2009 クリスマス

 クリスマスの夜に暗い森で



 その村では、12月の24日夜から25日早朝まで、家の外に出てはいけないという風習があった。
 どれだけ昔からその風習があったかはわからないが、村人の中で一番年を取った年寄りが言うには、「俺の曾祖父さんの時代からあった」とのことだった。誰も、その風習が始まった理由を知らないし、始まった年を知らない。だが、その風習はずっと残っていた。
 ヨーロッパ、某国の山中にある、本当に小さなその村は、電気も電話もろくに通っていない、舗装道路もないところだった。主な産業は農業のみ、多くの男達は出稼ぎに出て、外の街で収入と食料を得てくる。遠くに行かねばならぬ理由から、車だけはたくさんあったが、どれもこれも10年や20年以上他人が乗り回した後のものを、安い値段で手に入れて修理をして使っている。そんな、侘びしい寂しい村だった。
 村人達は、平和な暮らしを望んでいた。だからこそ、彼らは法を重んじた。法を守ってさえいれば、みんな正しく平和な暮らしが出来る。そのためには、罰を重くしなければならないと考えられていた。だが、数百人の人しかいないこの小さな村のこと、大した事件すらも起きなかった。
 村には学校がなかった。なので、麓にあるこれもまた小さな街の方に、スクールバスを使って行くということをしていた。と言っても、村に子供は30人ほどしかいなかったので、バスが数台必要になることはなかった。
 1990年代。ひどく昔というわけでもなく、かといって最近でもない。そんな時代に存在した、この村の少年を主人公に、物語は始まる。


「ケネス!ケーネース!どこへ行ったの、出てらっしゃい!」
 よく太って、長い茶髪を頭の後ろで巻いている女性が、大声で名を呼んだ。そう広くもない家の中に、声が響き渡る。時計は夕方を指し、大きなカレンダーは今日が12月24日だということを表している。
「ケネス、いないの?」
 呼ばれた相手が出てくることはない。女性はため息をつき、家の外へ出た。
「ケネス!」
 女性は家の周りをぐるりと周り、ようやく名の主を見つけた。名の主は、体の小さな少年だった。女性と同じく髪は茶色、白い肌をしており、目が青い。顔は不細工でもなく、かといて美男子でもなく、ごく普通の少年の顔をしていた。顔の特徴と言えば、やや垂れ目気味なところだろうか。
「ママ…」
 ケネスはしゃがんでいたが、立ち上がって母親の方を向いた。彼が今座っていたのは井戸の近くだ。12月も終わりに近づき、既に寒くなっている時期に、水の近くにいるというのは寒かろう。
「ケネス。あたしゃ、お前に料理の手伝いをしてくれと言ったはずなんだがねえ?ピーラーでジャガイモの皮を剥いて、その次にはニンジンの皮を剥いてくれと」
「そ、そうだね、ママ。でも見てよ、これ。すごいんだ」
 握っていた手を差し出すケネス。母親が、何事かとケネスの小さな拳を見る。ケネスは、そろりそろりと手を開いた。
「わっ!」
 母親が一歩後ろに下がる。その手の中にいたのは、これまた小さなカエルだった。グリーンの体が美しく、目がきょろりとしている。カエルは窮屈な手の中からいきなり解放され、どうするものかと考えているようでケネスの手の中でくるりと向きを変えた。
「この寒い時期に、カエルなんて、珍しいんだよ。みんな土に潜って冬眠するはずなんだ。それに、こんな山の高いところにカエルなんて…」
「お黙りなさい!」
 びくっ!
