アリサの家のダイニングには、5つの影が見えた。アリサ、竜馬、真優美、美華子、そしてキツネコブラだ。テーブルの上には、アリサが自費で取ってくれた店屋物の皿と、キツネコブラ用のカップラーメンが並んでいる。
「よしよし、ごめんね、あたし達のせいで…」
「キューン、キューン…」
 泣きながらカップラーメンを食べるキツネコブラを、真優美が優しく撫でた。ダーツが抜かれた頭に、大きな絆創膏が貼られている。
「あは、あははは、あはは」
 美華子が腹を押さえて笑っている。つい先ほどアリサが怒って、美華子の顔に笑気ガスの入ったスプレーガンを、嫌というほど吹き付けたばかりだった。アリサは笑い続ける美華子を無視して、最後のエビ天を囓っている。
「はあ…美華子さんまで暴走するとは…青天の霹靂だよ…」
 かたん
 空になった丼を置く竜馬。疲れているのか、首を回すたびにごきりと音が鳴る。予想だにしない方向からのアタックが、竜馬の精神に大きなダメージを与えていた。
「面白かったし、いいじゃん、あははは」
 美華子はただ笑気ガスで笑っているだけではないようだ。先ほどの騒動は、時間にして10分にも満たない、あっという間の出来事だったが、よほど面白かったらしい。
「グゥ…キュウウン」
 キツネコブラが低く唸った。カップラーメンの容器をゴミ箱に放り投げると、のそのそと歩き出す。
「あれれ、どこへ行くの?」
 真優美が後をついていく。キツネコブラは手を振り、頭を下げて、玄関のドアを器用にあけた。のっそりと外へ出ていく。頭にはヘルメット、手にはつるはしを持っているところを見ると、工事現場のアルバイトに戻るようだ。
「行っちゃった…」
 真優美はダイニングに戻り、イスに座り直した。
「さーて、もうご飯は終わったんだから、お開きにしましょ。私も疲れたわ」
 アリサが皿を集め、運びやすいように重ねた。
「そうですねぇ…じゃあ、帰りますね」
 真優美と美華子は、自分の荷物を持って立ち上がった。
「じゃあな」
 竜馬もその後についていこうと、立ち上がる。
 がしっ
 竜馬の肩に、アリサの手がかかった。
「だめよ〜。今日は泊まってって?」
 アリサがにっこりと微笑んだ。その目には、竜馬を拘束する強制力があった。アリサの中にいる獣が、竜馬を掴んで離さない。
「アリサさん!あなたと言う人は〜!」
「大丈夫よ。もう何かする元気もないもの」
 玄関先のわかりやすいところに皿を置くアリサ。明日には、おか持ちを持った配達員、いわゆる「デリバリーの人」が、回収していくことだろう。
「うう…じゃあ、あたし達は先に帰ってますからね。何かしたら怒りますからね〜!」
 真優美は何度も何度も振り返り、門を出ていった。かしゃんと門が閉まる音が響く。
「いいか、アリサ。俺はお前と、適度な間を取っておきたいんだ。だから、今日は帰ろうと…」
 アリサに説教を始めた竜馬。早めに押さえつけておかないと危ない、と彼の中の何かがささやいている。このままでは確実に何かが起きる、と…
 彼が、そう思ったときには、既に遅かった。
「やぁん、そんなの嫌よ〜。逃がさないのよ?くふふふふ」
 きゅうっ!
「うおっ!」
 竜馬は体に強い締め付けを感じた。腰にアリサの腕がかかっている。それを掴んで振り払おうとしたが、アリサの力に勝つことは出来ない。
「今日は彼氏様なんでしょ〜?だめよ〜、彼女の家から逃げ出しちゃ。くふふ、お茶入れるから、一緒にテレビでも見ましょ?」
 竜馬をイスに座らせるアリサ。いそいそとキッチンへ行き、ポットと紅茶のバッグを取り出す。
「しょうがないな…茶飲むだけだぞ?飲んだら帰るからな?」
 仕方なく竜馬はテレビをつけた。ちょうどバラエティー番組をやっているようだ。
『とりあえず刺激しないようにしないと怖いな…』
 そんなことを考えながら、テレビ画面を見る。ゲストの1人に、竜馬は見覚えがあった。毎週月曜にやっている、大人も子供もお父さんもはまってしまう特撮アニメ番組「飲料戦者カテキング」で、主人公の静岡尾茶美の役を演じている女優が、ゲストとして招かれている。
「ああ、やっぱ美人だな、女優さんって…」
 竜馬がぼそりと言った。彼としては、その言葉に他意はなかった。しかし、アリサには悪意が見えたらしい。振り向くと、無表情で怒っている犬娘の姿があった。
「…要するに、私は美人じゃないのね?」
 アリサの体が震えている。
「いや、そういうことを言いたいんじゃなくてだな…」
「やっぱり浮気するのね。私以外の女がいいのね」
「何が浮気だよ!アホなこと言わないでくれ!」
「今日だけは、今日だけはせめて彼氏でいて欲しかったのに…彼氏を演じてくれてる竜馬が、好きだったのに…」
「違うつってるだろ!話を聞けよ!」
 竜馬は立ち上がり、後ろにずりずりと下がり始めた。背中に壁が当たる。これ以上は逃げられない。
「竜馬の…」
 アリサがぐぅっと体を縮ませた。そして、ゴム鞠のように弾んで、竜馬に飛びかかった。
「竜馬のバカー!」
 アリサの顔に、肉食獣の表情が浮かんだ、と思ったときには、既に牙が食い込んでいた。
 がぶぅぅぅぅ!
「んぎゃああああああ!」
 夏の夜、蝉も眠る月夜に、哀れな犠牲者の少年の叫び声が響き渡った。


 (続く)


前へ
Novelへ戻る