猫大使様
その3 「猫大使様お仕事をされる」の巻


 テレビには、動物系の番組が写っている。今日は、犬特集をやっている。私、羽道晴美と、その同居人である猫大使は、テレビの画面を見ていた。私は人、自称イラストレータのフリーター。猫大使は猫、自称冥界大使の白猫。何故だかわからないが、私たちは一緒に生活をしていた。
『こうやって、犬は自分の尻尾を追いかけて遊ぶことが…』
 テレビに出ている小型犬が、自分のその小さな尻尾を追いかけて、ぐるぐるとその場で回っている。楽しそうな、楽しくなさそうな。実際は、当人に聞いてみるより他ないのだろう。
「のんきなものよの。奴らは飼われてさえいればそれでいいのだから」
 猫大使が、前足で顔をくしくしと擦った。
「猫大使だって、今はそうじゃん」
「違うな。お前がアルバイトに出ている間、ワシも外に出て仕事をしておるのだ」
「猫大使が?仕事を?」
 意外だった。彼は、ずっと家の中でびろーんと伸びたり、昼寝をしたりしていると思っていたのだから。
「一応は大使だからな。その仕事はちゃんとしておる」
 胸を張り、猫大使が言った。大使…親善大使だとか?なんだかよくわからない。彼はいわゆる外交官なのだろうか。ということは、冥界と日本政府の架け橋?そんな感じはしないが。
「…外に出るとき、ちゃんと鍵はかけているの?」
 しかめ面をして猫大使に聞く私。まさか、彼が出ている間、鍵が開きっぱなしなのではなかろうかと、不安になったのだ。
「かけている。知らぬ間に、泥棒に入られては困るだろう」
「じゃあ、猫大使は家の鍵を持っているの?」
「当然だ。スペアキーを借りておるぞ」
 ちゃら
 どこからともなく、猫大使が家のスペアキーを出した。何かあったときのために、スペアキーを作っておいたのだが、まさかこんな形で使われているとは思わなかった。
「しかし、仕事ね〜。何やってんの?」
「こちらへ来る冥界人への、各種案内や斡旋などだ。要望があった場合に、こちらから出向き…」
 ピピピピピピ
 突然、携帯電話の着信音が響いた。私はいつも、マナーモードにしているため、音などでない。しかも、こんな着信音じゃない。一体、どこに…。
 ピッ
「もしもし?」
 猫大使が電話を取った。その携帯電話は人間サイズで、やはりどことも知れぬ場所から、いきなり現れた。
「…ああ。その通りだ。うん、うん…」
 驚くやら、呆れるやら。猫が電話をするというのは、なかなかに不思議な場面だ。恐らく、見ようと思っても見られるものじゃない。猫大使は、電話を半ば折り畳んだ状態で、頭をその間に挟んで通話をしている。顔の前側には通話口、後ろ側にはスピーカーだ。
「…来いと言うのか?またか?」
 しばらく、猫大使の電話姿を見ていた私だったが、テレビのリモコンを取って消音モードにした。誰かが電話をしているときには、音を出来るだけ鳴らさないようにしなければ。例えそれが、猫のしている電話であっても。
「…わかった。少ししか時間は取らぬぞ」
 ピッ
 話がまとまったらしい。猫大使は電話を切り、そしてまたどこへともなく消した。
「お出かけですか?猫大使様」
 おちょくるような口調で、私は聞いた。
「うむ。少し、出かけてくる」
 むぎゅ
「うっ!」
 出かけようとした猫大使の尻尾を、私は握りしめた。
「私も行く」
 猫大使の仕事姿なんて、面白そうなもの、見逃すわけにはいかない。
「ええい、来るな!ワシの仕事の邪魔などさせぬぞ!」
 たしたしたしたし!
