「ライアさん?」
 バルが人影に声をかけた。目の前のラミアは、バルの知り合いだ。名をライアと言う。王国で魔法屋をやっている女性だ。ニウベルグと呼ばれる悪魔人の召喚士と、少なからず因縁がある。
「あぁ、よかった、無事だったんだ…」
「旅人クン。それ以上寄るな」
 ぐいっ
「わっ」
 ライアの方へ行こうとしたバルの首元を、バスァレが引っ張った。いきなり後ろへ引っ張られたバルが、軽くよろける。
「…」
 ライアは何も言わなかった。暗がりの中、無表情でこちらを見つめていた。そして、腕をあげると。
 ジビビビビビ!
「うおぉあ!」
 一番手近にいたギカームに向かって、電撃を放った。間一髪、それを避けたギカームだったが、尻餅をついてしまう。
「お、おい、こいつ本当にライアかよ」
 斧を抜き、ギカームが立ち上がった。何も言わず、ライアは背負っていた鉄の槍を構える。
「動くな!撃つわよ!」
 矢をつがえたシンデレラが、ライアに向かって警告を発した。が、ライアはそれを聞く気はないらしい。槍の穂先を、今度はシンデレラに向ける。
「ほ、本気よ!」
 じりじりと後ろに下がるシンデレラ。その背が、車に当たる。ライアは軽く尾を畳むと…。
 ずがっ!
「ひいい!?」
 それをバネにして、槍ごとシンデレラに飛びかかった。横に転がって槍を避けたシンデレラだったが、矢がどこかへ飛んでいってしまった。
「…」
 車に突き刺さった槍を、ライアが抜く。近くで見るライアは、一層無表情で、感情というものが感じられなかった。
「バスァレ、これは…」
「僕にだってわかりはしないよ。ただ、呪われていたり、操られていたりするとこうなったりすることがある」
 剣を抜き、構えるバル。だが、それをライアに向けることが出来ない。彼女は、メミカの母親替わりで。何でも知っていて、魔法も料理も上手くて。そんなライアに、剣を向ける、なんて。
「呪われてんのかよ、冗談きついぜ」
 斧を握り直したギカームが、後ろへ下がり距離を取る。
「悪いな、ちょっと寝ててもらうぜ!」
 ぶぅん!
 斧の、刃のついていない方で、ギカームが後ろから殴りかかった。これだけの助走をつけた打撃ならば、気絶させられる、バルもそう思った。しかし。
 ばちぃっ!
「うおっ!?」
 斧は、見えない障壁に阻まれ、跳ね返された。まるで、厚い鉄板にぶつかったかのようだ。
「なるほど、ね。魔力の壁か」
 手を前に出すバスァレ。
 バシュッ、バシュッ、バシュッ
 その手の先から、数発の光弾が飛ぶ。それは全て、見えない障壁に弾かれた。バスァレの出した光弾は強くはない。かと言って、決して弱くはない。それをすべて跳ね返すとは、かなりの壁のようだ。
「姫は下がっていて。彼女はかなり強いよ、危ない」
「で、でも…」
「聞き分けてほしいねえ。僕は騎士として、君を守る義務があるんだから」
 前に出ようとしたシンデレラを、バスァレが制す。やや悔しげな顔をしながらも、シンデレラはライアから距離を取った。
「ライアさん、なんで!正気に戻ってくれ!」
 剣を構えたまま、バルが叫ぶ。しかし、その声にライアが反応する素振りはない。無表情のまま、槍を握る。
「ライアさんってば!」
 前に出て、バルがさらに声を張り上げた。
 ぶぅん!
「うあ!」
 かきぃん!
