遙か昔。この星には眠らない街と素晴らしい文明がありました。空を飛ぶ機械。自由自在に海の底を潜ることが出来る乗り物。星の世界、宇宙にまで飛んでいった人工の船。それらは人々の世界を豊かにし、すべての人々は楽に暮らしておりました。
そのころの人々は外見的差異がなく、みんな同じ姿をしていました。彼ら、毛皮を持たない人々は、今では考えられないほどの知恵を持っていました。
しかし、その文明は何故か滅んでしまいました。今に残るのは遺跡だけ。何故彼らが滅んだのか、それは誰にもわからないのです…
アニマリック・シヴィライゼーション
6話「地下迷宮その2」
犬獣人の少年、バルハルト・スラックはイスに座り、何をするでもなく家の天井を見つめていた。石で出来たその家は、ライアという魔法使いと、メミカ・エニースという魔法使い見習いの住居だ。2人は共に、ラミアという半人半蛇の種族で、ライアは紫色のショートヘアに紫色の尻尾、メミカは赤色のポニーテールに赤い尻尾をしている。2人とも女性だ。今、ライアはこの家にいない。
今、バルはメイゥギウというラミアの集落にいた。彼は、知り合いのヒューマンの少女スウと共に、この村へと茶を買いにやってきたのだ。村へと来る途中、バルは山道で鞄を破いて困っているメミカと出会い、一緒に村へとやってきた。聞けば、探している茶はメミカの家で育てているということだ。バルはメミカの家で初めてライアと会い、茶を購入しようとしたが、ライアは「メミカを助けてもらったお礼だ」と茶をタダで譲ってくれた。
村ではちょうど祭りをやっており、2人はメミカと共に祭りを楽しんでいた。祭りの初日の夜、村の村長屋敷が放火される事件が起きた。容疑者として捕まったのは、他でもないライアだった。ライアが村長屋敷に放火したところを見た村人がいるとの話だが、それは実は嘘で、ライアは犯人にはめられたのだ。バルとメミカは、その事件の犯人の名を、ライアから聞いた。召還士、ニウベルグ。2本の短い角が生え、背が高く、筋肉質な悪魔人だ。バルとメミカは、これを捕縛するべく、村にある「メースニャカの地下神殿」に突入。最下層で戦闘になり、返り討ちにあった。
その日から丸2日が経った。ニウベルグは最後に、村人の一部に対して、ライアを憎むように暗示をかけたとのことだった。元々、ライアとメミカはこの村の人間ではない。彼女たちを外部の人間だと思う人間は元から多かったが、今はそれがさらに多く、攻撃的になっている様子だ。
今もライアは、村の地下牢にいる。幸いなことに、村長はライアの個人的な友人であるため、彼女が犯人ではないことはわかっている。今彼女が牢獄にいるのは、攻撃的な村人から隔離するためだった。
「ふう…」
バルが頭を掻いた。隣のイスでは、メミカがとぐろを巻いて寝ている。昨晩は、ライアが心配で、皿にニウベルグにやられた傷もかなり痛かった様子で、メミカはほとんど寝ていないのだ。今になって、眠気がやってきたのだろう。
『無理もないよなあ…』
バルはメミカの寝顔を見つめた。よく眠っているようだ。目鼻立ちの整ったその顔は、美人という言葉を使ってももったいなくはない。昨日まで顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた女の子と同一人物とは思えない。女の子、という言葉は使うべきではないかも知れない。バルは14歳。メミカは18歳。既に4歳も差がある。
今、スウは裏の畑に水をやりにいっている。メイゥギウ村は、トリャンという山の頂上近くにある、巨大な洞窟内に発展した村だ。雨は洞窟内には入って来ず、そのままでは植物が育たないので、水をやる必要がある。
「ん…」
バルはポケットに手を入れ、指輪を取り出した。青く輝く金属で出来たその指輪は、この地方の神であるカルバの遺跡にて手に入れた品だ。水の神カルバ、火の神メースニャカ、そして風の女神ベルガホルカ。この3人の星神は、主神に対して不満を持ち、戦いを挑んだと伝えられている。
