近所のダイエーでホークス応援セールをやっておりました。セールって言うのはいいものですな。欲しい物が手頃な値段で買えるようになる。思わず、買うつもりのない焼きそばを買って作ってしまったりしてます。普段は西部ライオンズファンの私も、このときばかりはダイエー及びグルメシティに感謝感激です。野球自体は見ない私がなぜ西部ファンかと言えば、西武ライオンズにはかわいいあの子、ライナがいるからですね。ケモナーなら案外知っているあの子、某球団のドアーラさんが好きだという話ですが、うらやましいぜこんちくしょうドアラ野郎がという感じのジェラスィを心の奥底に抱いておるわけです。野球ファンの方、変なひいき目で球団を見てしまって申し訳ない。

 買い物をしているときに思ったのですが、子供っていうのは面白い動きをしますね。大人が歩いていても、誰も歩いていないような歩き方をする。と言いますか、直前まで避けないんですよね。まだ空間認識能力が甘くて、大人の移動速度と自分の移動速度を加味して動けないとだけ言ってしまえばそれで終わりなんですが、どうもそのような理由だけではないようです。その子個人だけがそうだったのかも知れませんが、何か「大人は自分をしっかり避けてくれる」という認識の上でうろつき回っているような感覚があります。
 思えば自分も昔は子供だったわけですが、そのときのことを論理的に考えてみても、霞の彼方に立つ人影を認識するかのごとく揺らいでいて、しっかりとは思い出せません。ただ、こう歩いたらぶつかるとか、こう歩いたら邪魔になるということを初めて考えたのは、小学校中学年程度のころだったと記憶しています。つまり、それ以前はあまりそういうことを考えていなかったのでしょう。
 よくよく思えば、そうなっている状態というのは、いわば通路全てを自分が通行できると考えている状態なんですよね。空間があって、それ全てが使える、みたいな。実際はいろいろな物が置いてあるし、他者もいるわけですから、空間全ては使えないわけですが、成長するにつれてそれを認識する。子供の学習というものはそういう風に出来るのだなあと、ライナの顔を思い浮かべながら考えてみたりしました。

 こういう、どうでもいいことをちょっと掘り下げて考える系統のテキストが、これからは増えると思います。元々そういうことばかり書こうと思って立ち上げてあったコンテンツなので。
 ただ、遅筆祟ってか、肝心の小説本編の方はあまり進んでおりません。書きたいネタやシーンはあるのですが、それを上手くまとめる能力が少し弱っているようで。ストーリーテラーとしてはまだ未熟なんでしょうね。それで飯を食っているわけではないですが、これはもう少しなんとかせなあかんな、という欠点だと認識しております。
 とりあえず、書いていないわけではないので、牛の歩みのごとく遅い筆ですが、いつかは書き上げられると思います。おーばー・ざ・ぺがさす第10話をお待ちください。

 (記載日:2007/10/20)


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