 そのバルの胸を狙い、槍の穂先がまっすぐに伸びる。間一髪、柄で槍を受けとめたバルだったが、そのあまりの力に腕が痺れる。ラミアは獣人より力が強いのだ。
「おい、バスァレ、お前魔法が使えるんだろう?解呪とか洗脳解除とか出来ねぇのかよ!」
「出来ない。解呪だって、出来るなら、旅人クンの時に既にやってるよ。ここは別の方法を考えないと」
 かぁん
 ライアの槍を、バスァレの短剣が叩く。槍は折れることなく、穂先が地についた。
「バルハルトの時ってなぁ、なんだよ!」
 がっ
 すかさず、ライアの槍先を、ギカームが掴んだ。そして、強い力で引っ張る。綱引きのような状態だ。
「旅人クンは、ベルガホルカの塔へ行った時、呪いを受けたんだよ。それからずっと、意識がなかったんだ」
「おいおい、本当かよ…っく、うおお!」
 バスァレの言葉を聞いて返事をする間も無く、ギカームが引っ張られる。
「呪われていた…?」
 バルがつぶやく。眼の前にいるライアは、呪われてこうなっている、らしい。つまり、自分もこうなっていた?どっと、汗が吹き出す。
「お、おい、なんて力だよ!」
 ずっ、ずっ、ずっ
 槍を離そうとしないギカームは、床にかかとを立ててもその場にとどまることは出来ず、ライアの方へ引き寄せられる。そして。
 べちぃん!
「うがっ!?」
 ライアのしっぽの一撃が、上からギカーム襲った。床に大の字にギカームが倒れ、その手から斧が落ちる。そのギカームに向かって、槍を突き刺そうと、ライアが槍を高く持ち上げた。
「危ない!」
 シンデレラがギカームの首根っこをひっつかみ、とっさに引っ張った。槍は床にあたり、甲高い音を立てた。
「ひゅう、助かったぜ」
「あなた、重いわね、痩せなさい!」
「こいつは筋肉なんだよ!」
 シンデレラが手を離し、腕をふるふると振った。自由になったギカームは前転し、斧を手に取ると、さっと立ち上がった。油断のないパーティーの中、バルだけが無防備だった。それをライアは見逃さない。腕をかかげ、バルに向ける。
「バルハルト、何をしているの!」
 ぎゅう!
 ギカームの時と同じように、シンデレラがバルを引っ張った。
 ジビビビビ!
 それから一瞬遅れ、電撃が飛ぶ。
「ぼうっとしてる暇はありませんわ!」
 シンデレラがバルに怒りの言葉を浴びせる。だが、バルはそれを真面目に聞くことは出来なかった。
「俺が、呪われてた?」
 じりっと、バルが後ろに下がる。
「ああ。君が倒れたのは、呪いによるものじゃないかと推測される」
「お、俺も、ライアさんみたいに、剣を振り回して暴れて?」
「そうはなってない。今はそんな話をするより、やることがあるだろう?」
 きぃん、きぃん!
 襲いかかるライアの槍を、短剣で上手く捌きながら、バスァレはバルへ言う。
「せめて、この魔法の壁だけでもなんとかしねぇと、気絶もさせられねえ!」
 ばちっ!ばちぃっ!
 斧の背を何度もライアに向かって叩きつけるギカームだったが、すべて弾き返される。
「呪いは何とかならなくても、そっちならなんとか出来るかもしれない。時間をかせいでおくれ」
 ささっと後ろに下がったバスァレが、短剣を腰に差し直し、両手を前に出した。紫色の霧が、バスァレの体の周りを覆う。
「だ、そうだ。バルハルト、やるぞ!」
 かきぃん!
 ライアの槍を、斧で弾き、ギカームがバルの名を呼んだ。反射的に剣を握り直し、ライアの方を向くバル。そのバルの目を、ライアがまっすぐに見つめた。その目は、どこまでも冷たくて、生きていない人形のようで。
『怖いのかい?』
 突然、誰かの声が、頭に響いた。
『なんでそんなに、僕を怖がる?』
「だ、だから、誰だよ、お前は」
『そのうち、わかるよ。それより、止めてよ、早く、止めてよ』
「な、何を止めればいいんだよぉ」
『アレを、止めてよ。お願いだよ』
「あ、あれって、どれだよぉ」
 ぎぃん!
「ううっ!?」
 聞き覚えがある不快な音。脳に直接響くような、吐き気を伴う音。それがまた、バルの頭に響き始めた。
 ぎぃん!ぎぃん!
「う、うう、ああ」
 剣を取り落とし、膝をつく。
「ばっ、バルハルト?どうしたの?」
 そのバルの肩に、シンデレラが手をおいた。しかし、その手が暖かいか冷たいかさえ、バルにはよくわからない。意識を保つので精一杯だ。
「ベルガホルカの塔でもそんな状態だったんだよ。どうやら再発したようだね」
「つーことは、バルハルトは今、戦力にならねえってことか。くそっ、しょうがねえな!」
 げしぃっ!