 ケネスの言葉を遮り、母親が叫んだ。ケネスは驚いて肩をすくめる。
「いいかい、お前はもう来年で12歳になるんだよ。この村は、とても貧乏だ。外に出て就職しなければ、未来なんかありゃしない。だから、今の内になんでも出来るようになっておかないと、お前が損をするんだよ。パパを見てみなさい、街で遅くまで働いているだろう?」
 母親に言われ、ケネスは父親のことを思い浮かべる。父親は厳格な人だが、ケネスにはとても優しかった。彼は父親のことが大好きだった。父親は、麓の街で、食料品工場の主任をしている。頭もそれなりにきれるし、手もよく動く。そんな父親がケネスは大好きで、どこに出しても自慢できる立派な父親だと思っていた。
 だからこそ、母親の言う「父親のようになりなさい」という言葉を聞くと、なぜだか嫌な気持ちになるのだった。父親は確かに素晴らしい。だが、自分がああいう人間になれようはずもない。自分は自分らしく生きていたい。別のことで儲けて、偉い人間になりたい。最近では、コンピュータという物がとてもすごいのだという。計算などが出来るテレビなのだそうだ。自分は街の学校へ行き、コンピュータの勉強がしたいと、ケネスは思っていた。
「…むー。ほら、おいで。母さんも手伝うから、一緒にしましょう」
 ケネスの思案する顔を見て、言い過ぎだと思ったのか、母親が手を差し伸べた。ケネスはその手を取り、一緒に家に入る。小さなキッチンへと向かい、ケネスは足踏み台の上に乗り、ピーラーを握った。背の低いケネスは、足踏み台に乗らないとキッチンに向けない。
 キッチンは水道式だが、時折ポンプが壊れるらしく、水が送られてこないことがある。あまり役に立たないので、結局は井戸の水に頼ることになる。今晩は母親がシチューを作るという。今から楽しみだ。


 夜になり、食事も済んだケネスは、居間でテレビを見ていた。父親と母親が、何か楽しそうに話している。明日もまた学校があるので、早めに寝ないといけないということはわかっているのだが、目が開いて仕方がないのだ。
「ケーネス、聞いてくれ」
 名前を呼ばれ、ケネスが振り返る。ダイニングテーブルのイスに、顔を赤くした父親が座っていた。手には酒の瓶を持っている。父親は痩せ気味の男で、一見すると頼りなく感じるのだが、とても強いガッツを持っている。
「工場がまた大きくなるぞ!うちの缶詰がたくさん売れるから、また工場の拡張をするんだ!だから…」
 父親が長く話を始めた。どんどんよくわからない話へとシフトしていくため、ケネスは父親の自慢話を上手くは理解出来ない。曰く、社長がどうの、工場長がどうの、土地がどうの、いくらするの、そういう話が続く。上機嫌の父親はとても好きだ。
「…そうだ。今日はクリスマスよ。ほら」
 長々と話を続ける父親に、母親が話を切りだした。
「あー、そうだな。ケネス。またクリスマスプレゼントをサンタに頼んでおいたぞ」
 父親がまた酒を呷る。ケネスはしばし考え込んだ。ケネスは、サンタクロースという存在を信じていない。というのも、学校ではみんながサンタクロースのことを否定しているからだ。村から行っていた子供は、まず最初はサンタクロースを信じている。だが、ある一定の年を越えてからは、サンタクロースなどいないということを上級生から知らされる。まるでそう決めてあるかのように、その年代になると、アンチサンタクロース説が横行するのだ。
 ケネスも、そのときにサンタクロースはいないことを知らされたため、サンタクロースを信じていない。だが、両親相手にはサンタクロースを信じているふりをしている。否、ふりではない。クリスマスにケネスの欲しい物をプレゼントしてくれる両親こそ、最高のサンタクロースなのだ。太っていなくても白い髭でなくてもいいのだ。
『僕、子犬が欲しいなあ』
 この間、父親に言ったことケネスが思い出した。昔から、犬を飼いたいと思っていた。でも、ペットを飼うことは責任が伴うということも知っていた。もう今年で11歳だ。約束だって守れる年齢だし、ペットを飼ってもいいはずだ。
「そうそう。掟のことは知ってるな、ケネス」
