「…そっか。チョコを渡せてよかったね」
 エキャマが、嬉しそうに恵理香の頭を撫でた。
「よくはない。そのために、こっぱずかしい台詞まで言って、汚いパンツを見せられたんだぞ?」
 対する恵理香は、不機嫌そうな顔で、面倒くさそうな言葉を返す。撫でる手もうっとおしいらしく、時折耳がぱたぱたと動き、エキャマの手を叩いていた。
 2人は、駅に向かって歩いていた。今日でエキャマの滞在時期はおしまい。これから駅に行き、そこから東京、東京から成田へ行き、成田から飛行機で宇宙港のある福岡へ行く。そこから、彼女は自分の星へ帰る。時間にして、実に24時間以上の旅となる。昔、地球が宇宙連邦に加盟する前には、大した宇宙航行技術もなく、星から星の間は3日以上かかったそうだ。そんなに長い間、狭い船の中にいるということを想像できない恵理香は、その退屈な旅を想像して身震いした。
「でも、恵理香も嬉しかったんでしょ?」
「まあ、な。竜馬は喜んでくれたしな」
 エキャマに突っ込まれて、恵理香が渋々そのことを認める。
「恵理香は素直じゃない。もうちょっと素直に生きれば、楽になるかもよ?」
 くすくすと、エキャマが恵理香を笑った。
「素直とは心に嘘をつかないことだ。嘘をつこうとも思わないが、今のままじゃ恥ずかしすぎる。もう少し、つんつんさせてくれ」
 苦笑いをする恵理香。今回の竜馬の件で、いろいろと気づいたことがある。自分は基本的に、異性関係や友人関係で、素直な行動をとれない人間のようだ。恥ずかしさが先立って、素直に自分の思いを伝えることが出来ない。そのため、自分ではそのつもりがなくても、相手に迷惑をかけることがある。これは改めなくてはならない悪点だろう。
「それはそうと。エキャマ、竜馬と話をしたそうだな?」
 恵理香がエキャマをじろりと睨む。
「どうやってあいつと?電話でもかけたのか?」
「偶然あったの。ちょっとヒントをあげただけ。男と女は、ずいぶんと感覚が違うもの」
「はあ…まったく、しょうがないな。あいつも…」
 ひょうひょうとした態度をとるエキャマに、恵理香が無愛想な返答を返す。
「ちょっと、気になっていたからね。どうしたの?」
「どうもしない。私がなぜ怒ったか、あいつが自分で気づかず、人に教えられてようやく気づいたというところが、若干気にいらなかったんだ」
 エキャマの態度が気に入らず、恵理香が口を尖らせる。
「やっぱり、竜馬君が好きなんだね。そんな聞き方をするなんて」
 にっこりとエキャマが笑った。
「そんなつもりではないのだがな…」
 ずり落ちてきた旅行カバンを持ち直し、恵理香は疲れ気味に顔を撫でた。どうしてもこの従姉妹は、自分の交友関係を色恋沙汰にしたいらしい。いや、自分の言い方がそう見えたのか。もう抵抗することも疲れた恵理香は、流れに身を任せることにした。
「あいつもあれで、もう少し女心を理解出来れば、人間的に成長すると思うよ。男友達と女友達、どちらも同じように接するのだから、たまったものじゃない」
 はあ、と恵理香がため息をついた。
「竜馬君だけ?」
「ん?」
 エキャマの聞き方が要点を得ず、恵理香が聞き直す。
「恵理香も、男心が、わかってないんじゃない?」
 とても愉快だといった面もちで、エキャマがからかうように言った。
「何を言うか。あんなものを男心と言われてはたまらない」
 その顔が、少々癪だった恵理香は、素直に聞かずに反論した。
「あはは。それもそうだね」
 笑いながら、エキャマが顔を上げた。恵理香も一緒に前を見る。目線の先、100メートルほどのところに、駅がある。ここまで行ったら、もうお別れだ。
「駅だね。長い間、お世話になって、ありがとう」
「あ…」
