気絶していた竜馬は知らなかったが、その後の処理が大変だったらしい。2人のライバル関係やデニスとの関係、そしてエンディングを、その場のアドリブで全てやってしまったというのだ。島村含む演劇部員は、それがまた話を面白くしたと大喜び。結局竜馬は、最後の挨拶の時まで、気絶したままだった。しかも竜馬は、屋台をさぼったということで、修平に迷惑をかけてしまった。夜になり、竜馬の家には祐太朗を含む7人が集まっており、部屋が狭く感じられた。
「はあ…疲れた。俺はもう疲れたよ」
「悪かった。演劇部が助けてくれって言ってたから…」
「いいよ。前もって連絡は欲しかったけどな。それより、あれ…」
 修平がテーブルを挟んで向かい側をちらりと見た。アリサ、真優美の2人が、じぃっと竜馬を睨んでいる。それに対して、キッチンに立つ恵理香はご機嫌で、大きな狐尻尾がぱったりぱったりと揺れている。祐太朗はアリサにひどい目に遭わされたらしく、きれいに整えてあったであろう毛並みがぐしゃぐしゃになっていた。
「2人とも、どうしたんだよ…」
 竜馬がアリサと真優美を交互に見た。
「別に何も?怒ってるわけないじゃない」
「言わないでもわかってるくせに…ふん、だ」
 怒っている。2人とも、あからさまに怒っている。竜馬は頭を抱えたい衝動に駆られた。理由はわかっている。竜馬が恵理香とディープキスをしたのが気に入らないのだ。だが、今更それをどうすることも出来ないし、ああいう話の流れだったとしか言いようがない。
「美華子さん、何か言ってくれよ…」
 竜馬が美華子にフォローを求める。
「…関係ないし」
 美華子は持っている漫画から目を離さなかった。彼女もまた、竜馬のいない分働くことになった1人で、そのせいで不機嫌になっていた。午後から大量に人が来たらしい。記録では、96人もの客が来ていたという。
「はっはっは、嫌われてしまったようだね。仕事関係でしっかりしないでそうなることはよくあるさ。次から気をつければいいんだよ」
 祐太朗が快活に笑う。その笑い声は、フォローしているというより、小馬鹿にしているように竜馬には感じられた。
「…バカにしてんだろ」
「そんなつもりは…あるな。まあ、君ではアリサさんには役不足ということだね」
「ああそうかい、光栄だ、嬉しすぎて涙が出るぜ」
 勝ち誇った顔の祐太朗に、竜馬が毒づいた。アリサはどうでもいいが、負けるのは気にくわない。
「まあまあ、みんな、そう険悪なムードになるな。竜馬を巻き込んですまなかったよ。ほら、食事が出来たぞ」
 フライパンを持った恵理香が居間に入る。フライパンの中には、茶色い麺が見える。焼きそばのようだ。ソースとコショウの香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がった。
「うわ、美味しそうですね〜」
 真優美が目を輝かせた。
「しかし、僕は初見なのに頂いてしまっていいのかい?」
 箸を持った祐太朗が困惑した表情を見せる。
「いいんだよ。ほら、お前の分」
「ああ、ありがとう」
 竜馬が焼きそばを盛った皿を渡した。全員が箸と皿を持つ。
「それじゃあ、いただきます」
 全員、一度に箸を付け、一度に口に運んだ。と、その刹那、恵理香以外の全ての人間の顔が歪んだ。
「こ、これは…」
「うー、うーん?えーと?」
 微妙な顔をして麺を口に運ぶ一同。竜馬は箸を置きたい気持ちになっていた。匂いはこんなにいいのに、見た目はこんなに美味しそうなのに、不味い。どう形容すればいいかわからないが、この味はあまり長い間食べていたいものではない。フォローの言葉を探して黙り込んだとき、美華子が皿を置いた。
「恵理香。はっきり言って、不味い」
 空気が凍り付いた。温度が5度は下がっただろう。
「え、ええ〜?そんな…焼きそばなんて容易く出来るものだと…だから言われた通りに作ったのだぞ?」
 恵理香が順繰りに顔を見ていく。
「なんだろうな…焦げでも濃さでもないし、食べられないものが入ってる味でもないし…」
「どうとも言えない美味さって言葉があるけど、これはどうとも言えない不味さよ」
「う、う〜ん。そうですねえ…う〜ん?ん〜…ごめんなさい…」
「確かに…女性に言うのは失礼かも知れないが、これは…」
 見られた人は、不満を口からこぼした。そのたびに、恵理香の表情が沈んでいく。
「料理が苦手だということは知っていたのよな、みんな…それで、私の料理ベタを直そうと、こんなに簡単な料理を教えてもらったと言うに、それすらしっかり出来ないとは…」
 はあああ、と恵理香がため息をつく。魂すら抜けてしまいそうだ。
「ま、まあ。いいんじゃないか?悪くはないと思うよ」
 竜馬は慌ててフォローをした。
「無理しないでいいんだ…どうせ不味いんだろう」
 恵理香は顔を上げない。彼女の心はこてんぱんにされてしまっていた。
「い、いや、違う。これ、美味いよ!」
 この場面ではフォローをしなければいけないと思った竜馬は、さらに言葉を続けた。
「あ…そ、そうか。よかった…」
 恵理香は安心したようで、胸に手を当ててふうと息を付いた。が、それからがいけなかった。
「本当によかった。食べてもらえて嬉しいよ」
「うん、それで…」
「諦めかけていたよ。私の料理は不味くて仕方がないのではないかと。上手くならないのではないかと。だが、1人でも喜んでくれるのならば、私はがんばるよ!」
「う、うん。だけど…」
「上達する努力を怠っていたんだ。継続は力なり、そこに可能性があるならば、いつか美味しい料理でみんなが喜ぶよう、努力しようじゃないか!!」
「あ、ああ。でも…」
「さ、竜馬。おかわりはあるぞ。是非とも食べてくれ!」
 大喜びの美華子は竜馬の皿に、さらに焼きそばを盛った。助けを乞うように竜馬は周りを見回した。しかし、気の毒そうな顔をするだけで、竜馬をフォローする人間はいない。
「じ、じゃあ、いただくよ…」
 箸を動かし、口に麺を運ぶ竜馬。このなんとも言えない触感。口の中でほぐれる麺。炒められたキャベツ。ソース、塩、コショウ、そしてよくわからない何かの調味料が、竜馬の口の中で不協和音を奏でる。この全ては、ただ一言の言葉に集約される。
『まっ、不味い…』
 竜馬は無理をして焼きそばを食べ続けた。恵理香の視線が痛い。彼女の嬉しそうな顔は、これを断れない竜馬の優柔不断さを物語っていた。
「ああ、美味いなあ…」
 何度目かわからない嘘を吐く。それによって、恵理香はさらに嬉しそうに尻尾を振る。ある種、幸せの地獄とでも言えるべきこの状況に、竜馬は悟った。正直を貫くことが大事なのだと。そして、誰かに不義理をすれば、そのツケは必ず返ってくるのだと。



 (続く)


前へ
Novelへ戻る