これは、2045年、とある高校に入学した少年と、彼をとりまく少年少女の、少しごたごたした物語。
日常と騒動。愛と友情。ケンカと仲直り。戦いと勝敗。
そんな、とりとめのないものを書いた、物語である。
おーばー・ざ・ぺがさす
第十八話「結婚式と誕生日」
関東地方では、秋から冬に変わるとき、気候が晴れになり、寒い風が吹くようになる。そして、冬に近づくにつれ、空気が乾燥し始める。それによって、ある弊害が起きるようになる。火災事故などより、もっと身近な弊害が。
パチッ
「あっ!」
学校の入り口、大きなガラス戸の取っ手に手をかけた獣人少女が、顔をしかめて手を引っ込めた。褐色でさらさらの体毛、髪は肩までのシルバーブロンドで、少しパーマがかかっている。目がぱっちりと大きく、カテゴライズするならば「美しい」と言うよりは「かわいい」の部類に入る少女だ。彼女は名を真優美・マスリという。大食いで泣き虫の獣人少女だ。
「どうしたの?」
後ろに立っていた、ショートボブで茶髪の人間少女が、ドアを開けて校内に入る。こちらの少女の名は松葉美華子。普段はつっけんどんで、何を考えているかわからない少女だ。真優美ととても仲が良く、一緒にいることが多い。仲がいいグループには他に、金髪ロングヘアでクリーム色の体毛、尖り耳の先が黒い犬獣人のアリサ・シュリマナや、キツネの耳と尻尾を持つハーフ獣人の汐見恵理香などがいる。彼女たちは、同じ私立天馬高校、1年2組の生徒達だった。
「最近、静電気がひどくって…」
真優美が目に涙を浮かべる。
「そっか。私、耐電体質だから、別に感じないな」
内履きと外履きを交換する美華子。月曜の朝の玄関は、多くの登校生徒によって賑わっていた。
「今日は1限から数学ですね〜。ああ、面倒くさいなあ…数学、難しいんだもん」
「まあね。面倒くさくはある」
難しい顔をする真優美に、生返事の美華子。2人は階段を昇り、1年2組の教室に入る。
「あ、噂をすれば。おはよー」
窓際に座っていたアリサが、2人を見て手を振った。向かいに、恵理香が座っている。
「おはようございます〜」
自分の席にカバンを置いた真優美と美華子は、その話の輪に入り込んだ。
「噂をすればって?」
手近なイスを取り、美華子が座る。
「別に大した話でもないよ。今、ちょうど真優美のことが話題に上がっていたんだ」
机の上に広げたパンフレットを、恵理香が見せた。
「えーと…結婚衣装コンテスト?」
書いてある文字を読み上げる真優美。そのパンフレットは、近くの結婚式場の出した、イベントのパンフレットだった。表紙には、ウェディングドレスを着た、きれいな人間女性の姿が印刷されていた。
「これと真優美が、何か関係が?」
美華子がパンフレットを取り、細かい文字を読む。
「真優美ちゃんは、少し夢見が入っていることがあるからな。こういうイベントに、惹かれるのではないかと思ってな」
恵理香が太いキツネ尻尾を振る。
「夢見、ですか。よくわからないけど、ウェディングドレスって、すごくきれいですよねえ…」
美華子の見ていたパンフレットを、真優美が手に取る。どうやら、一番ウェディングドレスが似合うと判定された女性には、新作のドレスと賞金が出るようだ。その日は、この結婚式場が取り決めた、結婚記念日のようで、それに応じたイベントとしてこれを開催するらしい。
「当日、飛び入り参加も大丈夫らしいのよね。私、行っちゃおうかなー。でも、ウェディングドレスを着ると、婚期が遅れるって言うしなあ…」