 いきなり父親は真顔になった。
「うん。クリスマスの夜、外に出てはいけない。でしょう?」
「そうだ。正確には、12月24日の夜9時から、翌朝の6時までだ」
 ケネスの返答に、父親は満足したようで、頷いた。
「この日だけはみんな遅起きだ。早朝バスもない、新聞も来ない。家の中にいてじーっとしていなきゃいけないんだ」
 ケネスの目を見つめて、父親が言った。毎年この時期になると必ず言われていた言葉だ。今までは、夜の9時になればすっかり寝入ってしまっていたから、この掟を破ることはなかった。きっと今年もそうだろう。
「なんで外に出てはいけないんだろうね」
 あくびをして、ケネスが目を擦った。
「うーむ、父さんにもわからん。サンタさんが来るからかも知れん。父さんが子供のころは、怪物が出るからだと言われたな」
 怪物、という剣呑な言葉に、少年のハートは引き寄せられた。本やテレビで見る怪物は、人を食らい人に害なす存在だ。実際にこの目で見たことはないが、世の中には様々な未確認生物がいるという。その中の1匹が、この山の中に住んでいるとしたら驚きだ。
「怪物の話を詳しく聞かせて?」
 座っていたソファーから身を乗り出し、ケネスが父親に聞いた。
「父さんも詳しくは覚えてないが…そうだな、話をしてやろう」
 こほん、と父親が咳をした。
「その年はとても寒かった。ため込んでいた薪もどんどん少なくなった。食料を買いに行こうにも、雪がひどすぎて外に出る事すら出来なかった。ある家では、十分な蓄えをしていなかったため、燃料も食べる物もなくなってしまったんだ。ちょうど、12月24日に」
 その状況を想像して、ケネスは身震いした。寒い家の中で、何も食べずに過ごすなど、どうして出来ようか。
「仕方なく、その家の男は外に出た。周りの家に助けを求めるにせよ、麓まで降りるにせよ、外に出ないといけない。そのとき、男は見たんだ。吹雪の中、1人立っている、すらりと細い人影を」
「人がいたの?」
「正確には人ではないな。人の形をした何か、だ。その人影は、山の中へ山の中へと歩いて行くように見えた。男は興味を惹かれ、後を追うことにした。ある程度進んだところで、その人影が大きくジャンプをした。男が駆け寄ると、そこには橋もない谷間が広がっていた。人影は、怪物に違いない。そう思った男は、皆にこの話をした…とね」
 話し終えた父親は、また酒を飲む。今までテレビなど見知った怪物のことを思い出しながら、ケネスは該当する怪物を思い浮かべた。恐らくイエティが一番近いだろう。イエティなどだったら雪の中を歩くだろうが、ジャンプするかどうかはわからない。
「なんなんだろうねえ…」
 ケネスが首を捻る。
「いつか、誰かがきっと、そんな謎を解き明かすんだろうさ。ほら、ケネス。雪が降ってきた。もう遅いんだから寝なさい」
 母親に言われ、ケネスは窓の外を見た。雪がかなり降っている。明日にはかなりの量が積もるに違いない。ケネスは雪だるまを作ることを思い浮かべながら、寝ることとした。


「ん、あ…」
 薄暗い中、ケネスはベッドの上で目を覚ました。恐らくまだ明け方だろうと、壁の時計を見上げると、まだ午前1時だ。枕元に、プレゼントの箱すら置いてない。
「あれ…」
 午前1時にしては、外が明るすぎる。ここは白夜の起こるような国ではないし、今は白夜の季節でもない。ケネスは床に降り、靴を履いて外を見た。
「うわ…」
 雪が発光している。まるでヒカリゴケか何かのように、白くうすらぼんやりと発光している。空には雲が低くたれ込めており、反射光ではないことは明白だ。
 もっとよく雪を見るために、ケネスは窓を開けた。冷たく、身も凍りそうな空気が吹き込んでくる。窓の桟に積もった雪を手に取り、部屋に入れたとたん、雪は元から光など発していないかのように沈黙してしまった。触り心地が少し柔らかいくらいの、普通の雪だ。珍しくも何ともない。
 窓を閉めたケネスは、積み上げてあった服の中から、外出用の服を取った。外に出て、発光する雪を間近で見てみたい。毎年、この時間は外に出てはいけないことになっているが、ほんの少しくらいならば別段問題もないだろう。街頭を羽織り、手袋をはめ、防寒用のニット帽をかぶり、長靴を履く。リュックの中には、懐中電灯を入れた。