バルがニウベルグを捕まえるために潜ったメースニャカの遺跡にも、メースニャカゆかりの赤い指輪があった。だが、ニウベルグにやられて気絶している間に、指輪はどこかへと消えてしまった。この指輪達にはかなり強い力が秘められているという。バルには直接関係のない話なのだろうが、無くなった指輪が少し気がかりだ。
『そろそろ戻りたいところではあるけど…』
バルがぼんやりと考える。スウは、祖母であるイルコと共に、このメイゥギウ村を配下に置く王国「ランドスケープ王国」に住んでいる。バルも、王国に宿を取り滞在している。そろそろ戻らないと、イルコが心配するだろう。だからといって、打ちひしがれているメミカをそのままに置いていくわけにはいかない。いっそ、スウだけ返すかとも考えたが、少女1人で長い道のりを旅させるわけにもいかない。悩ましいところだ。
「う…ししょ…」
メミカが寝言を言う。バルは、その頭を優しく撫でた。今の自分に出来るのはこれぐらいだ。
がちゃ
扉が開く音がした。バルは、スウが戻ってきたのだと思い、そちらを向いた。確かにスウがいる。が、彼女だけではない。
「らっ、ライアさん!?」
バルが素っ頓狂な声をあげた。入ってきたのは、ライアその人だった。目の周りの、皮の剥げた傷跡まで同じだ。今は、暗くじめじめした牢屋にいるはずなのに、なぜここにいるのだろうか。バルは、一両日中には戻るという彼女の話を思い出した。だが、今外に出たら、村人が危ないのではないだろうか…。
「待たせたな。晴れて無罪放免で外へ出てきた」
ライアがイスに座った。
「よかったぁ、ライアさん、外に出られたんだって。牢屋から出られてよかったぁ」
スウは、嬉しそうにはしゃいでいる。裏で何が起きたのか、バルには推測出来なかったが、今目の前にライアがいるのは事実だ。
「ふぁ、あ?」
バルの大声に、メミカが反応して、目を開けた。彼女の目は、ライアのことを見つけて、大きく見開かれた。
「しっ、師匠!?」
さっきのバルと同じように、メミカも大声をあげた。そして、目を潤ませた。
「不安そうな顔をしているな、2人とも。どうした?」
手に持っていた水のバケツを置き、ライアが問う。
「う、ひぐ…うあああん!」
メミカは、しばらく顔を歪ませたまま我慢していたが、いよいよ我慢できずに泣き出した。
「大丈夫?」
スウが慌ててメミカに駆け寄り、頭を撫でた。
「どうした?戻ってきてそんなに嬉しいのか?」
「だ、だって、ひぐ、あいつが、みんなを、ひぐっ」
苦笑するライア。メミカは、説明しようと必死になるが、涙が邪魔して説明出来ない様子だ。
「俺の方から説明しましょう」
足を投げだし、バルが説明を始めた。地下神殿に潜ったこと、魔物が多くいたこと、最後にニウベルグに会ったこと、村人に幻術をかけたと聞いたこと、倒そうとするも返り討ちに遭いやられてしまったこと。ライアは、1つ1つの話を、うんうんと頷きながら聞いた。
「やはり、な。メミカに目立った怪我がなくてよかった。今の私には、この子を失うことが死よりも恐ろしい」
メミカの頭を撫で、ライアが言った。メミカはぐすぐすと泣き続け、何も言わない。
「俺がついていながら、こんなことになって、申し訳ありません」
バルがライアに頭を下げた。悔しい気持ちが、バルの心の中に湧き出す。
「君のせいではない。そんなに気に病む必要などないんだ。だから、そんな情けない顔をしないでくれ」
笑いながら、ライアが手を顔の前で振った。
「でも俺、すごく情けなくて…」
「次にまたこんなことがあったならば、この経験を生かせばいい。今は何も謝ることなどないよ」
ぽん
バルの頭に、ライアが手を置いた。そして、優しく優しく撫でた。バルは、なぜだか涙が溢れそうになり、必死に我慢した。悔しいという気持ちとも、悲しいという気持ちとも違う。ただ、泣きそうになっただけだった。その感情の意味を、彼はまだ知らなかった。
「そうそう。村の人は全員無事だ。私が、責任を持って幻術を解いた。もう、後遺症を持つ者はいない」
バルの頭から手をどけて、ライアが言う。
「すごいですね。そんなことも出来るなんて」
「なに、必要になることもあって、覚えたまでのことさ」
バルの言葉に対して、謙遜するように、ライアが苦笑した。彼女は、バルが思っているより、よほど強い。
