるのはティナとセルジオだけだ。今日は休業の札を出して休みにしている。
 外は相変わらず暑いようだ。歩く人々の顔が熱さのせいで疲れている。喫茶店の中はクーラーを利かせてある上に、2人しかいないので、暑いとは感じない。
 あれから一週間が経っていた。カーンとその部下4人はかけつけてきた警察官に緊急逮捕され、様々な悪事が明るみにでた。だが、必死の思いで撮った撮影記録は証拠能力をほとんど持っておらず、あまり役にはたたなかった。
 ジョンは2日前に引っ越していった。事件自体は終わったが、父親の異動はもとより言われていたことで、どちらにせよどこかへ引っ越すことにはなっていたらしい。今回が良い機会だと思った両親は、遠くへと引っ越すことにした。警察官舎にしばらくは住み、そこからまた別の家を探すそうだ。
「カーンは思ったより悪党なやつでな、市警の刑事がしっぽつかもうと必死こいてたらしいんだ。そこをティナがやっちまったから、メンツ丸つぶれだったらしい。この金も、ほんとは出したくなかったんだろうが、半分ぶんどるようにとってきた」
「悪いことしたかな」
「いいんだよ。お前さんは殺されそうになったんだ、たっぷり金もらって当然よ」
 セルジオもにこにこ笑いながらカウンターを出て、隣に座る。黒い毛並みはあまり手入れをしていないらしく、ぼさぼさしている。
「にしても、お前さんは金もらってもあんまうれしそうにしてないのな。今度はなにに使うか考えるとわくわくしないか?お前さんなら銃やバイク…いや、マイカーってのもいいんじゃないか?」
 コーラ瓶を勝手に開け、栓抜きを置くティナ。片手で王冠を転がしながら、ティナは答えた。
「いや、ずいぶん楽しみだよ。わくわくするね」
「そうか?そうは見えないんだが…」
 セルジオの言葉を無視して、ティナはコーラを飲んだ。5000ドルといえば大した金額だ。いつもなら新しい銃のことや、ちょっと贅沢するときに行くレストランの味、男をからかいにいくクラブの喧噪を考えるのに、今の彼女はなにも考えていなかった。
『ティナとあうのは難しくなるね。もしこっち来ることあったら寄って行ってよ。住所送ってあげるから』
 ジョンはそういいながら飛行機に乗っていった。父親は筋肉質な大男で、母親は小柄な美人。絵に描いたような幸せな家庭だ。ジョンだって、数日前に銃を撃った少年と同一人物だとは思えなかった。ティナはそんな家庭を見ながら、にこにことほほえんで、楽しそうに笑って、ジョンの涙を見ないように別れた。
『家族、か…』
 ぼんやりしながらティナはコーラを飲む。
「おい、大丈夫か?ぼーっとしてるぞ」
 セルジオの声でティナの意識が現実に呼び戻される。
「大丈夫だって。なんでもないから」
 ティナは王冠を取り落とす。拾おうとイスから降りて、鋭い痛みが足に走る。銃で撃たれた傷は残ったが、少年はもういない。
「ティナ…やっぱり寂しいのか?」
 セルジオがなにかを悟ったように言う。あまりハンサムではない彼も、まじめな顔をするとそれなりにまともに見えるから不思議だ。
「護衛対象とアタッカーの仲だ、別に寂しいことはないよ。本当に寂しくなったらネージュとでも一緒に暮らすさ」
 ぐいと二本目のコーラを飲み干したティナは足をかばうように立ち上がり、大きくのびをした。
「じゃあ、カメラの代金と取り分を取ったら、あたしの口座に入れておいてくれる?今日はもう帰るよ」
「そうか?せっかく休みにしたのに、もうちょっとゆっくりしていかないか?」
「足も痛いし、とりあえず帰るよ。あと2日ほどで痛みも消えるそうだから、それまでのんびりしてるさ」
 立ち上がったティナはよたよたした足で歩き出す。これから外の暑い中にまた出ていくと考えると、あまりいい気分ではなかった。
「ああ、ティナ、ちょっとまて」
 セルジオの声に、ティナが振り返る。
「あんまり無理するなよ?」
 心底心配した顔のセルジオに、ティナは思わず吹き出した。小さな笑い声が少しずつ大きくなる。
「せっかく心配してやってるのに…」
 セルジオはおもしろくないような顔でコーラ瓶を片づけ始めた。ティナはひとしきり笑うと、にっこり笑った。
「あんたの顔がおもしろかっただけさ。また仕事があったら呼んでくれ」
 カランカラン
 ドアベルが鳴ってドアが開き、人が入ってきた。
「今日は休業…」
 言いかけたセルジオが客を見て固まる。視線を追ってティナが入ってきた客を見た。ピンと立った耳に短い毛、黒く短い髪に猫のような顔の少年…
「ジョン?」
 今頃新しい街で暮らしているはずのジョンを見て、ティナは驚きの声をあげた。そんなティナを見て、にっと笑うのは紛れもないジョンだった。
「俺だけこっちに帰ってきたんだ。アドラシスコに残ることになった。驚いた?」
「驚いたに決まってるじゃないか。大体、お前どこで生活するの?」
「ティナんところに一緒に住もうと思うんだけど、だめかい?」
 あっけらかんと話す少年に、ティナはなにも言えなくなってしまった。セルジオがやりとりを聞いて笑い出す。
「ははは、こいつはいい!ティナ、お前の小さな恋人が帰ってきたな!」
「なにいってんのさ!ったく!」
 大声で怒鳴るティナを見て、セルジオがさらに笑う。
「大体、なんで帰ってきたのさ…あんた…」
 あきれた顔でジョンを見下ろすティナ。しかし、口の端に少しうれしさがひっかかっているのを、彼は見逃さなかった。
「俺もアタッカーになりたいんだ。そのために、強い人のところで学ぶのが一番良いと思って…」
「危険な仕事なんだよ?わかってんの?」
「大丈夫。倒す覚悟も、倒される覚悟もできてるよ」
 そのまじめな顔に、どこかマジシャンの面影が移る。ティナはそれを見て、どこか寂しい思いを感じた。
『小さな恋人、か』
 ジョンの頭に手を置き、ティナはくしゃくしゃとなでる。
「おかえり」
 言いたいことはあったが、口から出たのはその一言だけだった。
「…ただいま」
 ジョンが答える。これからもこの少年とやっていけそうな。そんな予感がティナにはあった。
「ついてきな、あたしの部屋に連れていってあげる」
 喫茶店を出るティナの後ろにジョンがついていく。セルジオはそんな二人を見てにやにや笑っている。
 暑い風が木々を揺らし、大きな雲が空に浮かんでいた。これからの二人の前途も、この風のように流れていきそうだ。ティナは大人になり、アタッカーになったジョンを想像し、小気味よく笑った。

(終)


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