アリサがにやにやしている。彼女の頭にあるのは一つだ。彼女がとても好きで仕方がない、人間少年の錦原竜馬のことだろう。竜馬はやせ形の男子で、遠い県からこの東京にある天馬高校に、アパートを借りて通っている。昔、アリサと腐れ縁で何かあったらしく、アリサを毛嫌いしているが、アリサはそれでもめげずに彼にアタックをかけていた。そして真優美も、竜馬に淡い思いを寄せている。なので、このアリサと真優美は本当はライバル同士なのだが、そんなことは関係なしにとても仲良くしている。
「あ…これ、明日じゃないですか!」
開催日時の欄を見て、真優美が目を丸くする。
「あれ。そういえば、明日は誕生日マークが…錦原の誕生日って書いてあるけど、本当?」
手元の携帯電話を机に置く美華子。明日の日にちの横には、ケーキのアイコンがついており、錦原竜馬と表示されていた。
「本当か?知らなかったよ」
恵理香が携帯電話を覗き込む。
「そうよ、明日は竜馬の誕生日よ。プレゼント、用意してあるんだから。くふふ」
アリサがにたにたと笑った。よほど幸せな想像をしているらしい。
「まあ、大変!あたしも何か用意しないと…ああ、でも、どうすればいいのかしら…」
真優美があたふたしている。ポケットから出した手帳に、忘れないように竜馬の誕生日をメモした。たぶん彼女は、プレゼントとウェディングコンテスト、2つの行事をこれからどうするか考えるせいで、勉強が手に着かないだろう。
「竜馬にはいつも世話になってるからな。何か贈りたいものだが、今日はいろいろと忙しくてな。買い物に行けるかどうか…」
恵理香も悩み込みはじめる。彼女は竜馬に好意を抱いているが、恋愛関係に発展するかと言うとそうでもない。そのせいか、煮え切らない態度に見える。
「でも、誕生日とか結婚記念日って、女は大事にしても男は大事にしないのよねー。みんなそうらしいわよ」
アリサがため息をついた。彼女の誕生日はまだ遠いが、そのとき竜馬が誕生日を覚えていてくれるか、不安なのだろう。
「それ、よく聞くね。私の友達も、つきあい始めた記念日に彼氏にそのことをメールしたら、彼氏がすっかり忘れてて、自分一人で遊びに行ったんだってさ」
パンフレットを眺めながら、美華子が言う。
「えー、何それ?ひどいなあ…」
「全く。男というのは、どうしようもない生き物だな」
アリサと恵理香が、同タイミングで顔をしかめた。
「でも、あたしの知り合いの人は、結婚式の写真をいつまでも飾ってましたよ。あれ、愛があってよかったなあ…」
しみじみと言う真優美。彼女の頭には、ウェディングドレスのことしかなかった。純白の、美しいドレス。あれに袖を通せるなんて、結婚式とはなんと素敵なイベントなのだろう。真優美ははっきりと、明日のウェディングコンテストに出ることを決めていた。
「さて、明日出るんだから、帰ってからテーブルマナーの練習しないと…」
「え?」
アリサの口にしたテーブルマナーという単語に、真優美が目を丸くした。
「パンフレットが余ってるな。真優美ちゃんにも差し上げよう」
カバンを開き、パンフレットを取り出す恵理香。真優美がそれを受け取り、中を開く。一般的な食事マナーや、式場でのマナーなどは、実技で行う場合があると書かれている。また、その中でもいろいろなものをクイズ形式で出題するともあり、真優美はそれだけで緊張してしまった。
「こんなの、勉強しないといけないんですか?」
パンフレットから顔を上げる真優美。彼女の腹の中は、不安でいっぱいだった。
「そうよ?まあ、一夜漬けでも、なんとかなるでしょ。賞金はともかく、このドレス、ほしいなあ…」
パンフレットに印刷されたドレスを見て、アリサがにやにやしている。普段着られるドレスではなく、どちらかというとソワレのような、舞踏会に着ていくようなドレスだ。通常では手が届かないような値になるだろう。
「和式のテーブルマナーならば自信はあるが、洋式なんだろう?修平あたりならば知っていそうな気もする」
