2020年、地球は飽和していた。技術向上に、進歩に、飽和していた。人口は増え続け、世界はダメになる一方だった。
 そんな折り、彼らは現れた。彼らは地球の人間に言ったのだ。我々の仲間に入らないかと。
 そして2045年。地球は変わる。


 おーばー・ざ・ぺがさす
 第九話「七夕と優柔不断!」



「始めっ!」
 教室の中に、男教師の声が響き渡った。夏の教室。暑いその室内に、一人の少女が座っていた。名は汐見恵理香。狐の耳と尻尾をつけた、半地球人、半獣人の少女だ。髪はやや青い銀髪で、やや筋肉の付いた細身体型をしている。今この教室では、彼女一人のためのテスト問題が渡されていた。このテストに通れば、彼女は晴れてこの高校、私立天馬高校の一員となれる。2日後、結果が郵送され、試験終了後の短い授業期間から学校に通うことになる。
「んー…」
 問題を見て、彼女は思わず唸った。問題の意味は理解できるし、それがどんな答えを求めているかもわかる。だが、計算式もわからないし、解き方も見当がつかない。裏面をめくっても同じだ。紙面に踊る理科の問題が、恵理香をからかっているかのようだ。
『こう、か?確かこうだったような…』
 恵理香は確信を持てないまま、問題の回答を始めた。山を張っていた場所とまったく違う問題が見える。気のせいか、前に座っている男性教師の視線が鋭く見える。
『あれ、こうか?』
 今まで解いた問題の中に、間違いがあるように見えた恵理香は、思わず消しゴムを当てた。消して、書き直していると、やはり先ほどの答えが正しかったのではないかという答えが算出される。しかし、そうしている間に先ほどの答えを忘れてしまい、解きなおす羽目になった。
『うう、どうすればいいのだ…』
 書いても書いても終わらない。文字がだんだんと蟻か何かのように、恵理香の目に映り始めた。
 キーンコーンカーンコーン…
 いつの間にか、テスト時間が終わっている。目の前の紙には、明らかに見当違いであろう答えが並ぶ。
『くう、無念…』
 恵理香は泣き出したい気持ちを我慢して、解答用紙を提出した。


