忘れられない、大事な思い出。忘れてはいけない、大切な記憶。
 過去は時として枷になり、時として翼になる。流れ、移ろいゆく時間。
 ここにいるのは、遠い未来に思いを馳せ、無限の可能性をしっかり握った少年少女達である。


 おーばー・ざ・ぺがさす
 第二十五話「愛。それはともかく強敵現る!」



「ん…?」
 日本、東京都。その端に位置する街で、道を歩いていた少年、錦原竜馬は振り向いた。あまり手入れをしていない髪、筋肉の少しだけついた細い体、これと言って特徴のない顔。その竜馬が後ろを向いた。
「どうしたの?」
 隣にいた少女、アリサ・シュリマナもつられて後ろを振り向く。
「後ろから呼ばれた気がして」
 竜馬がきょろきょろと見回すが、そこには誰もいない。強いてあげるならば、駐車場の黒い軽自動車のボンネットで、これまた黒い猫が昼寝をしているくらいだ。
 今日は、終業式の日だった。午前中で放課となった高校生が、あちこちで帰宅に入っている。2人が通っている私立天馬高校は、これから2週間の間、春休みに入る。しかし、数日後にはすぐ登校日があるので、まとまって2週間の休みが取れるわけではない。
「誰もいないじゃない。気のせいじゃないの?」
 くふふ、とアリサが笑った。竜馬もそう感じたらしく、前を向いて歩き出した。
「そうだ。竜馬、自転車見つかったの?」
 前に言われた話を思い出したアリサが、竜馬に話題を振った。
「だめだな。警察にも連絡したんだけど…チャリ、帰って来てほしいよなあ…」
 竜馬が肩をすくめる。竜馬は、数日前、アパートの駐輪場に停めてあった自転車を盗まれていた。彼は親元を離れ、姉と2人で東京に住んでいる。家計は実家とは離れているため、かなりの貧乏暮らしをしているのだ。そのため、自転車を盗まれると言うことは、かなりの大事件だった。
「アレがないと、遠くに行く気が起きねえよ。ったく、ふざけやがって」
 かなりの不便を強いられているようで、竜馬は怒っている。駅に行くくらいならばいいだろうが、買い物に行くときは荷物だってあるし、少し遠くに遊びに行くときも自転車が必須となるはずだ。それがなくなったことで、竜馬は困っているらしい。出来ることならば、アリサは何か手助けをしたかったが、何も出来ずにいる。
「竜馬くーん!」
 アリサがそう言った矢先、道の角を曲がって、一人の少女が走ってきた。チョコレート色の体毛をして、銀色のミドルヘアーをパーマにしている。真優美・マスリだ。
「ああ、真優美ちゃん」
「竜馬君の後ろ姿が見えたから、走ってきたんですよぉ、ふぅ」
 友好的な笑顔を浮かべる竜馬の横に立ち、真優美が息をついた。
「真優美ちゃん、その手に持ってるのは?」
 真優美の持つ大きな手提げ袋に、アリサが興味を示した。
「これですか?これは燃えないゴミです」
 手提げ袋を開く真優美。中は、よくわからないがらくたでいっぱいだった。
「またそれで遊ぶの?」
「ええ。ちょっと、面白いことを思いついたんで…」
 竜馬の問いに、真優美がえへへと笑った。彼女は手先が器用だ。勉強は出来ないが、その分機械をいじることが上手い。こうして、がらくたを拾ってきては、面白いものを作っている。
「怪我しないようにね?前、指切ったときは、大変だったじゃない」
 ぽんぽんと、アリサが真優美の髪を撫でる。
「これから2人は帰りですかぁ?」
 重たそうな手提げ袋を、右手から左手に持ち替えて、真優美が聞いた。
「うん。私は家でやりたいことがあるから」
 長い金髪を指でいじり、アリサが答える。
「俺はちょっと、修平とあう用事がある」
「あ、そうなんだ?」
 竜馬の答えに、アリサが反応した。修平というのは、フルネームを砂川修平と言う、竜馬達の共通の友人だ。筋肉のついた、強そうな体をしており、空手や柔道などをやっているという。竜馬が高校に入って、最初に会話をしたのも、修平だった。
「私も修平君に用事があるんですよー。一緒に行っていいですかぁ?」
「いいよ。うちに修平来るらしいから、来るといいよ」
 のんびりと言う真優美に、竜馬が笑みを返した。
「じゃあ、ここでお別れかな。また用事があったらメールするね」
 アリサが2人から離れた。
「あれ、お前、来ないのか?」
「うん。帰ってからドラマ見たいの。また今度誘って?」
