扉の向こう側は、今までとは毛色の違う場所だった。岩の中、穴を掘っただけの洞窟に出たのだ。ヒカリゴケか何かが生えていて、暗くなることはないが、いきなり人工的な遺跡から自然的な洞窟になっている。
「なんでしょう、これは…」
 転がっていた石を拾い上げ、ジェカが首を傾げる。白っぽい色をした石で、親指の爪ぐらいの大きさだ。
「塩、じゃないか?そんなに良い塩じゃなさそうだが」
 石を受け取り、ギカームが指で砕く。
「匂いが…」
 ぼそり、とエミーが呟いた。バルも、この匂いには覚えがある。少し歩くと、左側に空洞があり、水が溜まっていた。それなりに澄んだ水は、底の方で大きな穴になり、どこかに繋がっていた。
「おい、あれ」
 ギカームが水の中を指さす。そこにいたのは、川や湖に生息するような魚ではない、海に生息するような魚だった。
「この先が、海に繋がってるんだ」
「海かよ。結構、来ちまったなあ」
 魚を見ながら言うバルに、ギカームが頭をばりばりと掻いた。
「ねえ、向こう」
 エミーが奥の方を指さした。少し行ったところに、大きな空洞があり、そこにローブを着た誰かの姿があった。祭壇のような場所で、何かを探している。
「見つけたぁ!」
 ギカームの叫び声に、ローブの人物が振り返る。ギカームに向かって手を伸ばし、魔法の弾を撃つが、ギカームはそれを半身になってかわして突っ込んだ。
「うるぁ!」
 げしぃ!
「ぐっは!」
 ギカームの跳び蹴りが、ローブの人物に突き刺さる。と、同時にローブのフードが剥げる。出てきたのは、赤い肌をした、ミノタウロスの男だった。
「てめえ、なんでギレナカ医院に入ってきた?床に穴まで開けやがって、答えろ!」
 ぐっと襟元を掴み、ギカームが問う。
「お、俺は依頼されただけだ、この地下に隠された入り口をあけてくれって…」
 手に何も持っていないことを表すように、ミノタウロス男が手を挙げる。
「入り口だぁ?んなもん、どこに…」
 そこまで言って、ギカームは言葉を失った。追いついたバルも、息を飲む。木の台座で出来た祭壇の向こう側に、巨大な扉があったのだ。岩で出来た、巨大な扉。バルの身長で、2人半はある高さ。人間では絶対に開けることは不可能な大きさだ。
「誰に依頼されたの?」
 エミーが横から顔を向ける。男は何も言わず、エミーを睨み付けた。
「言え。言わねぇと、ひどいぜ」
 ギカームが促す。バルは、脅すわけでもなく、剣を抜きはなって軽く振ってみせた。
「…ニウベルグ、という男だ」
 男は、抵抗しても無駄だと観念したのか、ぼそりと言った。
「まーたニウベルグか。聞いたことある名前なんだが…」
「私、知っています」
「あ?」
 ギカームの言葉を遮り、ジェカが言う。
「最近、お婆さまとよく話をしている、謎の男です」
「…え?」
 今度は、バルが驚く番だ。グローリアとギカームが会っている?
「そ、それは本当かい?」
「ええ。感じの良くない方なので、あまり好きではないのですが、お婆さまがお客様だと…」
 取り乱し気味のバルに、ジェカが困ったように言う。そんな、ばかな。色々な意味で、何かがおかしい。グローリアにはバルも会ったことがある。人の良い老婆で、人に好かれる性格をしている。それがなぜ、ニウベルグのような悪の権化と会う必要があるのか。もしかして、ニウベルグのやっていることに正当性があり、グローリアがそれを後押ししているのだろうか。
「まーいい。てめえは、外に…」
 ゴゴゴゴゴ
 床が振動している。床だけではない、壁も、天井も、全てが振動している。地震だろうか。バルは嫌な予感がして、剣を抜きはなった。経験上、こういう時は…。
「な、なんだありゃ!」
 壁から、ゴーストが湧きだして、中央に集まっていく。ゴーストはゴーストと融合し、1つの大きな塊になる。そのうち、20体ほどのゴーストが集まり、1体の巨大なゴーストになった。
「なんてまがまがしい…」
 ジェカが、ぽつりと言った。その姿は、人の形はしていたが、とても醜いものだった。青く、白く、おぞましい。邪霊という言葉がぴったりだ。
「くそっ、離せ!」
 ミノタウロス男はギカームをふりほどき、出口に向かって一目散に駆けだした。逃げるつもりだ。
「あ、ばっ」
 ごぉぉおおおん!