 ギカームはライアの脇腹に蹴りを入れ、自分の方へライアの注意を引き付ける。蹴りは魔法の壁に弾き返された。靴の底が魔法によって軽く焦げ、煙があがる。
『早く、止めに、いってよ。お願い、だよ』
「だ、から、なにをとめれば、いいんだよぉ…」
 見えない何かの声は、バルの脳に直接語りかけてくる。そして、同時に不快な音が響く。耳を強く押さえても、音は響き続ける。精神が、少しずつすり減っていくのを感じ、バルは頭を抱えた。
『止めてよ、止めてよ』
「お、おれに、つきまとうなよぉ!」
 ぶぅん!
「きゃあ!?」
 声のした右方向に、バルが拳を振った。シンデレラがバルから手を離し、ひっくり返った。
「くるなぁ!」
 声のする方に、何度も拳を振るバル。右から、左から、そして前から。何度殴っても、声は消えない。
「ば、バルハルト、お願い、正気に戻って!」
 シンデレラがバルの足に抱きつき、バルのことを制止しようとする。足が動かなくなったバルは、腕だけを振り回し、見えない何かとの拳闘を続ける。
「あぁ…」
 朦朧としてきた意識の中、バルは金色のヒトガタが、目の前に立っているように感じられた。それに向かってパンチを繰り出すと、拳はヒトガタを突き抜ける。これが相手か、どうすれば追い出せる、どうすれば。
「あぁ、なるほどね。あのときは見えなかったけど、今はよく見える」
 バスァレの声が近づいてくる。そして。
 ばきぃっ!
「ぐっは!」
 バスァレの拳が、バルの額に突き刺さった。熱い衝撃に、バルが崩れ落ちる。それを、シンデレラが受け止めた。
「おいおい、お前までおかしくなっちまったのか!」
 槍を斧に叩きつけ、ギカームが叫んだ。鉄でできた槍が折れ曲がる。ライアはそれを捨て、拳を握った。まるで拳闘士みたいに、ライアがギカームに殴りかかる。
「うわっち!」
 拳には魔力が乗っている。まともに受ければ大ダメージだ。
「いいかい、邪魔だ。君の話は後で聞こう」
 バスァレが金色のヒトガタと話をしている…ように、バルの目には写った。ぎぃん、という音が、少しずつ遠ざかっていく。と同時に、殴られた痛みがじんわりとやってきた。
「バルハルト?」
 シンデレラの心配そうな瞳が、自分を見つめていることに気がついたバルは、立ち上がって軽く地面を蹴った。
「もう、大丈夫。バスァレ、君は何を?」
「ちょっと、説得を、ね。旅人クン、君のそれは、どうも呪いではなかったらしい」
 バルの問に、にやにや笑いでバスァレが答える。
「どうでも、いいけど、よ!お前らも、なんとか、戦闘に参加、してくれよ!うわっち!」
 ぶぅん!
 魔力のこもった拳が、ギカームの鼻先をかすめた。ライアは拳の他、キック替わりに尾による攻撃を入れる。
「ごめん、今助ける!」
 バルは剣を持たず、ライアに飛びかかった。そして、後ろから体当たりをかます。
 べしぃっ
「っ!」
 ライアが始めて声をあげた。バルは後ろからライアに組み付き、首に手をかけて締め付け始めた。
「あつつつつ!」
 バルの体に、ライアの魔法の壁によるダメージが蓄積する。長い間組み付いてはいられない。このままでは、こんがり丸焼きになってしまう。
「バスァレ!」
「ああ、準備完了だ、いくよ!」
 バルの呼び声に、バスァレが走る。そして。
 ばちばちばちばちばち!
「ふうぅぅぅぅう!」
 拳に込めたありったけの魔力を、ライアにぶつけた。と、同時に、バルの体にかかっていた熱が消える。ライアの体から、魔法の壁が消えたらしい。
「よし、今だ!今なら…」
 ぶぅぅん!
「うあああ!?」
 べちぃん!