 前足で何度も私の顔を叩く猫大使。その様はかわいらしくもある。
「邪魔しない邪魔しない!どんな仕事をしているのか、興味があるだけだから!」
「大体、ワシはお前を何だと紹介すればいいのだ!」
「適当に、雑用だとかなんとか言ってくれていいから!おねがいー!」


 と言うわけで。数十分後、私は猫大使と共に、立派なビルの前にいた。地上10階建て以上はある、かなり大きなビルだ。入居しているテナントの中には、私が良く知る企業の名前などもあり、思わず後込みをしてしまう。
「いいか、邪魔だけはするなよ」
 猫大使が、私の方を振り向いて言った。
「しないしない」
 私はといえば、スーツに身を包み、ちゃんと化粧をした姿で来ていた。猫大使が、そのままでは絶対ダメだと言うので、電光石火で準備をしたのだ。
 自覚はないが、私はちゃんとした姿をしていれば、普通にかわいい部類に入るらしい。確かに体型は細い方に入るし、髪は肩まででちゃんと整えてある、かわいく見えるのかも知れない。
 ガー
 自動ドアを開き、猫大使が中に入る。私はその後ろに続く。猫大使はエレベーターの前に立ち、ひょいっとジャンプをして、上へ行くボタンを押した。
「何もそんなことしなくても、私がボタンを押したのに」
「む?ああ、そうだったな。今日はお前がいるのだった」
 程なくして、エレベーターが下りてくる。猫大使は、当然のようにそのエレベータに乗り込んだ。私も少し遅れて乗り込む。
「8階だ。頼む」
 猫大使に言われた通りに、私がボタンを押すと、エレベータはゆっくりと昇り始めた。このビルの8階に、一体何があるというのか。
 ちーん
 ベルの音が鳴って、エレベータが停止した。扉が開き、私と猫大使が外に出る。グレーの柔らかいカーペットが、床一面に敷いてある。誰かのオフィスのような扉が、いくつも並んでおり、それぞれ看板がかけてある。猫大使は、迷う様子もなく、真っ直ぐに廊下を歩き、右に曲がった。そして、そこにあった扉を、猫の手でノックした。
「どうぞ」
 中から声が聞こえてくる。私がドアを開けると、猫大使は中に滑り込んだ。
「やあやあやあ、お待ちしておりましたよ。また会えて嬉しいですわ」
 そこは、会社の応接室のようになっていた。ガラスのテーブルに、ソファー、そして観葉植物。立っていたのは、でっぷりと太った、見るからに不健康そうな中年男性だった。にっかりと笑う顔が、非常に人好きのする顔だ。声のアクセントからして、関西人だろうか。
「ワシは貴様なんぞに会えても嬉しくもなんともないがな」
 対する猫大使は、何が気に入らないのか、男に対して敵愾心を露わにしている。
「まあ、そう言わんといてつかさい。わてらのやることで、助かってる人がおるんですよ。そう思うと、やる気出てきぃひんですか?もうちっとばかし、愛想良くして欲しいですわ」
 どっかりとソファーに座った男は、猫大使と私にもソファーに座るように促した。さっき私は、彼が関西人だと思ったが、どうも違うような感じがする。まるでとってつけたかのような話し方をしているからだ。恐らく、偽物だろう。
「やかましい。いつもいつも、面倒くさい仕事ばかり持ってきおってからに」
 猫大使はとても不機嫌だ。この男に、過去に何かされたのだろう。
「あっはっは、ええ話やないですか。貧乏暇無し、たっぷり稼がんとあきまへんで」
 対して男は、機嫌の良さを隠そうとしない。猫大使と正反対だ。
「お前と違って、ワシは金も名誉も有り余っておる。金よりも休みの方が欲しい」
「これが終わったら、また地獄谷温泉にでも行きましょうや」
「行かん。猫の体に温泉は合わぬ」
 愛想良く猫大使に話しかける男に向かって、猫大使はつっけんどんに返事をした。
「ところで、そちらの女性は?なんや、言うてアレですけど、ぼけーっとしとりますなあ」
 苦笑いを私に向ける男に、なんだかわからないけど腹が立った。言い返そうと、口を開く。と…。
「こいつは羽道晴美。人間界でいらすとれぇたなる仕事をしながらワシの秘書をしておる。見た目はぼんくらだが、かなりの切れ者ぞ。舐めると、痛い目を見る」
 さらっと言ってのける猫大使に、私は驚いてしまった。猫大使は、私のことをそう高く評価していると思っていなかったのだ。だが、今の言葉を聞く限りだと、それなりの評価をしてくれているらしい。嬉しいことだ。
「やや、そら申し訳ありまへん。見た目で判断してまうのが、どうも悪い癖でしてなあ」
 はっはっは、と笑う男。彼はきっと悪いやつではない、要するに正直なのだろう。
「わてはカネオ言います。よろしゅう」
 男が立ち上がり、名刺を出してきた。名刺には「カネオ商事株式会社 代表 カネオ」と書いてある。名字も何もない、ただのカネオだ。
「えーと、名字は?」
 私が恐る恐る聞くと、カネオは首を横に振った。
「名字も名前もない、ただのカネオですわ。わかりやすくていいでっしゃろ?」
 がはは、と笑うカネオに、私は複雑な顔をして頷いた。