自分の尻尾を撫でる恵理香。修平というのは、竜馬と同じように、このメンバーと仲がいい人間少年だ。フルネームを砂川修平と言い、体格がよく、筋肉がついている。
「そういえば…おじさんの結婚式行ったとき、めんどいことを教え込まれたのを思い出したよ。そのとき、テーブルマナーも習った」
美華子がパンフレットを置く。
「え、それ本当ですかぁ?」
その話題に、真優美が食いついた。
「うん。出来るだけお上品にしろって言われてね。窮屈ったらなかった」
結婚式のことを思い出しているようだ。美華子が苦い顔をした。
「あの…もしよかったら、そういうの、教えてもらっていいですかぁ?」
おずおずと、真優美が美華子の手を握った。
「いいよ。じゃあ、学校終わったら、みんなうちおいでよ。出来る限りのことは教えてあげるから」
「ありがとう〜」
しょうがなさそうに承諾する美華子に、真優美がにっこり笑ってお礼を言った。
そして放課後が来た。美華子の部屋では、簡易的なテーブルを作り、テーブルマナー講座が始まっていた。普段からきれいな美華子の机がさらに片づけられ、テーブルクロスが敷かれた上に、ひとそろいの食器が置かれた。部屋では、アリサ、真優美、恵理香、そして美華子が、制服姿でそれぞれマナー講座をするための設営をしていた。
「本格的ねえ」
「ええ。流石ですねぇ」
テーブルの設営を終わらせたアリサと真優美が、並び立ってふふんと鼻を鳴らした。
「4人もいたら部屋が狭いなあ…別にいいけど」
美華子が顔をしかめる。4人分の飲み物とお菓子が、部屋中央の小さなテーブルに置いてあるが、少し誰かが動くだけでテーブルにぶつかってしまいそうだ。
「済まないな。私は明日のコンテストに出るわけでもないのに、おじゃましてしまって」
邪魔にならないように、恵理香が部屋の隅へと移動する。
「いいよ。じゃ、始めよっか。くれぐれも、真面目にお願いね。私が手本見せるから」
美華子が机の前に立った。置いてある空のスープ皿を前に、ナプキンを置く。
「うん、よろしく」
長い髪を、アリサが整える。
「明日のコンテストは、コース形式の食事が課題にある。洋食らしいから、まず基本を」
伏せて置いてあるフォークを、美華子がくるりとひっくり返した。
「まず、これ。どこの国の料理かにもよるけど、伏せて置いてあったり、仰向けに置いてあったりする。どっちにしろ、使い方は同じだね」
ナイフとフォークを手に持ち、何かを食べるふりをする美華子。その姿は、優雅だった。
「フォークの向きって、何で決まるの?」
アリサがフォークを一本手に取った。
「確か、料理の出る国の形式。フランスと、イギリスだったはず。食事の方式も、両者で微妙に違うんだよ。まあ、詳しいことはわからないけど、私は確かフランス式を習ったよ」
美華子がフォークを置いた。
「へぇー。私、知りませんでした。最近になるまで、地球の各国のことを、あまり知らなかったので…」
真優美が感嘆のため息を漏らす。
「真優美ちゃんは、地球に来てから、10年経っていないからな。仕方がないとは思うぞ」
真優美の頭に手を置いた恵理香が、ぐりぐりとなで回した。
「イスに座るときには左から。広げたナプキンは膝の上。基本、ナイフやフォークは外側から使っていく。コースの最後になれば、自然にお腹がいっぱいになる量が出るから、ご飯とかパンをいっぱい食べない。それで…」
早口で説明する美華子。興味津々の恵理香とは対照的に、真優美は最初から、アリサは途中からついていけなくなってしまい、集中力がすっかりなくなってしまった。
「ねえ、真優美ちゃん。竜馬ってさ、太股の後ろ側にほくろあるの知ってる?」
小声で、アリサが真優美の耳に吹き込んだ。
「だ、だからなんですか?」
真優美が顔を赤くする。
「ほら、私って、竜馬と一緒に寝ること多いし、知ってるのよ〜。くふふ」