「ぎゃああああああ!」
 ギカームが止める間もなく、ミノタウロス男は巨大ゴーストの最初の餌食となった。実体化した掌が、男を潰している。手を上げると、そこには地面に俯せに倒れ込み、微動だにしない男の姿があった。
「ひどい…」
 出口の前で倒れる男を見て、ジェカが呟いた。彼は、生きているのか死んでいるのかさえわからない。生きているとしても、大怪我だろう。
「来るわ!」
 エミーが身構える。ゴーストは、4人の方を向き、手を向けた。
 ボボボボボボボ!
「うああ!」
「きゃあ!」
 ゴーストの手から、火混じりの強烈な風が吹き出し、4人を襲った。腕で顔を覆いガードするバル。竈の中に入り込んでしまったかのような熱風だ。
「くそっ、このままじゃもたねぇ!ばらけるぞ!」
 言うが早いか、ギカームは右方向へ駆けだした。バルは反対である左側に走る。ギカームとジェカが右、バルとエミーが左だ。ゴーストは、目標が分散したことで混乱し、攻撃の手を止めた。
「おらぁっ!」
 ギカームがまた爆弾を投げつけた。爆弾はゴーストをすり抜けて、ゴーストの中央部に落ちる。
 ドゴォォォォォン!
 爆弾が轟音を立てて爆発した。幽霊の下半身が、爆弾によって吹っ飛ぶ。
「うし!これなら…」
 しゅるるる…
「あ?」
 幽霊の下半身が、再生していく。無くなった質量の分を、他の部分が補っているのだ。
「うおおおお!」
 ざんっ!ざくっ!
 ゴーストに向かって、バルが何度も剣を振り下ろす。今までは、人間サイズのゴーストだったから、剣で致命傷を与えることが出来た。だが今はこのサイズだ、一撃で倒すことは不可能だ。
「無理です、ここは一旦、引きましょう!」
 ジェカが叫ぶ。バルもそれには同感だ。剣を握ったまま、出入り口の方へと向かう。
「ウオオア!」
 ぶぅん!
「うわ!」
 ゴーストの爪が、ピンポイントで出口を狙う。逃げるということは、もう予測済みのようだ。もし出口を通り抜けても、ゴーストは壁をすり抜けることが出来るのだ、逃げられようはずもない。
「このっ!このっ!」
 無駄だとわかっていても、バルは剣を打ち付けた。確かに、効果はあるようだが、それも微々たるものだ。
「お兄さん、下がって!」
 エミーが幽霊の中に飛び込む。それとタイミングを合わせて、バルは後ろに下がった。
「これでも、食らえぇ!」
 ばちっ、ばちばちばち
 エミーが放電を始めた。体全体から、絞り出すように電撃を出している。さっきの電撃の、数倍から数十倍の威力はありそうだ。エミーは苦しそうな顔をして、電撃を出し続ける。
「エミーさん、そのままじゃあ、体が!」
「きちゃ、だめ!」
 駆け寄ろうとするジェカを、エミーが制止した。ゴーストのうめき声と、エミーの光が、広間で響く。
「ううっああ!」
 ばちぃん!
 最後に大きく放電して、エミーは倒れた。ゴーストは体中から煙を出してはいるが、まだ耐えられるダメージだったようで、浮かんだままだ。
「エミーさん!」
 倒れたエミーの体を掴み、バルがゴーストの攻撃範囲外に逃げる。
「ごめん、もう打ち止め。魔力、なくなっちゃって…」
「あれだけやれば十分だよ!立てるかい?」
「待って、やってみる…」
 地に膝を付き、立ち上がるエミー。ふらついてはいるが、まだなんとかなりそうだ。これならば…。
 どごぉっ!
「ぐふっ!?」
 エミーの腹を、ゴーストの強烈な拳が殴り飛ばした。エミーが、吹っ飛び、床に倒れ込む。
「エミー!無事か!」
 エミーに駆け寄るギカーム。エミーは、微動だにしない。元々彼女は、宿屋をやっているだけの一般人なのだ、こんなにハードに戦って大丈夫なはずがない。遺跡に入る前に、帰しておけばよかったと、バルは後悔した。彼女の魔法や体術に依存していたのも事実だ。
「グウウウウ…」
 唸りながらゴーストが地面に潜っていく。完全に地面に潜ったとき、バルは恐怖した。上か、下か、はたまた壁からか。どこから攻撃が来るのか、予測すら出来ない。
『どうする、どうする?』
 穴を掘って相手を探す、などの不可能なことばかりが頭を巡る。落ち着かねばならない。焦りは隙を生み出すのだ。だが、この場で落ち着いていられるほど、バルも強いわけではない。
 ずぼっ!