「用件を言え。ワシは帰ってからもする仕事が多い。貴様に裂く時間なぞ多くないのだ」
 不機嫌なままの猫大使が、カネオに物を言った。
「えーと、今日はですな。冥界からの、孤児について、お話をしようかと…」
「孤児だと?」
 カネオの言葉に、猫大使は眉をひそめた。猫が不機嫌な顔をしている、というのもとてもかわいらしい。
「単刀直入に言いますとな、冥界から迷い出た孤児がおりますねんて。それを、大使様のところで預かっていただいてですな。行き先が決まるまで、なんとかしていただけんかと…」
「無茶言うな!ワシだって、今は居候の身なんだぞ!」
 にへへ、と愛想笑いを浮かべるカネオに向かって、猫大使が怒りの抗議を行った。そりゃそうだ。私の部屋だって、そんなに広くない。居候がさらに増えたら困るのだ。
「まあまあ、そういわんと。お子を見たら、大使様も気が変わりますて。おーい!」
 ぱんぱん、と手を叩くカネオ。しばらくして、奥にあった扉から、1人の女性と1人の子供がやってきた。子供は、Tシャツにジーンズという、普通の格好はしてはいたが、とてもくたびれているように見えた。
「よろしくお願いします…」
 そう言って頭を下げたその子は、恐らく男子児童だろう。恐らく、と言ったのは、彼が男の子か女の子かわからない、中性的な顔をしていたからだ。金色の短髪に、光のない茶色の瞳、とても油の無いぱさぱさした顔。小学校高学年くらいだろうか、私には、疲れているように見えた。
「なんや、家出したいう話ですわ。どこ行く宛もなく彷徨ってたら、冥界の悪い方の割れ目に吸い込まれましてなあ。1ヶ月の間、腐った草や泥水啜って生きたそうで、不憫でなりませんでなあ。大使様、お願い出来ませんでっしゃろか?」
 少し悲しそうな顔で、カネオが聞く。猫大使は、少年の前に立ち、じっと顔を見た。
「酷い顔をしておるな。名は?」
「ジュエフ…と、言います…」
「辛かっただろう。悪魔に襲われなかったか?」
「襲われました…斬られて、痛かった…」
 ジュエフと名乗る少年に、猫大使が何度も質問をする。彼はどうも、かなり酷い目に遭ったようだ。カネオが、ジュエフと猫大使の顔を、何度も見比べる。
「お前のところでは、養わないのか?」
 猫大使がカネオの方を向き、カネオがうっと唸る。
「実は…わてのことを、嫌っておるみたいなんですわ。だから、あんまりうち解けることも出来ませんで…出来れば、わてのところでなんとかしたいんですがなあ…」
 カネオがジュエフに近寄ると、ジュエフは身構えた。カネオにはあまり気を許していないようだ。ジュエフにとっては、猫大使もカネオも同じ存在なようで、猫大使を見て不安な顔をしている。
「安心しろ。ワシは、そこにいる守銭奴より、よほど人間らしい思考をしておる」
 きっぱりと言い切る猫大使。後ろでカネオが「そんな、殺生な。わてら、仲良し子良しの…」とかなんとか言っているが、猫大使には聞こえない様子だ。
「僕、どうなるの?」
 ジュエフが問う。
「当面、うちで生活をしてもらう。その後のことは、そのときになるまでわからぬ」
 猫大使はジュエフの顔を見上げた。身長差があるので、どうしても見上げる形になってしまうのだ。
 私は、食費とか生活費とか、どうするのかと聞きたかったが、やめておくことにした。猫大使のプライドだってあるだろうし、私の器が狭いところを見せつけることにもなるし。何より、ジュエフはかわいい。成長すればきっと、美男子になってくれるはずだ。光源氏ではないが、ここで恩を売っておけば、などと少し期待してしまう。
「やだって言ったら?」
 ジュエフが不安げな顔をした。
「言わせぬ」
 自信満々に、また猫大使が頷いた。問題は、ジュエフがどう出るかだが…。
「じゃあ、ついてきます」
 意外だった。彼は、さらっとついていくと言ったのだ。もっと、だだをこねたり文句を言ったりすると思っていた私は、きょとんとしてしまった。
「いい返事だ。ではカネオ、ワシはこいつを連れて行こう」
「…え?あ、ええ、あんじょう頼みまっさ!おーい!」
 カネオにも、そのスピード展開は意外だったようだ。奥へ声をかけると、先ほどの女が出てきて、紙袋を私に渡した。
「こちらが、ジュエフの持ち物と、こちらで購入した服などです」
「あ、はい。確かに受け取りました」
 紙袋を受け取って、私はその女にお辞儀をした。
「ほいたら、また今度…」
「もう当分は…」
 猫大使とカネオが話をしている横で、私はジュエフに近づいた。
「これからしばらく、よろしくね」
 とびきりの笑顔で話しかけたにも関わらず、ジュエフはちらっと私のことを見ただけで、何も言わなかった。声を出すのも面倒なのだろうか、それとも精神的なショックが大きくて反応が薄くなっているのだろうか。
 どちらにせよ、大変なことになりそうだ、と私は思った。そしてその予感は、後に的中することとなるのだった。


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