「寝るって…誤解する物言いをしないでくださいよぅ。本当に、一緒に添い寝してるだけでしょう?」
自慢げに笑うアリサを見て、真優美がいらだったような声を出す。かちんと来たようだ。
「くふふ。うらやましいの?それとも悔しい?」
挑発するように、アリサが真優美の鼻を撫でた。
「く、悔しくなんかないもん。前に竜馬君、真優美ちゃんはかわいいって言って、なでなでしてくれたもん」
アリサを睨み付ける真優美。尻尾がいらいらと揺れる。
「あんた達、ちゃんと聞いてる?必要ないなら、もうここでやめてもいいけど」
美華子がくるりと後ろを向いた。ナイフとフォークを1本ずつ持ち、眉根を潜めている。
「あ、ごめんごめん。聞いてるよ。なんだっけ?」
アリサが適当に話を取り繕った。
「だから、フォークとナイフを使ってご飯を食べるときには、フォークで掬うようにするんだって。ナイフを使ってフォークの背に乗せるのは、難しいし食べにくいから、もうやらないようになった。ご飯はライスって言って…」
美華子がまた説明を始めたが、一旦興味がなくなった2人は話をやめなかった。
「そりゃ、真優美ちゃんはかわいいと思うわよ。でも、竜馬には役不足なの。竜馬相手には、私みたいに、かわいくてエレガントな女が似合うのよ」
くふふと、アリサが笑った。自分に自信がある女の笑い声だ。
「ふ、ふーんだ。最後に決めるのは竜馬君だもん」
真優美が強がる。彼女の心の中では、大きな波が立っていた。確かに、真優美の目から見ても、アリサは多種多様の知識を持っているし、多彩な技術も持っている。仕事をする上でも、恋愛をする上でも、アリサはかなりのレベルに入る。もし竜馬でない男ならば、一発で惚れてもおかしくはない。
「こら、話をちゃんと聞かないか」
後ろでこそこそ話をしているのを聞いた恵理香が、小声で2人を叱りつける。
「恵理香だって興味あるんじゃないの?竜馬の話…くふふ」
悪い顔をして笑うアリサ。その顔には、多少なりとも卑猥な意図が見て取れる。
「ばっ…付き合ってられないな」
恵理香が目を逸らす。
「最初に恵理香とあったときには、男性経験も人生経験だとか豪語してたくせに」
「うーん…達観してはいるつもりだよ。ただ、実際に艶めかしいことを考えると、恥ずかしくなるわけで…出来るならば、ドライにだな…」
からかうアリサに対して、恵理香が自己弁護のループに入ってしまった。こうなると、数分間は戻ってこない。
「くふふ、まあ、いいわ…そうそう」
何かをたくらんでいる顔で、アリサがにやにや笑った。
「ここよ、ここ。竜馬のここにほくろがあるの」
ぎゅっ
「ひっ!」
真優美のスカートに、下から手を入れたアリサは、右太股の後ろの毛を摘んだ。真優美が驚き、体をびくんと震わせる。
「あ、アリサさん!何するんですか!バカー!」
真優美がアリサにつかみかかった。
「わっ!」
バタン!
アリサは真優美の毛をつまんだままだったので、避けることが出来ずに、倒されてしまった。アリサを押し倒した真優美も、一緒に倒れ込む。ぺらり、と真優美のスカートがまくれあがった。
「真優美ちゃん、何すんのよー!暴力反対!」
「アリサさんがそんなことするのがいけないんだもん!」
絨毯に転がり、ケンカを始める2人。端から見れば、それは仲がいい少女2人が、戯れている様子にも見えた。
「…はあ。だめみたいだね。ま、こういうのって退屈だし、仕方ないか。もうここで一旦休もう」
ため息を付いて、美華子が立ち上がった。すっかりやる気をなくした美華子は、ベッドに寝転がり、電気ストーブを自分の方へ向けてマンガを読み始めた。
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