 バルは掴んでいた腕を逆に掴まれ、地面にたたきつけられた。同時に、ライアが腰を支点に身を回転させる。広げた腕と尾が、範囲内にいたバスァレとギカームに強烈にあたった。
 べしいぃっ!
「うお!」
「くっ!」
 2人が吹き飛ばされて倒れる。
「ふぅ、ふぅ」
 荒い息で、ライアが周囲を見回した。先ほどまでの、冷静な顔ではない。今はまるで、鬼のような形相をしている。目の周りの火傷痕も相まって、それは恐怖を起こすには十分な顔だった。
「くっ」
 不利を悟ったらしい。ライアは扉の向こうへ、じりじりと下がり始めた。
「逃すか!」
 ギカームが床を蹴り、ライアに向かって突進した。両腕を広げ、ライアに跳びかかる。捕まえるつもりだ。しかし。
 べきぃっ!
「ぐへっ!」
 跳びかかるギカームの顔に、ライアの拳が突き刺さった。倒れたギカームは、動かなくなってしまった。ライアは、折れ曲がった槍を放置し、その場を一目散に逃げ出した。後を追おうか迷ったバルだったが、足を止める。
「ギカーム、無事かい?」
「なんとか、な。くっそ…」
 ギカームを抱き起こすバスァレ。鼻から血を流しながら、ギカームが返事をした。
「後少しだったのにねえ。まあ、仕方ない。このままやってたら、こっちも少なからず大変なことになってたはずさ」
 折れ曲がった槍を持ち上げ、バスァレがくすくすと笑った。
「やられたぜ。くそっ、服に血がついちまった」
 ポケットから布切れを出し、鼻に詰めるギカーム。そのシャツには軽く血が付いている。
「バスァレ」
 バルがバスァレに後ろから話しかける。
「その、さっきはありがとう。あの人影はいったい…」
「旅人クン」
 バスァレは、にやにや笑いをやめず、バルに向き直った。
「今は、先へ進むとしよう。後で、君とさっきの"彼"について、じっくり話し合いたい。時間をくれるね?」
 その声は、以前、ポイザンソの遺跡で聞いた時と同じ。いつもの飄々としたバスァレの声とは違う、冷たいものだった。
「いいね?」
「う、うん」
 背筋がぞくっとしたバルは、それ以上は何も言えなかった。バスァレはしばらくバルのことを見つめた後、にっこり笑った。
「っかぁ、ハードだったぜ。ったく、ライアはどうしちまったってんだろうな」
「わからない。また戦うことになるかも知れない、慎重に行こう」
 武器をしまったバスァレとギカームが先へ進んでいく。バルも剣を背負い直す。と、そこでバルはシンデレラがついてきていないことに気がついた。振り返ると、シンデレラは少し離れた場所、車の近くに立っている。
「姫、さっきはすいません」
 立ち尽くしているシンデレラに、バルが近寄る。錯乱して殴る寸前だったのだ、怒っているに違いない。
「いいえ、あなたのことは別に気にしていませんわ。ワタクシ自信のことを考えていただけ」
「自分自身の?」
「ええ」
 うつむいたシンデレラが歩き出す。バルはその横について、同じペースで歩いた。
「ワタクシは、まともに戦う事も出来ず、後ろに下がれと言われてずっとそうしていただけ。自分の身ぐらいは自分で守れるくらい強いとは思っていたけれど、うぬぼれでした」
 前を歩くギカームとバスァレは、今熾烈な戦闘を終えたばかりだというのに、明るく世間話をしている。対称的に、シンデレラは暗いオーラをまとっていた。
「悔しいわ。あのライアという女の人、とても強かった。ああなれれば、お父様もワタクシを見なおしてくださるのに」
 ぐっ
 弓を握るシンデレラの手が震える。そんなシンデレラに対して、バルは思うことはいっぱいあった。そこまで気負わないでもいいのではないかとか、肉体的な強さだけが強さではないとか。
 しかし、バルは何も言わないことにした。2人は黙って、先を行く2人の後ろをついていった。


 扉は開いた。しかし、突然現れたライアとの戦闘に、4人は困惑する。
 ライアはどうなってしまったのか。そして、どこへ行ってしまったのか。


 (続く)


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