「…だいたいはわかった」
 夜。仕事が終わり、宿にやってきたリキルは、バルとメミカから代わる代わるに話を聞いて頷いた。自分が知らない間に、そんな大事件が起きていたとは、夢にも思わなかった。
「まさか、あんなに簡単に催眠術をかけられるなんて」
 バルが頭を掻いた。バルは屈強な男ではないが、催眠術をかけられるほどうっかりした人間でもない。本当に、唐突に、なおかつ短時間だったのだろう。
「目を見たら危ない、か。やはり、幻術の一種だろうね」
 自分の意見を述べるリキル。テーブルの上に置いたコップを手に取り、リキルがその中身を飲んだ。白い色をしたリンゴジュースだ。
「あれは油断したって言うレベルじゃないわ。気を付けようがないもの。目を閉じて相手を攻撃できるなら話は別だけど」
 コップを手の中でくるくると回し、メミカが言う。
「そういう術を学んでいる人もいることはいる。でも、一朝一夕で身に付くものじゃないから、修行をしないといけないね。その間に、ニウベルグがどこかへ行くかも知れない」
 やはり、何事においても練習や修行は大事だ。努力をすることにより、自分に新たなスキルが身に付くし、ダメだったとしてもポテンシャルは高くなる。鉄の板だって、少しずつ研いでいけば刃物になるのだ。しかし、今のように一刻を争う状況で、修行などはしていられない。
「そういう人に、助っ人を頼めればいいんだけどねえ」
「その通りだ。でも、そう都合良くいるはずがない」
 バルのぼんやりとしたつぶやきに、リキルが返事をした。
「何かしら、対策がとれるといいんだけど…」
 うーん、とメミカが唸った。彼女は少し思慮に欠けるところはあるが、とても真面目だ。うちの姫様も同じくらい真面目ならいいのに、とリキルは考えた。
「まあ、いいや。俺、今日は疲れたよ。また明日、話し合うとして、少し寝かせてくれ」
 大きなあくびをして、バルが階段を昇っていく。心なしか、尻尾にも元気がない。
「ああ、おやすみ」
 その背中に、リキルが声をかけた。バルは軽く片手を上げ、階段を昇っていった。
「ねえ、リキル君?」
「何か?」
 バルがいなくなったとたん、メミカが俯いて、リキルの名を呼んだ。
「私、また今日もバル君に迷惑をかけちゃった。どうすればいいのかな。もしかして、私には無理なのかな?」
 バルの前では、普通に振る舞っていた彼女だが、どうも罪の意識があったようだ。今のメミカは、すっかりへこんでしまっている。
「そうだな…んー…」
 どういう返事を返すか、リキルは少し悩んだ。率直な意見を言ってもいいが、あまり追いつめすぎるのは良くない。女性相手に、上手いことを言うの口も、リキルは持っていない。
「何が無理なのかはわからないけど、今回に限っては、仕方なかったと思う。次回、また同じことを起こさなければいいだけじゃないかな。不意を打たれることは誰だってある」
 悩んだ末に、リキルはメミカを慰める方向で話をすることにした。不意打ちを食らったというのは、注意が足りないとも言えるだろうが、大抵は経験不足のせいで仕方がないことだ。
 リキル自身も同じような経験がある。犯罪人だと言われる男と、戦うことになったときのことだ。相手が大きな剣を持っていたため、剣士だと思って斬りかかったところ、魔法を使われた。幸い、大きな怪我を負うことはなかったが、こんなパターンの相手もいるのかと、思い知ることになったのだ。
「それだけじゃないわ。バル君とパーティーを組むときには、いつも私が足を引っ張るの。今まで、冒険者になるなんてこと、考えてなかったせいかも知れない。立ち回りが下手なのよ」
「話を聞く限りでは、あなたは今まで一般人だった。そう気に病むこともないと思うよ?」
「気に病むわ。私、彼の役に立ちたい。少なくとも、彼がニウベルグと戦う原因の半分は、私と師匠にあるのよ?」
 真っ直ぐな、決心を込めた視線が、リキルを見据えた。
「んー…」
 すっかり困ってしまった。出会って長くもない相手に、こんな話を持ちかけられても、正直どうすればいいのかわからない。
「…なんというか」
 昔、剣の師に言われた言葉を思い出しながら、リキルが言葉を始めた。
「まず、1に意志、2に努力で、3に継続だと教わった。もしあなたが、これより先もバルと共に戦うことがあり、なおかつ役に立ちたいと思うならば、その意志を忘れないことだよ。思いは行動になって、行動を続ける限りは目標に近くなるものだから」
 師匠のような、貫禄のある言い方が出来ないのは、まだ自分が未熟だからだ。人間としても、剣士としても、まだ未完成なのだ。
「…意志」
 メミカがリキルの言葉を復唱した。
「そう、意志だ。何が出来るか出来ないかじゃない、何をするかだ。あなたがしたいと思うこと、あなたが目標とすること。まずは、それだけでいい。常に思っていれば、変われるはずさ」
 リキルの言う言葉を聞き、メミカは何かを考えこんだ。そして、少ししてから顔をあげた。
「ありがとう。少し、気が楽になったわ」
 表情から察するに、まだメミカの悩みを全ては解決出来ていないだろう。だが、前よりはきっと楽になっている。
「ああ。お役に立てたならば嬉しいよ」
 コップのジュースをあおり、リキルがふうと息をついた。 
「うん。じゃあ、私も上に行くわ。お風呂に入って、今日は寝るわ。ありがとう、リキル君」
 しゅるり、とイスから降り、メミカが階段へ向かった。
「…ああ、あと、リキル君。このことは、バル君に言わないで?恥ずかしいもの」
 てへへと笑うメミカ。最後に彼女は、おやすみなさいと言って、階段を昇っていった。
「…バルも、ずいぶん慕われているな」
 バルは、ふらふらとしてはっきりとしない性格ではあるが、それだけに人に馴染みやすい人間だとは思う。リキルは、自分で自分のことを我が強い人間だと思っている。彼の強硬な意見は、傭兵仲間の間でケンカの火種となることもある。だが、バルはそれを聞き入れた上で、水のように受け流してくれる。いい友人に出会った、とリキルは思った。
「あの、お勘定なのですが…」
 ウサギ獣人の、かわいらしいウェイトレスが、そっと紙を差し出した。書かれた金額を見て、リキルは目を丸くした。飲食代金全てを合わせれば、実用に耐えうる山刀が買えてしまう。
「…明日にでも、請求しよう。さすがにこれを奢れるだけのお金はないな」
 苦笑して、リキルが財布の紐を緩めた。

 またもやニウベルグに逃げられた。指輪のうち、1つはまだ彼と仲間の手の内にある。
 バルは、これを取り戻すことが出来るのだろうか。


 (続く)


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