「さてと。メミカ、荷造りをするぞ。手伝ってくれ」
ライアはメミカの頭をぽんぽんと撫で、そう言った。
「に、荷造りですか?」
涙を拭い、メミカが聞く。
「ああ、そうだ。村長や村人にも迷惑をかけた。今ここにいるのは得策ではない。王国の城下町に、引っ越すことにする」
「え!?ほ、本気ですか!?そんな、唐突な…」
突然のライアの判断に、メミカがうろたえた。まさか彼女は、いきなり王国へ行くことになるなどとは、思いもしていなかったのだろう。数十分前に食べた朝食の皿すら洗っていないのだ。
「本気も本気さ。外には荷車もある。今度は、王国で魔法屋を開くつもりだ。王国で、元は雑貨屋だったとある建物が安く売り出されているというのを知ってな、そこに目星をつけている」
ライアが笑う。その店舗というのに、バルは1軒だけ心当たりがあった。バルの滞在している宿屋「月夜亭」の近くにある店だ。
今、この世界は、魔物の脅威にさらされている。旧世界という、文明世界の遺跡から、それらは突然に現れた。ランドスケープ王国では、15年ほど前から、遺跡に魔物が出現するようになった。
月夜亭は、遺跡の入り口の近くにある宿屋である。ランドスケープ王国内の遺跡からは、魔物が外に出ることは今までなかったが、それでも不気味なことに変わりはないようで、遺跡の入り口の周りには人があまり来ず、兵士が見張りをしている。元は雑貨屋だったその店も、遺跡の入り口に近いためか、人が入らずに廃業してしまった。そして、そんな土地を買う人間もいないため、店自体が安くなっていた。
「みっ、店ですか?下見とかは…」
「昨日のうちに済ませてきた。いい店だぞ。2階には寝室と倉庫があって、3階の屋根裏部屋には天窓がついてるんだ。お前さえよければ、すぐにでも引っ越しをするつもりだ。いいか?」
「あの…えーと…と、突然過ぎて、ちょっと思考がまとまらないです」
にこにこ顔のライアに対して、メミカはふらふらしている。恐らく彼女は、昨日まではずっとこの家で暮らしていくものだと思っていたのだ。それなのに、いきなりライアから引っ越しなどと聞かされて、驚いてしまったのだろう。
「無理もないよ。引っ越しって言ったら、すごいイベントだからね」
バルが横から口を挟んだ。家の中はとても片づいているし、上手くまとめればすぐにでも出られるはずだ。家具のような大きなものは、運ぶのが困難だろうから、置いていくことになるのだろう。
「あ、ううん。引っ越し自体は、私はかまわないの。王国で生活したいって、前から思ってたし。でも…」
ライアのことを見て、メミカが口ごもる。
「…師匠はいいんですか?師匠、日頃から言ってたじゃないですか。ここには、この村に来てからの、師匠の思い出があるんでしょう?」
メミカが家の中を見回し、戸惑い気味に問う。その言葉に、少しだけライアの顔が曇る。
「ご、ごめんなさい。生意気なこと言って…」
慌ててメミカが謝った。ライアを怒らせることは本意ではない、といった様子だ。
「私と言うよりは、私とお前の思い出だよ。ここで生活した時間は、お前の成長を見守る時間だった。思い出は場所や物に縛り付けられることはないさ」
ライアは、少し寂しそうに笑った。バルやスウにとっては、旅先で数日暮らしただけの家に過ぎないが、この2人にとっては長い間生活していた家だ。思うところもあるのだろう。
「私は、引っ越すことには異論はありません。持っていく物をリストアップしてさえくれれば、今からでも動けます。今まで師匠の言ったことに、間違いはありませんでしたから」
ライアの手を握り、メミカが言った。一瞬ライアが、どこか羨望の入ったような目をしたのは、バルの見間違えだろうか。
「よし、わかった。出来れば、明日明後日には出発をしたい。店に関しては、王国方面に行く用事があった人に、代理で購入の話を持っていってもらおう。バルさん、スウちゃん、手伝ってもらっていいかな?」
くるりと、バルとスウの方を、ライアが振り返った。
「もちろんだよ!」
「ああ、わかった」
2人はほぼ同時に返事をした。
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