「な、なんだ!?」
 剣を抜き放ち、リキルが警戒する。今のは一体なんなのか、そして今の声は誰のものか。周囲を警戒するが、ランプの光は小さすぎて、どこに相手がいるのかがわからない。
「せっかく育ててたのに。神が入る入れ物なら、それなりに強くなくちゃいけない。それを、傷物にしてくれて。もう使えねえ」
 後ろからか、それとも前からか、もしかすると天井からか。剣を構えたまま、リキルが周囲を見回す。
「し、師匠、この声ってもしかして…」
「もしかしなくても、そうだ」
 1歩前に出たライアが、手を前にかざした。その先には、さっきの狼女が倒れている。
 ジビビビ!
「おっと」
 そのライアの手から、閃光が走る。狼女の少し向こう側、ランプの光が届くか届かないかのあたりに、男の影が一瞬見えた。白い肌に、やや高めの背、毛の生えていない頭には悪魔の角が見える。
「やはりお前だったか。ニウベルグ」
 憎々しげに言い放つライア。ニウベルグ。以前、砂漠の遺跡、ポイザンソで顔を見たことがある。
「危ねぇじゃねえか、アネット。当たるところだったぜ」
「当てるつもりで撃っているからな」
「おお、怖い怖い」
 アネットというのは、ライアに向かって言っているのだろうか。ちらりとライアの顔を見るリキル。ライアは無表情で、目の周りの傷が、いつもより目立って見える気がした。ニウベルグは、倒れている狼女の髪を掴むと、ぐいと持ち上げた。
「起きろ」
 ぺしいっ!
 平手打ちが狼女の顔に入る。狼女は、小さく呻いて目を開けた。
「もうアレは使えねえ。ロビンにそれを言ってこい」
「あ、あう、う」
 耳を伏せ、狼女が目を逸らす。その顔は、ニウベルグに対して恐怖を感じている顔だった。ニウベルグはそんな彼女のことを離し、軽く足を蹴った。
「行け」
 その声と同時に、狼女がふらふらと歩き始めた。洞窟の出口に向かおうとした数瞬の後、剣を拾いに戻り、両手で剣を握ると外へと駆けだした。追いかけようとしたリキルだったが、足がもつれて途中で転んでしまった。思ったより、体の消耗が激しいようだ。
「お前の関係者か?」
「ああ。コマだ」
 槍を向けるライアの言葉に、ニウベルグが軽いトーンで応える。
「うう…」
 溢れた血を踏まないよう、メミカが巨大狼の死骸から遠ざかる。
「ロビンというのは王子のことか。王子をどうした」
 剣を構えたまま、リキルがニウベルグに近寄る。しかし、その足は途中で止まってしまった。自分の中の何かが、これ以上近寄るなと言っている。
「また会ったな、王国剣士。今日は犬獣人のガキは一緒じゃないのか」
 別に、体格がとても良いわけでもなく、大きな武器を持っているわけでもない。血の臭いがするわけでもない。そんな男に対して、なぜこうまで怯えてしまうのかがわからない。相手は素手で、自分は剣を持っている。それだけでも有利なはずなのに。
「質問に答えろ。ランドスケープの名の下に、お前を逮捕して、尋問してもいいんだぞ」
 猫の尻尾を膨らませ、リキルが剣を構えた。。
「面白い。やってみな」
 軽く手を持ち上げるニウベルグ。人差し指を立て、それを横に払う。
 びゅぅっ!
 それと同時に、リキルの耳の横を風が通り抜けた。少し遅れて、耳に鋭い痛みが走る。手を耳にやると、そこは鋭利な刃物で斬られたかのように裂けていた。
「…え?」
 手にべったりとついた血に、どっと恐怖がわき出す。足が震え、止まってしまう。その気になれば、ニウベルグはリキルの命を取ることだって出来たのだ。例えば、首にこの真空波を受けていれば、今頃は…。
「り、リキル君、耳が…」
 メミカが真っ青な顔をしている。リキルの歯ががちがちと鳴る。
「なんだ、来ねぇのか。つまらねえな」
 呆れたように笑い、ニウベルグがリキルに歩み寄る。恐怖で足が動かない、逃げられない。今まで生きてきて、学んできた剣術は、かなり高いレベルになっているはずだ。そう簡単には負けないはずだ、と考えていた。しかし、それは間違いだったのだ。
「待て」
 そのリキルを守るように、ライアがニウベルグとリキルの間に立った。
「神を入れる入れ物と言ったな。貴様、一体何を企んでいる?」
「別に教える義理はねえな。相手がお前ならなおさらだ」
「ふざけるなよ。この尻尾で、貴様を叩き潰してもいいんだぞ」
「アネットよ、出来もしないことを軽々しく口にするもんじゃないぜ?」
 数瞬の間が開いた。
「こいつっ!」
 槍を構えたライアが突進する。その鋭い突きが、ニウベルグの足を狙う。ニウベルグは地面を蹴り、大きく飛び跳ね、突きをかわした。
「貴様はいつもそうだった!何をするにも不真面目で、自分のことしか考えない!そして、常人では理解できないような悪を、普通に行ってみせる!ただ、面白いという理由だけで!」
 ぶん!ぶん!ぶぅん!
