これは、2045年、とある高校に入学した少年と、彼をとりまく少年少女の、少しごたごたした物語。
 日常と騒動。愛と友情。ケンカと仲直り。戦いと勝敗。
 そんな、とりとめのないものを書いた、物語である。


 おーばー・ざ・ぺがさす
 第十三話「愛すること。そして騙すこと」



 夏休みが終わり、東京にある私立天馬高等学校にとうとう新学期が始まった。否、始まってしまった。久々のクラスメートとの邂逅も終わり、通常授業へと移行するころには、学生達の気分は鉄のように重く鉛のような色をしていた。さらに、9月半ばになってもまだ収まらぬ夏の熱気が、学生達のやる気をますます削いでいた。
 ここにも1人、やる気がまったくなくなってしまった少年がいる。1年2組の教室の、後ろ側に座っている地球人少年。やせ形で、髪は手入れをしておらずぼさぼさ、目が死んでいる。その名を錦原竜馬と言った。
「あー、もう放課か…今日も一日だるかったなあ…」
 竜馬は教師が出ていったのを見て、カバンに教科書を詰め込み始めた。6限が終わったというのに、まだ真昼のような位置に太陽がいる。夏で日が長いのはいいことだろうが、その分地表が熱せられてしまう。暑い風が吹くのはいただけない。
「おう、竜馬。お前だいぶダメんなってるな」
 後ろからぱんぱんと叩かれ、竜馬が振り向く。そこに立っていたのは、1人の人間少年だった。背が高く、がっちりとした体格をしている。名は砂川修平。竜馬とよくつるんでいる少年だ。
「だって暑いじゃんかよ…もうこうなったら、甘味処もみじでソフトクリームかかき氷食うしかないな…その後は帰って、宿題だな。ともかく、一人でのんびりしたいよ」
 竜馬がカバンを持って立ち上がる。開いた窓から日の光が射し込み、竜馬は目を細めた。
「それは難しいと思うぜ、なんせ…」
「なんせ、なんだよ…」
 修平が竜馬の後ろを見ている。竜馬がそちらを振り返ると、極めて近い、鼻がぶつかりそうな距離に一人の獣人少女がにこにこしながら立っていた。金色の髪が長く、体毛はクリーム色をしている、犬獣人の少女だ。名をアリサ・シュリマナと言う。思いこみの激しい、そして明るい性格の少女で、勉強もスポーツもよくできる。
「…」
 竜馬は一瞬黙り、また修平の方を向いた。
「さあ、行くか。俺は何も見ていない」
 口ではこんなことを言っていても、心は動揺しているようだ。竜馬の足が震えている。
「あーん、竜馬、行っちゃうの?」
 ぎゅううううう!
 アリサが竜馬に後ろから抱きついた。アリサの強い力が、竜馬の背骨に一気にかかった。
「んがあ!」
 竜馬が悲鳴をあげた。骨がみしみしと音を立てているのがわかる。
「寂しいわ〜。新学期始まってから、まだ一度も竜馬の家に遊びに行ってないのよ?」
 竜馬の背中に、アリサが頬をすり寄せる。彼女は竜馬にベタ惚れで、自分では竜馬の彼女だと言ってはばからない。しかし竜馬は、彼女の強烈すぎる愛情やサディスト気質、そして小学生のころのいじめの記憶などから、アリサの愛を受けることを拒否していた。
「痛い!つか強い!お前、離せよ!」
 竜馬がアリサの手をなんとかふりほどこうともがいた。そして考えた。どうせアリサのことだ、抱きついたままで離れないだろうと。だが、その日のアリサは違っていた。
「あ、ごめん。強かった?」
 ぱっと竜馬を離すアリサ。いきなり竜馬の体が自由になる。
「あ、あれ?」
 拍子抜けした竜馬は、体のバランスを崩して、床に倒れてしまった。
「どうしたのよ」
「いや…いつもなら、なんやかんやと言って離さないよなと…」
 不思議そうな顔のアリサに、竜馬が答える。
「もう〜、離して欲しくないなら、そう言えばいいのに」
 アリサが嬉しそうにまた竜馬に抱きついた。今度は骨が折れるほど強い抱擁ではなかったが、残暑も厳しい9月半ばに毛物に抱きつかれて、竜馬は不愉快だった。
「誰もそんなこと言ってないだろ。ったく、うざくて仕方ねえよ」
「酷いこと言うのね…うう、竜馬冷たいわ、私一応彼女なのに…」
 アリサが泣き真似をして、目を指で擦る。もちろん、アリサが彼女だという事実は存在しない。
「またやっているのか。アリサも飽きないな」
 後ろから不意に声をかけられ、アリサが振り向いた。特徴的な狐耳に狐尻尾、青みがかった銀色の長髪を後ろで束ねた少女が、アリサのことを見つめている。彼女の名は汐見恵理香。1学期末に天馬高校に転校してきた、獣人と地球人のハーフだ。副業で役者をしており、言い回しに江戸時代がかかっている部分がある。私服に和服を選んだりと、何かと奇特な少女だが、周りにはとても好かれていた。
「何よー。文句あるの?」
 アリサがむっとした顔で恵理香をじろじろと睨んだ。
「別に文句はないが、飽きないものだなとね。よほど竜馬のことが好きなのだな」
 恵理香が優しく笑い、手に持った箒を動かす。
「ええ、大好きよ。竜馬のために、最近はいろいろ努力してるの。ああ…」
 夢見る乙女の顔で、アリサがうっとりと天井を見つめた。彼女の頭の中では、見当違いの妄想が渦巻いていることだろう。
「それはいいんだけどさ、アリサちゃん…」
 修平に呼ばれ、アリサが振り向く。竜馬がいない。いつの間にか、竜馬は逃げ出してしまったようだ。
「あー!竜馬、どこ行ったのよー!」
 猛牛のごとく走り出すアリサ。彼女が教室を出て行く姿を、恵理香と修平が見送る。
「毎日あんなことやってるよな。もしこれで、アリサちゃんがいなくなったら、竜馬はどうなるんだろうな?」
 修平がカバンを持ち、机からどいた。
「どうもならないさ。彼の意志の持ちようだよ」
「そうかなあ。外的要因は大きいぜ?あれで豹変でもしたら面白いんだけどな」
「はは、何をそんな。竜馬に限って、そんなことはないはずだと思うぞ」
 修平の言った、豹変という言葉を、恵理香が笑い飛ばす。そんな日常がいつまでも続くはずだった。そんな日常が…


次へ
Novelへ戻る