 微笑んだままのエキャマに、恵理香が笑みを無くす。この1週間、エキャマのおかげで様々なことが起きた。普段ならば素直になれず、ケンカ後にはなかなか仲直りが出来なかったはずの竜馬との仲も、彼女に煽られて仲直りできた。最初、あんなにおかしな対応をしたにも関わらず。彼女は楽しく話をしてくれた。竜馬が彼女と友人になったように、恵理香も彼女とすぐに友人になれた。人見知りの激しかった恵理香は、エキャマにあうことで、もしかしたら素直になれたのかも知れない。
「礼を言うのはこっちだよ。エキャマに言われて、気付いたことが多かった」
 恵理香がエキャマに、握手をしようと右手を差し出す。
「この手は?」
 エキャマが不思議そうに手を見つめる。
「握手だよ」
「握手?」
 握手、という言葉を知らないのか、エキャマがきょとんした目で恵理香を見つめる。
「ああ、握手、というボディランゲージでな。挨拶の一種だよ。こう、手を握りあうんだ」
 ぎゅっ
 エキャマの右手を取り、恵理香が握手をする。エキャマの手は柔らかく、暖かだった。
「さようならって意味なの?」
「少し違うな。親愛をこれで表現するんだ。そっちには握手はないのか?」
「うん。初めて見た。地球の文化ね」
 ぎゅうっ
 エキャマが、強く強く、恵理香の手を握り返す。しばらく握った後、恵理香は手をほどいた。いつの間にだかわからないが、エキャマは恵理香にとって大事な友人になっていた。そう、姉妹のいない恵理香にとって、まるで姉のような存在に。
「ここから先は自分で行けるよ。荷物持ってくれてありがとう」
 恵理香の腕に抱かれた旅行カバンを、エキャマが受け取り、背負い直した。本当ならば、もっと気の利いたことを言うはずが、何も言えない。胸がいっぱいで、気を抜くと泣きそうになる。たかだか一週間。それも、唐突にやってきたいとこのはずなのに、別れるのがこんなにも悲しい。
「…また、来いな?私のアドレス、教えておくよ」
「あ、うん」
 恵理香が携帯電話を取り出すのと同時に、エキャマも携帯電話を取り出した。エキャマの携帯電話は、楕円をベースにして、真ん中のくびれた形の電話で、体格の大きな獣人でもボタンを押せるように全体的に大きい。異国の人種が使う不思議な形の携帯電話。エキャマにしてみれば、恵理香の携帯電話の方が、珍妙なのかも知れない。
 少し戸惑った恵理香だったが、規格は同じようだ。特にトラブルもなく、恵理香のメールアドレスは、エキャマの携帯電話の中に収まった。
「それじゃ。またね」
 荷物を持ち直し、エキャマが駅に向かって歩き出した。恵理香は、せめて改札までついていこうか悩んだが、結局ついていくことはやめた。これ以上一緒にいて、もしかしたら泣き出すかも知れなかったからだ。
「さて…」
 恵理香が一歩踏み出した。心の中に穴が開く、とはこのような気分のことを言うのだろうか。ある種、すがすがしささえ感じられる虚無感に、恵理香は肩を落とした。
「恵理香ー!」
 去ろうとした恵理香の背中に、エキャマの大声が届く。恵理香は狐の耳を動かし、振り返った。
「ありがとう!本当にありがとう!また来るからね!絶対!」
 通行人が、何事かとエキャマに注目した。茫然と、エキャマを見ていた恵理香。そのうち、目の縁から、涙があふれ出した。年上のいとこ。ここ数日間、楽しい時間を過ごした相手。
「あ、あう…」
 何か返事するべきだと思い、口を開く恵理香だが、その口から漏れるのは声にもならない声だけ。涙が止まらない。このバレンタインデーのことを、そしてこの数日のことを、きっと一生忘れない。恵理香は、この感情を、心の中に刻み込んだ。
 冷たい風が吹く東京。異国から来た、大事ないとこの背中を見送りながら、恵理香は涙を流し続けた。



 (続く)


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