「ひ!」
 いきなり地中から現れたゴーストの右手に、ジェカが掴まれた。まるで、ドングリか何かのように小柄な彼女は、ゴーストの手の中にすっぽり収まってしまった。ゴーストが、ずずずと全身を表す。
「い、だ、いい!」
 ジェカが叫んだ。ゴーストが、強く彼女を握りしめている。このままでは握りつぶされてしまうことだろう。
「ジェカぁ!てめえ、ジェカを離しやがれ!」
 ギカームが斧を構え、ゴーストに突進した。だが、彼の斧は魔法を受けていない、ゴースト相手にダメージを与えることすら出来ていない。バルも、ジェカを助けようと剣を振るうが、有効打には成り得ない。
「ウオオオオオ!」
 ゴーストが、ジェカを握っている手と反対の手を、ギカームに向ける。
 ビシュシュシュシュシュ!
「うおお!?」
 ゴーストの体が、小さなオーラの弾になり、ギカームの体に降り注いだ。ゴーストの体が、一瞬薄い色になる。体をちぎって、そのまま弾として撃ち出しているようだ。弾の当たったギカームは、いくつもの拳を受けたかのように踊り、後ろによろよろと下がった。
『あれ…』
 ゴーストの、心臓の辺りに、薄い色にならずに残っている領域がある。他の部分がほぼ白色になっているのに、そこだけ濃い青色のままだ。
「あそこだ!」
 バルは剣を構え、突進した。大きく剣を振りかざし、ジャンプと共に振り下ろす。
 ざくぅ!
「グアアア!」
 手応えがあった。そこに食い込んだ剣は、ゼリーでも切り裂くかのように、濃い青色の部分を切り裂いた。弾を撃つのをやめたゴーストが、元の青白い色に戻る。
「そこが弱点か!バル、心臓だ、心臓を狙え!」
「わかった、任せて!」
 もう一度、同じ要領でジャンプ斬りを放つバル。だが、先ほど手応えのあった場所には、今はもう何もなくなっていた。
「オオオオ!」
 今度は、バルに向けて弾を撃ち出すゴースト。バルは、瞬発力を生かしたダッシュで、弾を小刻みに避けるが、避けきれずダメージを受ける。岩をバケツに入れ、相手にぶちまけたら、こんな量と威力の弾になるのだろう。
「弱点が移動してます!」
 掴まれたままのジェカが叫んだ。弱点らしき青い領域は、今度は肩の辺りに移っている。剣はそこまでは届かない、魔法が使えれば…。
「ウオオオ!」
 ジェカの声が耳障りだったのか、ジェカのことをゴーストが強く握った。そちらに意識が行き、弾が止む。
「きゃああ、あああああ!あああああ!?」
 ごき、ごきごき!
 骨が何か硬い物が砕けるような、嫌な音が響く。ひときわ大きく、ジェカの体が跳ね、彼女も動かなくなった。
「このやろぉぉぉぉ!」
 怒り狂ったギカームが、無茶苦茶に斧を振り回した。その片手が、鞄を漁っているが、何も掴まない。もう爆薬がないのだろう。
「ジェカを離せぇ!離せつってんだろうがぁ!ぶっ殺してやる!」
 ぶぅん!ぶぅん!
 ギカームの斧は、通常の人間ならば、一撃で戦闘不可能になるほどの攻撃だったが、幽霊には効かない。ぐったりしたままのジェカを、なんとか救おうとするギカームだったが、彼の打撃は通らない。
「くそ、なんとかしないと…」
「いつつ…」
「?」
 振り返るバル。その目の前に、よろよろと立ち上がるエミーの姿があった。
「エミーさん!もう無事なのかい?」
「ええ。少し痛かったけど、もう大丈夫。まだ戦えるわ」
 駆け寄るバルに、ふふっと笑うエミー。そのアンニュイな目に、光が宿っている。そうだ、彼女なら、飛べる。
「エミーさん、あの化け物の体のどこかに、弱点があるんだ。そこまで飛べれば、あいつを倒せる。俺を抱えて、飛べるかい?」
 エミーとゴーストの間に立ち、バルが剣を構えた。
「なんとか、少しくらいなら…疲れてるし、快適な空中散歩なんて、期待しないでね」
 軽口混じりに、エミーが羽を羽ばたかせ、飛んでみせる。
「どこに弱点があるの?」
「えーと…」
 わからない。弱点は移動するのだ、どこにあるか、わからない。バルは、助けを求めるように、ギカームの方を向いた。
「任せろ!」
 何も言っていない間に、ギカームは全てを理解したようだ。少し下がり気味に、ゴーストを挑発する。ゴーストの攻撃を、間一髪で避け、さらに下がる。
「当たらねえよ!おら、どうした!」
 硬質化したゴーストの爪を、ギカームの斧が叩く。がきん、と高い音が鳴り、割れたゴーストの破片が宙を舞って消えた。苛ついたゴーストが、手を挙げ、射撃の体勢に入る。
「ウオオオオ!」
 ビシュシュシュシュ!