 力任せに槍を振り回すライア。その動きからは、怒りが染み出している。さっきまでの、冷静に力を使っていたライアと同一人物だとは思えない。リキルも剣を持ち近寄るが、1対1で戦いが形成されているため、上手く加勢することが出来ない。ここで剣を打ち込みに行けば、ライアに当たる可能性もある。
「結局は俺視点でしか俺の世界は存在しないんだぜ!何か、悪いのか、アネット!」
 ライアの攻撃がやんだその瞬間に、ニウベルグがライアの顔に向かって拳を打つ。ライアはそれを、尻尾を使って空中で薙いだ。
「ああ、悪いさ!あのときもそうだった!貴様はたかだか金のために、なんの罪もない一家に手をかけたんだ!この悪魔が!」
「はっ、そうさ!それが依頼だったからな!お前の予測しない行動のせいで、俺は団を追い出された!そう、あの一件のせいで、お前のせいで、俺は追い出された!」
 どすっ!
「ふぐっ!」
 ニウベルグの拳は、ライアの腹深くに突き刺さった。ライアが苦しそうな声をあげる。
「たった一つの汚点だ!その原因がお前だ!ここらで殺して、綺麗にしとかねえとよ!」
 どすっ!ばきっ!
「ひうっ、ぐうう!」
 一度攻撃を受け、防御に徹してしまうと、弱いものだ。ライアはニウベルグの攻撃を槍や尻尾で受け流してはいるが、数発に一度は防御しきれずに攻撃を受けてしまっていた。
「師匠!」
「来るな!全滅になる!」
 槍を構え、援護に入ろうとしたメミカを、ライアが制す。
「いいえ、行きます!」
 ライアの制止を無視したメミカが突っ込む。と。
 どぐっ!
「きゃあ!」
 ニウベルグの回し蹴りがメミカの肩に当たり、メミカが吹き飛ばされる。
「馬鹿、来るなと言っただろう!」
 メミカの方へと行こうと、ライアが身を翻すが、その前にニウベルグが立ちふさがった。
「そうだよなあ。こいつのことは大事だよなあ。お前の娘みたいなもんだもんなあ」
 がっ!
「うぐぇ!」
 メミカの首を掴み、ニウベルグが持ち上げる。
「離せ」
 槍の穂先をニウベルグの喉元に向け、ライアが言った。ざわざわと、ライアの髪が逆立っている。怒りで制御できない魔力が体を駆けめぐっているのだろう。
「怖いねえ。どっちが早いかな」
 ごぎっ
「う、ううう!」
 ニウベルグが手に力を込めるたび、メミカが苦しそうに呻いた。と、リキルの体に電撃が走った。怖がっている場合ではない、目の前の仲間を助けなければ。そう思った途端、リキルの足が砂を蹴った。
 ざくぅっ!
「!」
 メミカを握っている方の腕に向かって、リキルの刃が突き刺さった。驚いたニウベルグがメミカを離す。その隙に、剣を投げ出したリキルがメミカを抱き、後ろに走った。
「やるねえ。剣撃なんか受けたのは久しぶりだ」
 にやぁ、とニウベルグが笑う。斬りつけた腕からは軽く出血しているが、大きな傷にはなっていない。
「はぁっ!」
 ライアが槍を突きだした。しかし、そこにはもうニウベルグの姿はなかった。一瞬の間にしゃがみ込んだニウベルグは、下からすくい上げるようにライアの顎に向かって拳を繰り出した。
 ばぎぃっ!
「きゃうっ!」
 怯んだライアが後ろに下がる。ニウベルグは腕から血を滴らせたまま、ライアに向き直った。
「リキル、これを!」
 ライアがリキルに向かって何かを投げつけた。リキルがそれを受け取る。円盤状の形をした、手のひら大の機械だ。片面は青く、片面は金属の光沢を放っている。
「それを使って逃げろ!」
「これは?」
「転送器だ!まだ生きている転送器がどこかにあれば、そこまで行くことが出来る!青い面を自分に向けて、ボタンを押せ!メミカを頼む!」
 見れば、金属面にボタンがある。これを押せば、この装置が作動するのだろうか。
「ほう、転送器。何処に行くかわからないぜ?」
「この場から、貴様から遠ざけられれば、それでいい!」
 ジビビビビビ!
 電撃を発しながら、ライアがニウベルグを追う。
「し、師匠…」
「早くしろ!お前等は足手まといだ!」
 絞り出すようなメミカの声を、ライアの叫び声がかき消す。リキルは少しためらった後、機械を自分に向け、スイッチを押した。
 ぶぅ、ぅぅ、うん
 小さなうなり声が聞こえる。虫でも飛んでいるのか、と考えた次の瞬間。
 ぐうぅうううううううん!
「う、うわあああ!?」
 頭の先から何かに引っ張られ、スパゲッティのように伸ばされるような感覚がリキルを襲った。吐き気と頭痛、そして平衡感覚の欠如。リキルの意識は、暗闇に飛ばされた。


 転送器は起動した。リキルとメミカは、どこかへ行く事が出来た…はずだ。
 残されたライアは、どうなるか、ニウベルグは何をするつもりなのだろうか。


 (続く)


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