創作物を作るとき、すでにある舞台を使用するのでなければ、作者はまず舞台を作らねばなりません。以前、舞台はどんな作り方をすればいいのかな、というのが気になったので、ちょっと調べてみたことがあります。すると、論理的に世界を作るというような話が出てきて、なるほどと思いました。少し前のことなので、どのような例が出ていたかは忘れましたが、確かその国の気候で育つ作物から主食を考えて、どれだけの取れ高だから人口がどれくらいで……と考えていたと思います。そういうロジックを使うことにより、深く世界を作ることが可能となるわけです。
ただ、必ずしも舞台をちゃんと作りこんでからお話を作っているばかりではない例もあります。どちらかと言えばキャラや話の方に重点的に力を入れ、舞台は「みんな大体理解できるけど細かいところはよくわからない」という程度で収めている作品もあります。何が良くて何が悪いかという話ではなく、これは作者のスタンスと、その話を面白くするために何が必要で何が必要ないかというところを考えた末のバランスなのでしょう。自分の作品で当てはめて考えると、舞台側に力を入れ気味なのはシャドウレオパルドとアニマリックシヴィライゼーション、キャラ側に力を入れ気味なのは猫大使様とおーばー・ざ・ぺがさすになると思います。
アニマリックシヴィライゼーションなどは、国周辺のマップを描いて構想を管理しておりますが、おーばー・ざ・ぺがさすはそうはしていませんでした。東京のどこかというだけの設定で舞台を決めているし、学校が出てくるにもかかわらずどのような校舎なのかすら決めておりません。せいぜい、生徒数と学科、後はどんな部屋があるかの設定だけです。街にしろ、どんな施設があるとかどんな店に行くとか、断片的にしか作っていないのです。モデルとなった街はもちろんありますが、そこまで似せる気もなく、フリーダムに書いています。絵を描いて表現するマンガなんかと違って、小説はそういうところを省いても、わりと成立してしまうものです。実際、書き始めるまではちゃんと世界を作らないといけない気がしていましたが、2〜3話書いたところで案外必要ないことを実感しました。
必要な情報はちゃんと出し、そうでないところは想像に任せるというのが、わりとスマートなパターンなのかも知れません。特に、私の書いているようなライト寄りノベルであれば、世界観や舞台よりはキャラクターの方に目が行きがちですから、そこに力を入れるべきだとも考えられます。ただ、誰も気にしないような世界の細かい設定作ってると、楽しかったりもするんですよねえ。実際こんなん使わないだろ、みたいなところを設定集に書いたり。楽しんで作るという意味では、そういうのも悪くはないんですが、作品の完成度や進度に全く関係のないものばかりなので、労力的にあまり意味がなかったりもします。
ただ、使わない設定だから要らないかといえばそうでもないこともあります。昔言われた話ですが「モブキャラにも人生があって生活している世界がある」と。モブキャラは物語に強くは干渉してきませんし、いてもいなくてもあまり変わらない人々も多いゆえ、細かく作る必要もありません。ですが、そんなモブキャラももちろん「キャラクター」なわけで、彼らにも考え方や行動原理があるわけです。例えば、前半では熱血だったモブが、後半では冷静になるというような矛盾が起きると、物語に直接関係してこないはずの部分で違和感が発生し、最悪面白くなくなるということも起き得ます。そういった理由からも、私が創作物を作るときには、そのあたりをちゃんと考えて作るようにしております。
こういう風に、面白いものを作るにはどうすればよいかということを掘り下げて考えるのは楽しいです。そんなもの考えなくても出来る人は出来るんでしょうけど、残念ながら私のスペックは低いので、基礎的なところから構築していかなければならないのです。こういう話ができる人がいれば伸びるとは思うんですが、人見知りが激しい性格なもので、そういったコミュニティにも突撃できずにおります。そのへんも改善していかなければいけませんね。
(記載日:2012/2/18)
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