「…で…だから…」
「…お兄ちゃ…えぐ…」
 どこか遠くで声が聞こえる。まるで、耳と脳の間に、山1つ分の距離があるようだ。ここは天国か、はたまた地獄か。
「えぐ…えぐ…メミカさん…お兄ちゃん…」
 泣き声が、だんだん近くなってきた。だんだん、体のコントロールが戻ってきた様子だ。バルは、うすらぼんやりと目を開けた。
「おや、気が付いた様子だねえ」
 高めの男声が聞こえる。バルは、声のする方向へ目を向けた。そこにいたのは、顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくるスウと、妖精の少年が1人。少年は確か、名をバスァレと言ったはずだ。
「ここは…?」
「ここは、ライアさんの家だよ…ああ、起きた、よかったぁ…うえぇん…」
 スウが泣き始めた。改めて周りを見回すバル。確かここは、スウとバルが貸してもらっていた部屋だ。隣のベッドには、顔色の良くないメミカが、ぐったりと寝ている。
「君たちは、もう半日もここで眠っていたんだ。びっくりしたねぇ。遺跡の探索をしていたら、大きな穴のあるホールに出て、君とこの子が倒れていたんだから」
 にやにやと笑うバスァレ。どうもこいつは好きになれないのだが、礼は言わなければ。
「ありがとう…君が地上まで引き上げて助けてくれたのか」
「はは、礼を言われるのは気分がいいね。だが、手当は僕じゃなくてこの子さ。ついでに言うなら、鼻血まみれの君の顔を拭いてくれたのもね」
 そういわれて、バルは鼻を触ろうとした。腕を動かすたびに、骨が折れているのではないかと思うほどの痛みが走る。やっとのことで、バルは手で自分の顔を撫でた。毛が軽く湿っている。どうやらスウが、顔を拭いてくれたらしい。
「スウ、お水汲んでくる!」
 置いてあったバケツを手に取り、スウが駆けていった。濡れタオルや包帯などもある。かなり献身的に看病してくれた様子だ。
「そうそう。今度は、別の誰かに先を越されたようだねえ」
 今思い出したかのようにバスァレが言った。
「先を…?何の…?」
「指輪だよ、指輪。あの遺跡には、指輪があったはずなんだ。君やこの子が持っているわけでもないし、遺跡にもなかった。いやぁ、やられたよ」
 イスに座り、バスァレが自身の髪をくしゃくしゃと撫でた。バルは、ポケットに手を入れ、指輪の有無を確認した。ない。指輪は1つだけだ。引っぱり出してみると、それはカルバの指輪だった。
「君は、俺達が倒れている間に、身体検査をしたのかい?」
 バルが鼻筋にしわを寄せた。
「とんでもない、そんなことはしないよ。ただ、魔具がある気配っていうのは、よくわかるんだよねぇ。君が今持っているカルバの指輪も、よくよく気を付けて魔力を探れば、容易に見つけることが出来るんだよ」
 とんでもない、と言った風に、バスァレが手を振った。
「そう、か。疑ってごめん」
「いやいや。大した損失じゃないさ」
 がたっ
 バスァレがイスから立ち上がった。
「さてと、僕はもう行くよ。ここに指輪がないとわかった以上、長居する理由もない。せいぜい、体に気を付けてね、旅人君」
 バルが何か言う間もなく、バスァレは部屋を出ていった。後には、メミカとバルだけが残された。
「う…」
 メミカが小さく痙攣する。悪い夢でも見ているのだろうか。バルはベッドから降り、立ち上がった。足と腕に小さな痛みが走る。眠っているメミカは、とても苦しそうな顔をしている。額に浮かぶ汗を、バルがタオルで拭いた。
「う、うう…」
 メミカが薄目を開けた。顔をぐしぐしと擦り、ゆっくりと起きあがる。
「ここは…?家…?」
「うん。バスァレが運んできてくれたんだ。俺らはどうも、やられたらしい」
 寝ぼけ眼のメミカに、バルが肩をすくめてみせた。
「…そうだ、ニウベルグ!あいつはどうなったの!?」
 ようやく頭がはっきりしてきたらしい。メミカが、バルに向かって矢継ぎ早に質問を投げかけた。そして、黙り込んでいるバルを見て、全てを悟ったように肩を落とした。
「負けちゃったね…」
 メミカが悔しそうに枕を殴った。
「うん。あいつは強い。ライアさんが言った意味もわかったよ」
 ふう、と息をつくバル。今まで、バルは旅の経験だけで剣を振るっていた。今までに何度か剣士といたこともあったし、見よう見まねでも魔物は斬れた。だが、ニウベルグ相手では、そういったレベルの話では通用しなかった。剣技というのは、素人の勘や無茶苦茶な身の振りようで身に付くものではないのだ。バルは、己の未熟さを知り、心の中で悔し涙を流した。

 バルとメミカは、ニウベルグを捕らえることが出来ないばかりか、返り討ちに遭って帰ってきた。今、彼らが出来ることは何もない。
 指輪の行方は、そしてニウベルグの行方はどうなったのだろうか。知る者はいない。


 (続く)


前へ戻る
Novelへ戻る