「ふうん。そうだったの…」
 犬系の獣人少女が、恵理香の訴えるような言葉を聞いて、残念そうな顔をした。彼女の名はアリサ・シュリマナ。純粋な獣人ではあるが、地球生まれで日本育ちだ。クリーム色の体毛に、流れるような金髪。モデル雑誌にでもいそうなスタイルをして、勉強も出来る、いわば優等生だった。
 ここはハンバーガーショップの店内。恵理香とアリサのほかに、褐色体毛で銀髪の犬獣人少女である真優美・マスリ。釣り目で茶髪、ショートボブヘアの地球人少女、松葉美華子。全体的に角張った雰囲気を与える、がっしりした体格の地球人少年、砂川修平。そして、この物語の主人公、ぼさぼさした髪をした地球人少年、錦原竜馬が座っている。全員、学校の制服を着たままだ。恵理香だけ、他の5人と少し違う制服を着ていた。時刻は2時半を少し過ぎたところ、店内には人がまばらに入っていた。
「惜しいところでだめだった、というならわかる。だがな、私には惨敗にしか感じないのだ。うーん…」
「大変でしたねえ。いい子いい子」
 しょげ返った恵理香の頭を、隣に座っている真優美がかいぐりかいぐりと撫でた。
「いっそ、短冊にでも書いて飾るかい?受かっていますようにって」
 修平がカバンの中から1枚の紙を取り出した。細長く切られた色紙で、上の方には小さく穴が開いている。
「そういえば今日は七夕だったね」
 携帯電話でメールを打ちながら、思い出したように美華子が言った。外を見れば、あちこちに笹が飾ってあり、さまざまな願いを書いた短冊が風に揺れていた。
「七夕は愛し合ってる織姫と彦星が、年に1度だけ会える日なんだよな。ロマンチックでいいじゃないか」
 修平が笑いながら言うと、アリサが妖しい目で竜馬の方をちらりと見た。
「くふふ、ほんとロマンチックよねー」
 うっとりとアリサが言う。竜馬は敢えて、アリサの言葉を無視した。
 アリサは竜馬のことが好きで、周りにも「自分は竜馬の彼女だ」と公言してきたが、竜馬はアリサのことが好きではない。友人として付き合っていても疲れるし、もし彼氏彼女の仲になれば何が起こるかわからないというのが彼の持論だ。というのも、彼は幼いころ、アリサに様々なことをされていじめられたことがあるからだ。そして今も、アリサの様々な行動に、竜馬は振り回されていた。
「しかし、七夕だというのに、七夕祭もないんだよなあ。近くの幼稚園では七夕バザーやってるみたいだけど、俺等が行ってどうなるもんでもないしな」
 頭の後ろで手を組み、深々とイスに座る修平。前に置いてある紙ナプキンが、冷房の風を受けてはためいた。
「イベントが欲しいわよね〜。そう、ロマンチックなイベントが。じゃないとせっかくの七夕デイなのに…」
 アリサがぶつぶつと文句を言う。
「そういえば私、こんなもの持ってるんですよぉ」
 そう言って真優美が取り出したのは、1枚のチケットだった。近くにあるプール施設のチケットで、7月7日限り半額と書いてある。
「これ1枚で8人まで半額になるんですよ。せっかくだから、泳ぎに行きませんかぁ?」
「うむ。暑いからな。少しは涼しくなるのもよかろうと思うぞ」
 にこにこしている真優美に、恵理香が大きく頷いた。
「悪いけど、俺パス」
 カップの中のコーラをストローで吸い上げ、竜馬が言った。
「なんでよー?私の水着姿とか私の濡れ姿とか見たくないの?」
 不平たらたらでアリサが抗議した。
「今日は行かなきゃいけないところがあるんだよ。姉貴の関係の手伝いで。俺だって、行けるもんなら行きたい…ん?」
 竜馬が言いながら目線を上げると、アリサが立ち上がって電話を取り出したところだった。アドレス帳を開き、電話を発信する。
『はい、もしもし』
 電話口から小さく女性の声が聞こえる。竜馬の姉、錦原清香の声だ。
「あ、もしもし、お姉さん?今大丈夫?」
『大丈夫だけど、どうした?』
「んーと、竜馬が今日仕事があるみたいなこと言ってたけど、キャンセルの方向で。デートなの」
 アリサの言葉に、竜馬と真優美がずっこけた。
「ななな、なにを言うんですかぁ!デートなんかじゃないもん!」
 真優美が慌ててアリサにつかみかかるが、アリサが片手で真優美を押し戻す。
『ははーん、なるほどね。竜馬は奥手だから、しっかりリードしてあげてね』
「もっちろん!たとえ水の中、ベッドの中…あっ」
 と、にやにや笑いのアリサの手から、竜馬が携帯電話をむしり取った。
「このバカ女!デートなわけねえだろ!」
 電話口に竜馬が怒鳴りつける。
『照れるなよ、マイブラザー。姉のあたし公認なんだから問題なかろ?』
「やかましい!恋人くらい自分で探すわボケ!」
『まあまあ。とりあえず、デートの件、了承したから。覚悟決めな!じゃあな!』
 ぶつっ
「あ、ちょっと!もしもし!」
 唐突に電話が切れ、ツーツーツーという音だけしか鳴らなくなった。
「アリサ、お前…」
 鬼の形相でアリサを睨む竜馬。当のアリサは涼しげな顔で、挑発的に足を組み直した。
「あ〜らぁ?どうかしたかしら?」
「どうかじゃねえよ!このバカ!お前…」
 竜馬の視線が、アリサから隣の真優美に移る。真優美はもはや抵抗もせず、涙をいっぱいに溜めた目でじっと我慢していた。
「ち、違うもん、アリサさんと竜馬君のデートなんかじゃないもん…」
 ぺんっ!
 泣きそうな顔の真優美に、アリサがデコピンをひとつ打つ。
「ほんとダメわんこね〜。泣き虫。そんなんだから、好きな男ひとつ落とせないのよ。ま、どっちにしろ、竜馬はあげないけどねー」
 ぴったりと竜馬に抱きつくアリサ。その小バカにしたような目に、とうとう真優美の涙が決壊した。
「ふええええん!アリサさんのバカー!えーん!えーん!」
 目を押さえ、真優美が泣き出した。
「ほら、泣かないの」
 美華子が「またか」とでも言いたそうな顔で、真優美の頭を撫でる。
「アリサ。あまり人をいじめるものじゃないぞ。竜馬だって、迷惑そうな顔をしてるではないか」
 恵理香がため息混じりにアリサを諭した。アリサが竜馬の顔を見れば、疲れてあきらめきった表情をしている。
「ねえ、竜馬、本当なの?そんなに…私、迷惑…かな…?ごめん、ほんとに、好きで好きで、仕方なくて…」
 しょんぼりわんこの顔をしたアリサが、おずおずと手を離す。
「そんな顔したってだめだ。ったく、どっちがダメわんこなんだか…」
 竜馬はアリサからぷいと顔を背け、イスに座り直すと、残りのハンバーガーをくわえた。
「ほら、な。だからやめろと言うたに…」
 ぎゅううう!
「ぐえ!」
 呆れ顔の恵理香に、アリサが後ろから襲いかかり、首をぎゅうぎゅうと絞める。
「言わせておけば、化け狐の分際でー!」
 アリサの手が、首締めからヘッドロックに移行する。
「うるさい、狂犬!乳があたって暑苦しいじゃないか!」
「嫉妬しないでよ、ナイチチ狐!」
「何を!犬用の口枷と首輪をつけてやる!」
 悪口を言い合っていた2人だったが、とうとうとっくみあいの喧嘩が始まった。
「えーい!外でまでケンカするなよな!」
 見ていた修平が、慌てて2人を止めに入る。
「うう、美華子ちゃ〜ん、いじめられたよぅ…」
「よしよし。ほら、いつまでも泣いてるんじゃないの。めんどくさいんだから、もう…」
 真優美に泣きつかれた美華子が、真優美の頭をなで続けた。竜馬はこの一連の流れ…恵理香とアリサがケンカして、修平が止めに入って、真優美が泣いて、美華子がそれを慰める流れを見て、疲れが押し寄せるのを感じていた。


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