 かちゃ
 廊下に出たケネスは、出来るだけ音を立てないよう、こっそりと歩き始めた。古い家の床は、ケネスが歩くたびにぎしぎしと軋んだ。そのたびに、ケネスは両親が目を覚ますのではないかとひやひやしたが、両親が部屋から出てくる気配はなかった。
「ん…」
 ダイニングのテーブルの上に、ロールパンが2つ置いてある。夕食の残りだ。どうするか迷ったあげく、ケネスはそれらもリュックに詰め込んだ。小腹も空いたし、街を眺めながら囓るのもいいだろう。
 ばたん
「うわぁ…」
 外は思っていたよりもずっと美しかった。うっすらと発光する雪のおかげか、村全体が明るくなっている。降る雪も光を発しており、この上なく美しい。ざっと見回したが、村の中には明かりがついている家はない。
「すごいぞ、すごいぞ」
 独り言を呟き、ケネスが外へ出た。神秘的なその世界が、見慣れた村と同じ場所だとは思えなかった。まるで、どこか別の場所へ来たかのようだ。ケネスはとりあえず、麓へ下る道のところまで行ってみることにした。そこまで行けば、麓の街が見える。麓の街には、12月24日に外に出てはいけないという掟はない。だから、この時間でもまだ明かりがついているはずだ。
 さく、さく、さく
 靴が雪を踏む音が、やけに大きく響く。わくわくしながら、ケネスは歩く。ニット帽に雪が積もるのではないかと、ケネスは時折帽子を払った。後少しで村の端だという、そのときだった。
 お…おぉぉ…おおおぉぉおおぉ…ん
 風に乗って、何かの声が聞こえてきた。風鳴りかと思ったケネスだったが、どうも違う。男性のような、女性のような、はたまた人間ではないような声だ。
「…?」
 どうも、右手の林側から聞こえてくるようだ。ケネスは向きを変え、右手の林側に少しだけ進んだ。
 おおぉぉ…ん
 また聞こえた。声の主に少し近づいたらしい。ケネスは突然、恐怖に襲われた。父親に、怪物の話を聞いたばかりなのだ。もしそれが本当ならば、自分のような子供はどうなってしまうかわからない。ケネスは一歩下がり、家へ戻ろうと振り返った。
「あっ!?」
 振り返ったケネスが見たのは、どこまでも続く森だった。つい5歩ほど後ろには、家がまだあったはずなのに、家は影も形もなくなってしまっている。家だけではない。車も、納屋も、スコップも。そこにあったはずの村が消えてしまっていたのだ。
「そんな…ここは…」
 周りを見回し、知った物がないかを探すケネス。木1本でもいい、岩でもいい、知っている物があればそこから帰れるはずだ。だが、そんなケネスをあざ笑うかのごとく、木も岩もケネスの知らない物ばかりだった。
 おおぉ…おおおん
 声が近くなる。イエティに違いない。恐ろしい雪の猛獣、イエティがこちらへやってくるのだ。すっかり怖くなったケネスは、声から逃げるように歩き始めた。なぜか、足下の雪すらもさっきよりずっと深い。歩くと言うよりは、雪の上を泳ぐような形だ。何度も転んだし、雪まみれになったが、ケネスはそれでも何も言わずに進んだ。泣きたいのは山々だが、声を出せば見つかってしまう。
 おおぉぉおおん
 声がさらに近くなった。相手の方が早いのだ。もう見つかってしまったのだろうか。ケネスはとうとう涙を流し始め、鼻を啜りながら逃げ始めた。懐中電灯もパンも、怪物から逃げる役には立たないだろう。
 雪がケネスの体温を奪う。風もケネスの体温を奪う。鼻が冷たくなり、痛み始めた。だんだんと体の動きが鈍り、意識が朦朧としはじめた。手先も足先も、北極の氷のように冷たい。
 ばさっ
 ケネスは転んでしまったが、起きあがることはもう出来なかった。掟通り、外に出なければよかったと思ったが、もう遅かった。熱病にかかったときのように、頭の上の方がぐらぐらぐらっとしたかと思うと、ケネスの意識は遠ざかっていった。


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