 雨のように、ギカームに霊体の弾丸が降り注ぐ。ギカームは弾を避け、後ろに向けて走り出した。
「やれえ!」
 幽霊の色が、薄くなっていく。その中で、頭部の真ん中にだけ、濃い色の領域が残っている。あそこが弱点だ。
「エミーさん、あそこまで!」
「任せて!」
 バルの脇の下に腕を入れ、背中から抱きついたエミーが、力強く羽を振った。その途端、エミーとバルは宙高く舞い上がった。バルは、剣を右に構え、横に薙ぐ姿勢をとった。目の前に、ゴーストの頭が近づく。
「りゃあああ!」
 ずがぁっ!
「ギョワワワワ!?」
 ゴーストの頭を、バルの剣が半分にした。上半分は、空中でぐるりと回って霧散して消え、そこから下だけが残る。エミーはふわりと地に降り、がくりと膝を付いた。
 ぱきぃん!
「あ!」
 バルはその耳に、何かが割れる嫌な音を聞いた。剣が柄の所から、ぽっきり折れてしまっている。どうやら、巨大ゴーストの相手をするには、この剣では力不足だったようだ。
「ギョワワワ!ギョワワワワワ!ギョワアアアア!」
 のたうち回り、めちゃくちゃに腕を振り回すゴースト。その手から、ジェカの小さな体が、ぽろりと落ちた。
「危ねぇ!」
 ギカームが駆け寄り、下でジェカをキャッチした。そして、ゴーストの攻撃範囲から外に出た。
「ギョワワアアアアアア!」
 ひときわ大きく、ゴーストが叫んだ。ゴーストの体の内側から、光が線となって漏れ、徐々にその範囲が大きくなる。そして、体中が光り輝いたかと思うと、ゴーストは消え去った。後に残ったのは、きらきらとしたゴーストの破片のみだった。
「やったか…?」
 剣を置き、バルが周囲に敵の気配が無いかを探る。もう、辺りに敵はいない様子だ。安心したバルは、鞘を下ろし、剣刃、柄の順に剣を納めた。カルバの遺跡で手に入れてから、ずっと戦ってきた相棒だ、破損したからと言って置き去りにする事など出来ない。
「一体あれは、なんだったんだろうね…」
 ゴーストのいた空間を見つめながら、エミーが呟く。
「きっと、この扉の番人だろうよ。この巨大な扉のな」
 ギカームが疲れ気味に言った。バルは扉に近づき、扉を近くから観察した。と、大体人間の頭が来るくらいの位置、扉の境界線に、細い棒か何かを差すような穴があるのを見つけた。カルバのピラミッドに入るときには、鉄のカードが必要だった。ここを開けるのにも、似たようなものが必要なのだろう。
「う、うう…」
 入り口辺りで倒れていたミノタウロス男が、ゆっくりと頭を上げた。そうだ、彼のことをすっかり忘れていた。バルが近寄るより前に、エミーが男に近寄る。
「さーて、これから王国に連行よ。医院の地下に穴を開けた理由を、たっぷりと喋ってもらうからね」
 エミーが、にやりと笑った。その顔は、悪魔的と言うより他ない。がっくりとうなだれたミノタウロス男が、ジェカを抱いたギカームとエミーに連れられて、広間を出て行く。
「…ん?」
 誰か、いたような気がするが、気のせいだろうか。ゆっくりと振り返り、周りを見回すが、誰もいない。疲れているのだろう、と結論づけたバルは、他の仲間と一緒に広間を出た。


 巨大ゴーストが守っていたのは、巨大な扉。過去の遺跡に隠された謎は、未だ解かれることはない。バルは一体、この先何を手にするのだろうか。


 (続く)


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