 意外そうな顔をする竜馬に、アリサが微笑みを返した。ちょうど、曲がる十字路まで来ている。竜馬と真優美、両方に手を振ったアリサは、道を曲がった。彼女は帰って、録画してあるドラマを見ようと考えていた。
 アリサは竜馬のことが好きだ。これは一方的な恋愛で、竜馬からリターンが来たことはない。だから、いつもならば彼が他の女の子と仲がいいところを見ると怒るのだが、今日はそんな気にもならなかった。あまりにも天気が良く、気持ちがいいからだろうか。
『そうじゃない…かな』
 アリサは自嘲気味に笑った。竜馬は彼女のことを愛していない。それがよくわかっているから、心のどこかであきらめているのだ。1週間前まで、アリサは竜馬に好かれようと、ダイエットをしていた。だが、結果は思わしくなかったばかりか、竜馬の叱責までもらってしまった。彼は確かに、アリサのことを友人として見てはいるのだろう。だが、それはあくまで友人。恋人ではない。
 思えば、竜馬と再会して1年だ。幼少時、アリサは石川県に住んでいた。そこに住んでおり、一緒の幼稚園になった竜馬に、アリサは強烈に惚れた。そこから、だ。この気持ちが続いているのは。小学2年の時、東京に引っ越したアリサは、竜馬のことなどすっかり忘れていた。
 しかし、運命というのは数奇なもので、竜馬は東京の高校、それもアリサが行くことになった高校に通うことになった。幼少時は、竜馬のことが好き故に、ひどく虐めもした。が、今はそれもない。純粋に、竜馬のことが大好きだ。もし彼が、アリサに犠牲を強いるような状況になれば、それに応える気はたっぷりとある。もっとも、優しい竜馬が、そんなことを望むはずもないが。
『さて、と』
 帰ってからやる手順を、アリサはのんびりと思い浮かべた。たぶん家に着くタイミングで母も帰ってくるだろう。まずは制服を着替えて、荷物を置く。テレビレコーダーがあるのは1階の居間だ。ソファに座って、録画したドラマを見る。その後、昼食をとろう。
「ん…?」
 そんなアリサの目のはしに、一人の男が入った。東洋人系の顔をした男。春物のセーターを着て、ジーンズを履いている、太った男だ。アパートの前で、誰かを待つように立つその男に、少し違和感を覚える。
「あ…」
 男は、周りを確認した。アリサが見えなかったようで、誰もいないと認識した男は、幌のついた軽トラックに、自転車を積み始めた。アパートの駐輪場に停めてある自転車だ。どう見ても、男の所有物には見えない。怪しいと思ったアリサは、電柱の陰に隠れ、その一部始終を見つめた。
 ブルルル
 あらかた自転車を積み終わった男は、軽トラックのエンジンを始動した。トラックには、今積んだ自転車の他に、スクーターなどが積まれている。
「あれ?」
 その中の一台に、アリサは見覚えがあった。シルバーを基調とした、古い自転車。ベルが壊れ、半分むき出しになっている。竜馬の自転車だ。タイタニウムとなんとかの合金で、水に浮くほど軽いと、竜馬が言っていたのを覚えている。どうやら、こいつが竜馬の自転車を盗んだ犯人らしい。
『事件じゃない!あ、あ、逃げちゃう』
 トラックが発進する。そのとき、アリサが取った行動は、警察に連絡するでもナンバーを控えるでもなく、トラックの後を追跡することだった。まだ加速し始めて遅いトラックの後ろについたアリサは、縁に手をかけ、飛び乗った。
 がつん
「っく!」
 背中が堅い床にぶつかる。以前までのアリサならば、こんな事件があっても、無視していたかも知れない。だが、いろいろな人間と付き合うようになって、認識が少しずつ変わっていった。特に、真優美の正義感の強さに、影響された部分もある。それに、警察の捜査の問題があるだろうから、盗まれた自転車がちゃんと帰ってくるかも怪しい。もし盗まれたものがどこかに輸出されてしまったら、手元に戻ってくる確率は低い。今この場で奪って逃げて、それから届け出るのが、一番確実だ。
 がたっがたっ
 トラックが揺れる。このまま乗っていれば、このトラックが窃盗犯のアジトまで連れていってくれることだろう。このトラックがどこまで行くのか。そして、どこにアジトがあるのか。
「連れていってもらおうじゃないの」
 小声で呟き、アリサがにやりと笑った。


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